農研機構技報No.15
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■牛疫 牛疫は牛や水牛、めん羊、山羊、豚などの偶蹄類動物が牛疫ウイルスに感染し、急性の発熱や下痢などの症状を呈し、感染力や致死率が極めて高く、特に牛や水牛では多くが死亡します(図1)。しかし、国際機関による牛疫根絶計画を進め、2011(平成23)年にFAO※1とWOAH※2(当時はOIE※3)は牛疫の撲滅を宣言しました。この撲滅には日本が開発した牛疫ワクチンが大きく貢献しています。牛疫を発症した牛図1NARO Technical Report /No.15/202434■牛疫ワクチン開発と現在 1871(明治4)年に牛疫予防に関する太政官布告第276号以降、牛疫の予防に関する試験が実施されていました。当時、日本への牛疫の侵入のほとんどが朝鮮半島からであったことから1911(明治44)年には■山に農商務省牛疫血清製造所が設立され、牛疫免疫血清接種法に使用する免疫血清を製造していました。1917(大正6)年には同所にて蠣崎千晴博士により世界初の牛疫不活化ワクチンが開発されました。しかし、製造には牛が用いられていたため、1935(昭和10)年頃から野外株である強毒牛疫ウイルス■山株を家■への実験的感染試験が始められ、1938(昭和13)年に中村稕治博士が継代して弱毒化した牛疫家■化ウイルス「中村III株」(lapinizedの頭文字“L”を取って、L株と呼ぶ)を作出、897代以上継代したものが親株となっています。しかし、L株は朝鮮牛や黒毛和牛に対しては感受性があったため、戦後、農研機構動物衛生研究部門の前身である家畜衛生試験場の赤穂支場(昭和27年〜昭和31年)にてさらに家■で29代、鶏胎(発育鶏卵)(avianizedの頭文字“A”を取って、LA株と呼ぶ)で456代継代した、より高度に弱毒化された株となるLA赤穂株が1957(昭和32)年に作出されました。赤穂支場が廃場となり、LA赤穂株は家畜衛生試験場本場(現在の小平海外病研究拠点)へと移され、発育鶏卵に接種してLA生ワクチンを製造、緊急用として備蓄していました。その後、量産が容易で保存や熱に安定したワクチンを製造するために組織培養ワクチンの開発を進め、1970(昭和45)年頃から現在の製造法としてLA赤穂株をアフリカミドリザル腎継代細胞であるVero細胞で培養し、力価調整をした培養ウイルス液に安定剤を添加、凍結乾燥後、窒素を充填して密栓し、溶解用液と共に牛疫組織培養予防液(牛疫ワクチン)として製造販売承認を1972(昭和47)年に取得、2018(平成30)年にシードロット製剤※4(牛疫ワクチン(シード))として承認されています。■牛疫ワクチン(シード)の製造方法 動物用医薬品である牛疫ワクチンは「医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律」に基づいて定められた「動物医薬品の製造管理及び品質管理に関する省令(GMP省令)」を遵守し、「牛疫組織培養予防液製品標準書」に従って製造しています。具体的な製造工程を図2に示しました。まず、始めにマスターシードウイルスから製品の製造に使用するためのプロダクションシードウイルスまでVero細胞を用いて増やす工程があります。この間、それぞれに増やしたウイルスは定められた品質管理試験を実施し、それに適合しなければなりません。次に、このプロダクTOPICSTOPICS牛疫ワクチン(LA赤穂株)

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