農研機構

特集に寄せて

―先人からの預かりもの
ゼロから1を生む未来のタネ

50年ほど前のこと、小学生の私は何を思ってか台所から乾物の豆を取り出し、水を与えて観察を始めました。やがて根が出て、つるが伸び、その先に白い花が咲いて、想像もしなかった立派なサヤインゲンが食卓に上ることになりました。食べ物に対するちょっとした好奇心と、"種まき"がもたらした小さな奇跡が、その後、農業研究の道を志すことになる原体験だったのかもしれません。
「播かぬ種は生えぬ」と言われるように、農業の一の基盤として種は無くてはならないものです。当センターでは、農業に役立つ多種多様な生物のタネを大切に保存する農業生物資源ジーンバンク事業を実施していますが、そのタネは一般栽培用のそれではありません。たとえば世界中に分布する、作物の近縁の野生種あるいは地域ごとに特色のある在来種があります。これ自体が生む経済価値は大きくはなく、ほぼゼロに近いものが多いかもしれません。しかし品種改良の交配親として画期的な新品種を生んだり、食料生産の安定や、新しい経済を生んだりすることのできる潜在能力を持つタネ、未来をつくるための遺伝資源です。
本事業では植物のみならず微生物、動物のタネも幅広く保存しています。微生物では、乳酸菌や麹菌などの有用なものだけでなく、植物の病気の原因となる微生物も保存して研究利用しています。古くから利用してきた在来家畜やカイコなどもあります。先人が苦労して集めつないできた遺伝資源をお預かりし、多くの方に利用していただいて農業の研究成果を生み出す縁の下の力持ちの役割をもち、さらにこのバトンを確実に次世代へ引き継いでいくのが本事業の使命です。
日頃食べているお米、野菜、果物、畜産物、乳製品などは何らかのかたちで遺伝資源が関わっています。農業生物資源ジーンバンク事業の一連の活動について、本誌を手に取られたみなさまのご理解が深まれば幸いです。

農研機構 遺伝資源センター長 川口 健太郎