■ おわりに用語解説̶※1 トレハロース ブドウ糖が2分子結合してできた糖の一種です。ガラス化す参考文献̶1)Cornette, R. and T. Kikawada (2011) The induction of anhydrobiosis in the sleeping chironomid: current status of our knowledge. IUBMB Life, 63(6), 419-429.ることで、細胞の乾燥保護に寄与することが知られています。※2 LEAタンパク質 乾燥耐性を持つ動植物に広く存在するタンパク質です。乾燥や熱でタンパク質が凝集することを防ぐ機能をもちます。※3 グリコーゲン ブドウ糖が沢山結合した多糖類と言われるものの一つです。糖を貯蔵する役割を持っています。広く生物共通に存在し、人間では肝臓や筋肉に存在します。分解されるとブドウ糖になり、トレハロースのような別の糖の原料になったり、エネルギー源として利用されたりします。※4 ペントースリン酸経路 ブドウ糖を分解する代謝経路である解糖系から分岐する代謝系です。DNAやRNAの原料であるリボースや、抗酸化系の駆動力として利用されるNADPHを合成します。※5 クエン酸回路 ミトコンドリアの中で、糖やアミノ酸、脂質からエネルギーの原料を作り出すのに使われる代謝経路です。TCA回路やクレブス回路という名前で呼ばれることもあります。※6 AMP ATPの原料です。AMPに1分子のリン酸が結合するとADPに、2分子結合するとATPになります。2)Novikova, N. et al. (2011) Survival of dormant organisms after long-term exposure to the space environment. Acta Astronautica, 68(9-10), 1574-1580.3)Watanabe, M. et al. (2002) Mechanism allowing an insect to survive complete dehydration and extreme temperatures. J Exp Biol, 205(Pt 18), 2799-2802.4)Kikawada, T. et al. (2006) Dehydration-induced expression of LEA proteins in an anhydrobiotic chironomid. Biochem Biophys Res Commun, 348(1), 56-61.5)Crowe, J.H. (2007) Trehalose as a “chemical chaperone”: fact and fantasy. Adv Exp Med Biol, 594, 143-158.6)Furuki, T. and M. Sakurai (2018) Physicochemical Aspects of the Biological Functions of Trehalose and Group 3 LEA Proteins as Desiccation Protectants. Adv Exp Med Biol, 1081, 271-286.7)Hibshman, J.D. et al. (2020) Mechanisms of desiccation tolerance: themes and variations in brine shrimp, roundworms, and tardigrades. Front Physiol, 11, 592016.8)Li, S. et al. (2012) Late embryogenesis abundant proteins protect human hepatoma cells during acute desiccation. Proc Natl Acad Sci U S A, 109(51), 20859-20864.9)Ryabova, A. et al. (2020) Combined metabolome and transcriptome analysis reveals key components of complete desiccation tolerance in an anhydrobiotic insect. Proc Natl Acad Sci USA, 117(32), 19209-19220.NARO Technical Report /No.12/202221(生物機能利用研究部門 生物素材開発研究領域機能利用開発グループ)ことに再水和させた幼虫体内では、解糖系がまだ十分エネルギーを供給できなくても、溜まったクエン酸が消費され、あっという間にAMPからATPが再合成されていることがわかりました。水に浸した乾燥幼虫が1時間足らずで動き出せる理由は、この急速なATP合成が■を握っていると言えるでしょう。 乾燥過程では、幼虫体内のアミノ酸や核酸の一部が分解されていることがわかりました。体内物質の分解過程で、時として有害な物質に変化することがあります。例えば、核酸が分解すると尿酸という物質が生み出されます。ヒトの場合、尿酸が過剰に蓄積すると痛風を起こすことがよく知られています。このように有害な分解物質の蓄積を防がないと、乾眠はできないと予想されます。実際にネムリユスリカの幼虫は、アミノ酸や核酸の分解物を、キサンツレン酸やアラントインのような生体に毒性がない物質として蓄積することで、生体に及ぶ害がないようにしていました。 ネムリユスリカの幼虫は、巧妙に代謝システムを調節して様々な物質を合成することで、乾眠状態と通常の生理状態の間を可逆的に往来していることがわかりました(図2)。乾燥の過程では、トレハロースのような保護物質を蓄積するだけに留まらず、尿酸のような有害物質の蓄積を最小限化しています。再水和の過程では、いち早くATPを合成して生命活動を始動できるような仕組みを働かせつつ、NADPHを合成することで酸化による悪影響を軽減化するシステムを作動させています。適切なタイミングで、適切なシステムを駆動させることが、乾眠状態を誘導・維持・解除するのに重要といえます。 私達のネムリユスリカの乾眠・再水和過程のメタボローム解析でわかってきた生体内システムをうまく摸倣すれば、細胞、組織および生体成分の常温乾燥保存技術開発が進むと期待されます。この技術が確立されれば、生体試料の保存に冷蔵・冷凍は不要になるでしょう。ひょっとしたら、80℃で保管しないといけない抗体やワクチンを、常温で長期間保存することができるようになるかもしれません。乾眠は、ネムリユスリカというちっぽけな虫が発揮する生命現象です。しかしながら、我々人間は、その生命現象を人工的な技術として完全に再現するに至っていません。一寸の虫にも五分の魂という言葉の意味を痛感しながら、ネムリユスリカの乾眠の分子メカニズムの全容解明を目指して研究を進めています。
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