ダイバーシティ推進 Diversity and Inclusion

伊藤 あゆみ 本部 管理本部 観音台第1管理部 総務課新橋管理チーム 主査

心の源泉は芸術。お金以外のものを追求しているピュアな職業を支えたい!

伊藤あゆみ 爆誕!

懐メロが好きな両親の影響で、子供のころから音楽を聴き、ピアノを弾いていました。中学生になって、クラシックが好きになり、高校生になる頃には音楽を専門的に学びたいと思い、声楽をはじめました。高校は大阪の女子高だったので笑いには厳しく、"笑いを自らとりに行く"という積極性が身につきました。希望どおり大学では音楽部演奏学科で声楽を専攻しましたが、勉強することが目的だったので、将来の職業として考えたことはありませんでした。大学は音楽に専念でき、互いに切磋琢磨できる環境ではありましたが、同時に互いがライバルでもある、厳しい競争社会でした。同期生や先生も個性的な人ばかりなので、埋もれてしまわないよう、私も自己主張することを学びました。また、公開レッスンの授業では人前で先生から厳しい指導を受けるため、強い人間に鍛えられました。芸術で成功するには能力的な才能ももちろん必要ですが、もうひとつ、"自分には才能がある"と信じ込み、努力し続ける才能も必要なことに気づきました。私にはどちらもありませんでしたが、だからこそ、ひとつの分野を極めている方へのリスペクトを持つようになりました。

忘れられない人生経験

普通の就職を考え、大学2回生からインターンに率先して参加しました。また、この頃から少しでも就職を有利にするため、履歴書に記載して自己アピールとなる資格をたくさん取得するようになりました。資格取得は趣味となって、現在も続けています。
また、海外のバックパッカー旅行に憧れ、初めてひとり旅でタイのバンコクに挑戦しました。しかし、初日から道に迷ってしまったのに、道行く人がみんな詐欺師に思えて、助けを求められませんでした。途方に暮れていると、現地の人が英語も話せないのに、身振り手振りで道を教えてくれました。人の優しさに心が震え、同時に自分の未熟さや、異国の地での心細さを思い知る良い経験となり、海外のひとり旅が好きになりました。今でも毎年夏季休暇はどこかへ旅立っています。単独での旅行は何か起きても自分で解決しなければならないという緊張感と、現地の方との交流があって、"生きてる!"ということを実感します。

初めての就職

就職では、生きがいと働きがいは違うと割り切り、生活するために働こうと考えました。しかし、お金にならない芸術に身を費やしてきたので、金銭的利益を追求する組織で働くことに抵抗を覚え、お金以外のものを追求するピュアな職業を支える仕事に就きたいと思いました。また、大学での経験から、ひとつの分野を極めた方に対するリスペクトがあったため、大学職員や公的機関を中心に就活を始めたところ、学校推薦で関西の大学の助手(3年任期つき)の求人を見つけました。他の内定先と比較し、この仕事は今しかできないと考え、就職することにしました。
大学助手の業務では、もっぱら文献・講義資料の複写やPDF作成をしていました。とてもゆとりがあり、先生方も優しく、働きやすい職場でした。とても楽しい毎日ではありましたが、社会人としての自分に自信が持てなかったこと、また別室で働く事務職員の方々が頼もしく見えたことから、任期を終えたら補助的業務よりも主体的に業務ができるポジションを目指そうと思いました。

農研機構という職場

大学の先生方が素敵だったので、引き続き研究関係の職場で働きたいと考え、他の大学や農研機構を含む研究機関のポストを探し、最終的に農研機構に転職することにしました。農業が営まれる風景や農村の景観は、ベートーヴェンの『田園』やミレーの『落穂拾い』など芸術に取り上げられ、人の心を動かす美があると考えたからです。
農研機構では本部の人材育成室に配属され、人材育成のための研修などを担当しました。入ってみると期待していたイメージとはだいぶ異なりましたが、職場に老若男女がいることはすごく良いなと感じました。前職では同室には同年代の女性だけでしたし、アフターファイブの飲み会も皆無でした。農研機構では同室に経験豊富な先輩職員がいて丁寧に仕事を教えてくれますし、アフターファイブは呑みに行ったり、カラオケをしたりする毎日でした。おかげで、心を開いて楽しく仕事をするようになり、定時退所日は定時に鍵盤ハーモニカを吹きました。こんなにリラックスして働くようになるとは、想定していませんでした。

江戸はええど!東京勤務

人材育成室で3年働いた後、霞が関の農林水産省農林水産技術会議事務局(技会)へ転籍しました。技会では研究調整課の総務班に所属し、栄典表彰服務の仕事や研修を担当しました。仕事の量が多くて驚きましたが、都会生活ができることを心の支えとして元気に働きました。この職場では人脈が増えましたし、国と比べて農研機構の仕事には自分たちで考える自由があるということに気づくことができました。また、コロナ対応に派遣された職員が帰還した際の慰労イベントを企画し、途中で鍵盤ハーモニカを演奏したところ、とても喜んでもらえました。音楽の力は偉大です!
技会で2年働いた後、農研機構に戻り、現在の職場である管理本部新橋事業場に赴任しました。ここでの主な仕事は調達ですが、人が少ないので庶務・会計の仕事も担当しています。新しい事業場で、仕事のやり方が定まっていないことが多く、毎日、手探りで進めています。スタッフには外国人や民間企業を退職して来られた方が多いため、農研機構内での常識が通用しません。今後は農研機構にも外部から転職してくる人材が増えることが予想されますので、外部から来た人でもすぐに馴染めるように、効率的で分かりやすい業務フローを構築しなくてはいけないと感じる今日この頃です。

仕事帰りのお酒は幸せです!/職場のみなさんとは、プライベートでも一緒に旅行に行くぐらい仲良しです/休日は近所の子供動物園に散歩に行きます/海も山も大好きです!(小笠原)