農研機構技報No.12
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トレハロースとLEAタンパク質 なぜネムリユスリカの幼虫は、このような驚異的な乾燥耐性を発揮できるのでしょうか。幼虫を乾燥させる方法が大事だということがわかっています。急速に乾燥させた幼虫は、水に浸しても蘇生することはありません。最低でも48時間かけて、幼虫をゆっくり乾燥させた時に、はじめて乾眠能力を発揮できるのです3)。この48時間の間に、ネムリユスリカの幼虫体内で様々な乾燥耐性関連物質の合成が起きることで、細胞や組織が、物理的にカラカラに乾いても平気な状態になっているのでしょう。言い換えれば、急速に乾燥させると、この乾燥耐性関連物質が十分に合成できない内に干からびてしまうので、幼虫は乾眠状態にならないと考えられます。乾燥過程の幼虫を調べてみると、トレハロース※1という糖の一種3)やLEAタンパク質※2 メタボローム解析 そこで私達は、ネムリユスリカの乾眠に必要な物質を特定することにしました。ネムリユスリカの幼虫をゆっくり乾燥させて乾眠状態にして、一定期間乾燥ボックスに放置した後、水に浸して蘇生させるという一連の処理の過程で、どんな物質が蓄積しているのかをしらみつぶしに調べました9)。このような体内物質を網羅的に解析することを、メタボローム解析と言います。まずは、糖の仲間の変動を調べてみました。すると、乾燥前の幼虫体内に大量に蓄積していた多糖類の一種であるグリコーゲン※3が分解されて、乾眠時にはすべてトレハロースに変換されていまし■ ネムリユスリカの幼虫の■ 乾眠に必須な物質:NARO Technical Report /No.12/202219乾眠したネムリユスリカ幼虫は、­270℃から102℃までの温度変化、無酸素、真空、高い気圧、アセトンのような化学物質への暴露、放射線の照射など、乾燥以外の多様な環境ストレスに対しても耐性を発揮します。驚くことに宇宙空間に2年半さらされても、乾眠状態の幼虫は蘇生能力を失うことはありません2)。ネムリユスリカの幼虫を、乾眠状態から活動状態へ戻す方法は極めて簡単です。乾燥幼虫を、1時間ほど真水に浸して水分を吸収させるだけです。元の状態に戻ったネムリユスリカの幼虫はたちまち動きだして、■を食べ排泄をして成長するという、普通の昆虫と同様な生命活動を再開します。この世で考えうる環境ストレスにほぼ完璧とも言える耐性を発揮するネムリユスリカの乾燥幼虫ですが、水中で活動する“ただの幼虫”に戻ると、一切の環境耐性を失います。という保護タンパク質の一種4)がたくさん蓄積していることがわかりました。トレハロースとLEAタンパク質は、乾燥によって変性しやすいタンパク質や細胞膜を保護する機能を持つことが知られています5)6)。これらの物質の蓄積は、アルテミアや線虫といったネムリユスリカ以外の乾眠できる動物でも認められる現象7)であることから、乾眠に重要な物質であると結論されました。この事実を踏まえ、アメリカのハーバード大医学部の研究チームは、トレハロースとLEAタンパク質を使って、ヒト由来の培養細胞を乾燥保存できるか試す実験を行いました。その細胞の乾燥耐性能力を大幅に向上させることに成功しましたが、せいぜい数十秒という極めて短時間しか持ちませんでした8)。この結果から、トレハロースとLEAタンパク質は、乾眠を誘導するための必要な物質であっても、それらだけでは乾眠を十分に再現できないということがわかりました。すなわち、トレハロースとLEAタンパク質以外にも、乾眠の誘導・維持に重要な物質がまだまだ必要なのです。

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