農研機構

インタビュー 究める人

農研機構 畜産研究部門
畜産飼料作研究領域 省力肉牛生産グループ

主任研究員 芳賀 聡

畜産研究で
「みんなのハッピー」をつくる

2006年に東北大学大学院を中退し、(独)農研機構畜産草地研究所(現畜産研究部門)に入所後、放牧管理研究チーム(那須)へ配属。「ウシのビタミンE体内動態と関連遺伝子発現特性に関する研究」で2016年同大学大学院にて博士(農学)号取得。同年、日本畜産学会奨励賞を受賞。牛以外の趣味は自転車。

牛はもちろん、畜産農家や産業動物獣医師の「ハッピー」に貢献するため衛生学研究に熱く取り組む若手研究員の登場です。
恐竜好きだった少年が、牛のとりことなり牛の研究者になるまでのワクワクや苦労、情熱や願いを生き生きとお話しいただきました。

恐竜に夢中だった少年時代

子どもの頃、デカい恐竜が大好きでした。映画『ジュラシックパーク』(1993年公開)に、めちゃくちゃ興奮したのも覚えています。父が高校で地学の教師をしており、生徒を連れていく化石採集に自分も一緒に行ってロック・ハンマーを振りルーペを覗いてました。新生代の動物を研究する父を真似て、小学校4年生の自由研究で「化石の研究」(図1)をまとめたことも。県大会で発表した時のポスターは両親が丁寧に保管してくれていて、今見てもちゃんと目的、方法、結果、まとめがあって、学会発表に使えそうです(笑)。

図1 初めての研究発表となった「化石の研究」

「市の研究発表会で選ばれて、秋田県の発表会にも参加しました。
当時は人前に立って発表するのが恥ずかしかったのを思い出します。今はイケイケです(笑)」

家畜の研究って最先端!?

牛との初めての遭遇は、通学路脇にある小さな農家さんで飼われていた乳牛でした。柵越しに乳牛を見て、「でっけえな!」と。子どもの自分にとっては、牛の大きさって恐竜のように非日常感満載! ワクワクしました。そして、中学時代に新聞で目にしたクローン羊※1にも興味をかき立てられました。「人間に応用可能」という記事を読み、手塚治虫の『火の鳥生命編』※2に登場するクローン人間(図2)と重なって、「それってヤバくね?」と。その頃から、化石から生きている動物・生命へと興味が移っていったんだと思います。翌年には牛のクローン※3が誕生し、「家畜の研究って最先端かも」と思いました。大学はクローン研究をしていた東北大学農学部に進路を決めました。

図2 クローンに興味を抱く
『火の鳥(9)』(手塚 治虫) : 手塚治虫文庫全集 | 講談社コミックプラス(kodansha.co.jp)©手塚プロダクション

※1 : 1996年、世界初の哺乳類の体細胞クローン羊がイギリスで誕生。「ドリー」と名付けられ、大きな話題となった
※2 : 1980年に「マンガ少年」(朝日ソノラマ)にて連載された。「火の鳥」シリーズ第10部
※3 : 1998年、近畿大学農学部と石川県畜産総合センターの協働で世界初の2頭のクローン牛が誕生

研究者の道へ

大学では家畜生理学研究室へ入りました。そこでの研究は、牛の最先端の研究に触れている実感があり、牛の研究者になりたいと強く思いました。恩師である研究室の教授は農水省時代の元畜産試験場から東北大学へ移った方で、私に農研機構の研究者の道を紹介してくれました。大学院修士1年の時に公務員試験に合格! 早く牛の研究者になりたくて、大学院を中退して農研機構に飛び込みました。

農研機構へ入ったものの…

農研機構に入って最初の7年間は特にキツかったです。研究経験が浅く、やっていることが研究の形を成していなかった。研究者なら自分で研究費を獲るべきだと、文科省の科研費などに応募するのですが、玉砕して不採択通知だけがたまっていく…。実績がないので当然ですが(笑)。さらに、博士号をもつ同期達が結果を残す中、自分にはない。みんなはできて自分にはできないと、不安に陥りました。加えて、放牧における牛の研究が難しい。一つの試験に春から秋と長い時間と大きな労力がかかるため、失敗したときのダメージは絶大で、結果が出ないまま1年が終わってしまいます。今思い返しても当時の不安と焦りは相当で、眠れない日もありました。

