農研機構

インタビュー 究める人

農研機構 動物衛生研究部門
動物感染症研究領域細菌グループ

上級研究員 川治 聡子

研究者の道を切り開いたのは
"役立つ"うれしさ

2000年に帯広畜産大学獣医学科を卒業後、獣医師として5年間埼玉県中央家畜保健衛生所に勤務。2002年動物衛生研究所(現・農研機構 動物衛生研究部門)で長期研修、2005年非常勤研究員となる。ヨーネ病研究に携わったことをきっかけに研究者を目指し、 2006年シドニー大学博士課程へ留学。修了後は農研機構の研究員として動物衛生研究部門でヨーネ病の研究を続ける。

家畜伝染病予防法の監視伝染病に指定されているヨーネ病(※1)の研究ひと筋の川治研究員に、これまでのキャリアや研究者を目指すようになったきっかけ、そして探求することの醍醐味をお話しいただきました。

※1 ヨーネ病 : 原因菌はヨーネ菌。牛、めん羊、山羊などの反すう動物に、慢性の頑固な間欠性の下痢、乳量の低下、削痩等を引き起こす。妊娠や分娩などのストレスが発病の誘因とされている。国内では摘発頭数が増加の傾向にある

始まりは家畜保健衛生所

私の経歴はもしかすると、研究者としては少し変わっているのかもしれません。動物好きだったことから北海道の帯広畜産大学獣医学科に進学しました。入学時にぼんやりと思い描いていた将来は、動物園の獣医師です。大学では解剖学の研究室に所属して、動物の体の構造や骨などを研究していました。当時は研究職にはまったく興味がなく、かと言って犬や猫のお医者さんというイメージもわかず、進路が決まらなければ1年くらい海外を放浪しようかなくらいの気持ちで地元埼玉県の採用試験を受けました。大学卒業後、家畜防疫員として埼玉県の家畜保健衛生所に就職。これが研究者への第一歩になるとは思いもしませんでした。

ヨーネ病との運命(?)の出会い

家畜保健衛生所では人材育成の一環として、農研機構での研修に派遣する制度があります。これも何かの縁だったのか7カ月間の長期研修を受講することになり、配属された研究室での主な研究テーマがヨーネ病でした。ヨーネ病は、牛や羊、山羊といった反すう動物がヨーネ菌に感染し、慢性的な下痢や乳量の低下、栄養状態の悪化とともにやせ細り、やがて死に至る監視対象の家畜伝染病です。2002年に動物衛生研究所(当時)で長期研修を受けて以来、私はヨーネ病ひと筋に研究を続けています。

長期研修で"研究"をかじる

研修生として配属された私の指導をしてくださったのが、免疫機構研究室室長(当時)の森康行先生です。森先生から、「研修では、家畜保健衛生所の業務にも応用可能な、現場の役に立てる課題に取り組もう」とアドバイスをいただき、当時所内で初めて導入されたリアルタイムPCR装置を用いて、ふん便中に排出されたヨーネ菌を検出する遺伝子検査法の開発プロジェクトに参加することになりました。ヨーネ病診断のゴールドスタンダードは、ふん便中に排出されたヨーネ菌を培養検査により分離することですが、ヨーネ菌は非常に発育の遅い細菌で、結果が得られるまでに2カ月以上かかるため、迅速に診断できる検査法の開発が求められていたのです。森先生のご指導のもと、試行錯誤を繰り返しながら新しい検査法を作り上げていく過程は、単純に楽しくワクワクするものだったと覚えています。このとき開発した遺伝子検査法は、その後、森先生らによってキット化され、ヨーネ病検査の公定法として全国に普及しています。

現場への貢献は"蜜の味"

