■ 農産物・食品の■ はじめにNARO Technical Report /No.17/202526 農産物や食品にどのような成分が含まれているのか。これらは肉眼ではもちろん、顕微鏡を使ってもわかりません。そのため、核磁気共鳴法(Nuclear Magnetic Resonance、NMR)や質量分析法、クロマトグラフィー法といった分析法を用いたターゲット成分分析により、個々の栄養成分や機能性成分の化学構造および定量値といった精緻な情報を取得しています。一方、この30年ほどの間で、分析対象成分を決めないノンターゲット法であるメタボロミクス※1がヒトや植物を対象とする生命科学研究分野で発展してきました1)。NMRは、試料調製の簡便さ、複数試料中の代謝物の網羅的な自動計測、1次元データの取得時間の短さといったデータ取得の効率が高い利点があるほか、成分ピークが順列しているNMRスペクトルから成分の種類や量、物性に関する情報が得られるため、メタボロミクス研究で広く利用されるようになってきました。また、近年ではセンシング技術の発展によって複数の環境データをリアルタイムで取得することが可能となり、また、空撮画像や衛星画像を活用し、作物の生育状態や発病の兆候などの生体データを高速で収集することも可能になってきました。したがって、成分分析データと農業ビッグデータを組み合わせるデータサイエンス研究が可能となり、農業や食品産業上の重要な発見がもたらされると期待できます。例えば、病理学的特性や機能性などに関連するデータを教師データとして人工知能(Artificial Intelligence、AI)の基幹アルゴリズムである深層学習などを用いた回帰・分類解析に供することで、病虫害診断マーカーや機能性成分の発見などにつながることが期待できます2)。しかし、成分抽出を伴う従来法では農産物や食品中に存在する成分を本来の状態で評価できていない、また、多検体の調製からNMR分光分析、データ解析までを簡便かつシームレスに実施できない、などの課題がありました。そこで農研機構では、既存の計測法で成分分析データの蓄積を進めると同時に、分析ビッグデータの質を向上させ、新たな農産物・食品評価パラメータを創出するためのNMR分光データ(自由誘導減衰データ、NMRスペクトル、NMR分光分析のパラメータなどを含むデータ)取得技術、および農業・食品分野のNMRメタボロミクス研究をさらに加速させるための分析-情報基盤連携システムを開発しています。 近年、生体試料から成分抽出することなく、ありのままの状態から高分解NMRスペクトルを取得できる分子間単一量子コヒーレンス法(intermolecular Single Quantum Coherence、iSQC)が発見されました。そこで農研機構では、iSQCの計測が可能な農産物・食品計測用のパルスプログラムを開発し、iSQCを用いたインタクトNMR計測の一例として、日本の伝統的な発酵食品である「ぬか漬け」野菜の発酵過程における成分変化を包括的かつ非破壊的に解析することを可能としました(図1)。その結果、ニンジンおよびキュウリのインタクトNMR計測から高分解能なNMRスペクトルが得られるようになったため、糖類、有機酸、アミノ酸、および未知成分の部分構造(図1の*で注釈したNMR信号)を同定することが可能となり、それぞれの野菜の成分の種類と量の違い、微生物反応による成分変化が追跡可能となりました。γ-アミノ酪酸、アラニン、アスパラギン、エタノール、フルクトース、グルコース、グルタミン、ロイシン、リンゴ酸、およびスクロース由来のNMR信号は発酵過程0日目に顕著に検出され、これらはニンジンおよびキュウリの主要な成分であることがわかり特集 AIの農業現場への実装をめざして □ インタクトNMR計測法※2の開発 ITO KengoSEKIYAMA Yasuyo伊藤 研悟 関山 恭代農業・食品データサイエンスを加速させるNMRメタボロミクス研究基盤技術の開発―AIと分析ビッグデータを活用する農業・ 食品分野の新時代に向けたプロローグ―
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