8年目にして研究が回りだす

実験計画立案や競争的資金の申請書作成法など研究の基礎は、分野・所属問わずいろんな方に教えを請いました(研究素人の妻にも毎度申請書を読んでもらいダメ出しを受けます)。そして、2013年春に科研費が、その1カ月後に財団の研究助成が立て続けに通りました。さらに同時期に、放牧が牛の健康に与える影響を調査した研究論文が国際誌にアクセプトされ、研究者として一歩前進したことを強く感じました。7年の間、地道に鍛えられたんだと今は思います。見守ってくれた皆さんには大変感謝しています。苦しかった時も、地道に牛の観察だけは続けて、やりたい研究テーマを温めてきたことも今につながっています。

牛研究支援のプロがいる

那須業務科那須家畜技術チームの佐藤和馬さん(右)、齋藤陽太さん(左)と一緒に。
「那須業務科の高度かつ広範な技術支援力があるから、世界に通じるオリジナリティある研究ができるんです、感謝!」

畜産学と獣医学の懸け橋に

今年、学会※4で発表した牛伝染性リンパ腫ウイルス(BLV)の伝播阻止放牧コンセプトの実証研究も仮説通りの結果を得て、今は成果のまとめに入っています。長年続けてきた乳牛の周産期疾病リスクの研究は、今年度新たに科研費で大きな予算を得たので、研究を深化、加速させていきたいです。乳牛は分娩後に相当の確率で体調が悪くなるのですが、この周産期疾病は酪農分野において世界的な課題となっており、私もチャレンジを続けていきたいです。個人的解釈ですが、衛生とは広義な意味で、健康そのものを(まも)ることだと捉えています。最初に所属したラボの皆さんは獣医師で、体調を崩す牛を私も一緒にたくさん見てきました。そうなれば牛もつらいし、農家さんもつらい。看病には労力も治療費もかかります。そして牛が死んだらすべてが失われます。牛など大型家畜を診る産業動物獣医師の仕事は、3Kだと認識され敬遠されがちです。でも、産業動物獣医師が増えなければ、農家の牛を診る人がいなくなってしまう。ある獣医の先生の「畜産側の人ももっと牛の病気を減らすことを考えてほしい」という言葉が常に頭にあります。その通りだと思います。獣医学と畜産学にはなんとなく壁? 溝? みたいなものがあるんです。確かに獣医師は診断・治療ができますが、私にはできない。だから畜産の研究者として自分が「牛の健康」に対してできる「ストレス緩和、代謝・免疫機能向上そして疾病予防」についてずっと考えています。獣医学マインドを肌で感じてきた自分だからこそ、畜産学領域と獣医学領域の懸け橋になる研究ができるのではないか。それが自分にとっての衛生学研究であると思います。牛や農家さん、産業動物獣医師さんたちの「つらい」を解放し、「みんなのハッピー」につながると信じて、研究に取り組んでいます。

※4 : 日本畜産学会第128回大会「2シーズン反復試験による、BLV伝播高リスク牛とおとり牛を用いたBLV伝播阻止放牧コンセプトの効果検証」

BLV伝播阻止コンセプトの実証モデル放牧地で

メッセージ

もうそろそろ自分も若手研究者から卒業です(笑)。自分の研究だけでなく、仲間を増やし、新しい若い力につなげていきたい。産学官連携で強力に推進するため、「次世代型家畜生産技術の研究開発プラットフォーム」※5を立ち上げて、プロデューサーチームメンバーとして運営もしています。参画機関も拡大し、現在、6大学、14企業、12国公立機関が連携しています。
恐竜好きから始まった私の話が、研究者を志すきっかけになったり、悩める若手研究者のお役に立てるなら「ハッピー」です。

※5 : 農林水産省『「知」の集積と活用の場』産学官連携協議会「次世代型家畜生産技術の研究開発プラットフォーム」

芳賀さんって、こんな人

芳賀さんが農研機構に就職して以来の長い付き合いで、おそらく機構内では付き合いが一番長いと思います。彼は普段からよく物事を考えているし、ち密でもある。何か失敗したとしても切り返す粘り強さもありますね。
コミュニケーションをすごく大事にするので、業務科の皆さんとも一体感を持って効率よく研究を進めていますし、仕事がひと段落すれば、関係者全員で写真を撮ったり、今はできないですが懇親会を催したりとムードメーカーでもあります。今後は組織の枠を超えて若手研究者の育成にも積極的に取り組んでくれることを期待しています。

農研機構 畜産研究部門 研究推進部
研究推進室長 石崎 宏