ダイバーシティ推進 Diversity and Inclusion

ルハタイオパット プウォンケオ 本部 NARO開発戦略センター 主任研究員

日本語はカラオケで勉強。どんな仕事でも努力すれば糧となって繋がっていく!

海外への好奇心と奨学金が来日を後押し

出身はタイのバンコクです。幼い頃は、おしゃべりなおしゃまな子供で、"学校の先生ごっこ"が好きだったことを覚えています。英語教育は幼稚園の時から受けており、小学生の一時期英語嫌いになったことはありましたが、中学校からは英語が好きになり、海外への興味もわいてきました。大学は先に進学していた従兄に勧められ、カセサート大学の経済学部に入学しました。しかし、1年通ったところで、大学の友人から日本の東京農業大学(農大)で留学生に対する奨学金があるという情報を得ました。英語が好きだったこともあり、海外への好奇心が人一倍強かったので、日本語を習ったことがないにも関わらず、その友人と一緒に農大の奨学金へ応募しました。残念ながら友人は不合格でしたが、合格した私は農大の1年生として来日し、国際バイオビジネス学科で農業経済や農業経営を学ぶことになりました。授業は日本語だったので、日本語を一から学びましたが、役に立ったのは学校の授業ではなく、もっぱらカラオケでした。友達と一緒にカラオケに行っては、2000年前後の曲をたくさん唄い、多くの言葉を覚えたのは良い思い出です。農大で4年間勉強したのち、もう少し海外での勉強を続けたいと思い、引き続き農大からの奨学金を得て修士・博士課程の勉強を続けました。博士課程では、タイの食生活の変化と要因について計量経済学の手法で研究を行っていました。学位を取得したことで、自分にできることは研究しかないと思い、研究者の道を進むこととしました。

敷かれたレールに乗っていけばいい

学位を取得したのは、東日本大震災の年でした。心配したタイの親からも航空券が送られてきて、帰国するように言われました。しかし、もう少し日本で学びたいとの思いもあり、一時帰国して心配する親をなんとか説得して日本に戻ってきました。博士課程を修了した後は農大で研究員になることを予定していましたが、研究を中心とした継続的な支援を目的とした「東日本支援プロジェクト」が農大で開始したことから、被災地にかかわる仕事をすることになりました。学生ボランティアを何度も被災地に連れて行き、農家の被害状況の調査や、農地の放射能測定、農作業の手伝いなどを行いました。このプロジェクトにかかわることで、日本の農家のおかれている状況への理解も深まり、農業経営の観点からも多くを学ぶことができました。その後、筑波大学(筑波大)の助教のポストの公募があり、指導教授から応募するように強く勧められ、2年半の任期付き助教のポストを幸いにも得ることができました。筑波大では、農業経営についての知識も持った職員を求めていたため、学生時代に学んだ消費に関する知識に加え、震災関係の仕事を通じて農業の現場を知ったことが大きな強みとなったと思います。筑波大では、農業経営研究や土地利用型作物を対象とする革新的技術体系の経営評価を行うプロジェクトに参画するとともに、授業も担当しました。子供のころに楽しんだ"学校の先生ごっこ"に繋がった気がしました。筑波大での任期が終わるころに、農研機構で研究職員の公募が出ていたので応募したところ無事に採用されました。これまで、何度か進路について考える機会がありましたが、大学時代の指導教授から言われた「敷かれたレールに乗っていけばいい」という言葉に従い、目の前に与えられたことにその都度チャレンジしてきました。 頼まれた仕事を断ったことがありません。どんな仕事でも、努力すればそれが自分の糧となり、次のステップに繋がっていくという実感があるからです。

広い視野で仕事をすることの楽しさを実感

農研機構での最初の配属先は食農ビジネス推進センターでした。そこでは、農研機構が開発した品種や技術の普及・実用化のためのマーケティング調査を行っていました。農研機構本部農業経営戦略部に異動になった直後に2人目の子供を出産し、半年間の育児休業(育休)を取得しました。育休から復帰した後、現在所属している農研機構本部NARO開発戦略センター(NDSC)に着任しました。NDSCでは将来を見据えた研究開発戦略の策定に携わっています。農研機構全体の仕事を俯瞰して、様々な情報を収集して戦略を立てるといったことをしています。農研機構が開発した温室効果ガス削減技術と温暖化への適応策のアジアへの展開に向けた取り組みも行っています。農研機構が社会に対して、国内だけでなく国際的にもいかに貢献できるか、という観点で仕事をしているので、本当にやりがいがあります。それに農研機構には様々な分野で、すごい方がたくさんいるので、多くの学びがあります。いずれはまた研究に戻って、長期在外研究にチャレンジすることも希望しています。

多様性(ダイバーシティ)が家族の基本

結婚したのは、筑波大に勤務していた時です。夫は農業をしながら、主夫として子育てをはじめとする家事全般を担当してくれています。外で働いているのは私になります。子供は6歳の男の子、3歳の女の子、そして10か月の男の子の3人です。平日は夫が家事全般を行ってくれるので、私は休日に料理をしたりしています。子供は夫とは日本語で、私とはタイ語で会話するように自然となりました。農研機構に就職してから2人の出産をしましたが、その都度、半年ずつ育休を取得しました。妊娠したことを報告した時も、職場の方には快く受け止めていただき、育休も取りやすかったです。日本では、出産手当をはじめ、様々な手当てもあります。また、農研機構にはワーク・ライフ・バランスに配慮した様々な制度があり、子育てをするうえで、本当に助けられています。育休の間は、代替職員の雇用もありますし、子育て中の研究職員に対しては、研究支援要員雇用のための資金援助もあり、私も支援を受けました。子育てをしていて、これまでこれと言って困ったことはなかったですね。とても働きやすい職場環境で、充実した生活を送っています。

ヨーロッパでのシャインマスカットの嗜好性調査。/北海道の流氷。暑い国生まれなのに、寒いところが大好き。/子供たちへの食農教育