私が埼玉県に入庁したのは2000年のこと。国内では92年ぶりとなる口蹄疫が発生、翌2001年には国内初となるBSE(※2)感染牛が発見され、全国の畜産農家さんが家畜伝染病対策に苦慮していた最中でした。ヨーネ病に関しても、県内で感染牛の摘発が相次ぎ、発生農場では定期的な全頭検査によって清浄化を目指す対策が進められていました。私は、農研機構での研修を終えて家畜保健衛生所に戻り、上司の理解と農家さんの同意を得て、研修中に確立したリアルタイムPCRによる遺伝子検査をヨーネ病発生農場で試験的に導入することになりました。このとき、自分が開発に関わった検査法が現場で使われ、ヨーネ菌感染牛の摘発や発生農場の清浄化に貢献することを実感し、研究の醍醐味を味わってしまったのだと思います(笑)。さらにヨーネ病の研究を続けたいと思うようになり、埼玉県を退職。オーストラリアへの留学を決めました。

※2 BSE : 牛海綿状脳症。牛の病気の一つで、BSEプリオンと呼ばれる病原体に牛が感染した場合、牛の脳の組織がスポンジ状になり、異常行動、運動失調などを示し、死亡する

ヨーネ病の権威に直談判!

留学先はオーストラリアのシドニー大学。偶然読んだ1本のヨーネ病に関する論文がきっかけでした。論文を書いたのはヨーネ病研究において世界的権威である、リチャード・ウィッティントン先生です。リチャード先生は、ヨーネ病検査や清浄化対策に関わる人のニーズに直接貢献するような研究成果を数多く発表されており、私が目指す研究者像にぴったりだと思いました。「ぜひ先生のもとで学びたいので、大学院生として受け入れてほしい!」と直談判のメールを送り、さらに研究室の下見にも行きました(笑)。シドニー大学での4年間の学生生活は私の財産です。解決すべき課題を見つけ、計画を立て実行し、うまくいかないときは自分で試行錯誤して、最終的には論文等でアウトプットするところまで、一連のプロセスをやり遂げる力を身に付けることができたと思います。

シドニー大学の卒業式で。
恩師の一人、リチャード・ウィッティントン先生と。

ヨーネ病研究のため"出戻り"を決意

ヨーネ病は、感染してから発症するまでに2~5年もかかるのですが、シドニー大学での博士研究では、ヨーネ病の特に潜伏期間に焦点をあてて、ヨーネ菌の動態解明や早期診断法の開発に取り組みました。農研機構での研修中に確立したリアルタイムPCRによる遺伝子検査は、牛だけでなく羊のふん便でも有効であることを確認し、今ではオーストラリアとニュージーランドにおけるヨーネ病検査に広く導入されています。博士課程修了後も現場の役に立てるような研究を継続したいと思っていたところ、タイミングよく(?)農研機構・動物衛生研究所(当時)でヨーネ病の研究員を募集していることを知り応募しました。今度は研修生ではなく研究員として、農研機構に出戻りをしたんです(笑)。

役立つためには現場の声を

気づけば、ヨーネ病に出会ってから、今年で丸20年! 現在も、一貫してヨーネ病の発病機構の解明や診断法の開発・改良に取り組んでいます。「現場に役立てる研究をしたい」、今でもこうした想いで研究を続けていますが、そのヒントをくれるのは現場の声です。かつての私のように都道府県の家畜保健衛生所から配属されてくる研修生の声は、まさにリアルです。ヨーネ菌に感染した動物、ヨーネ病が発生してしまった農家さん、病気の清浄化に携わる家畜保健衛生所の方々が求めていることを的確にとらえ、少しでも貢献できるような研究を心がけたいと思っています。

写真左から : 泉一宏さん(北海道長期研修生)、川治上級研究員、三浦達弥さん(茨城県技術講習生)

メッセージ

世界の動物衛生向上を目指す『国際獣疫事務局(OIE)』の専門委員に選出され、 2021年から活動が始まります。

川治さんって、こんな人

川治さんは、とにかくバイタリティ豊か。畜産の現場を知り、現場への貢献を大事にするからこそ、目的意識が高く、家畜保健衛生所の先輩や後輩から話を聞くだけでなく、目的を達成するためなら上司とのケンカもいといません(笑)。それなのに普段は、とっても穏やかな"愛されキャラ"。彼女が『国際獣疫事務局(OIE)』の専門委員に任命されたのも、彼女の実力が評価され、「立候補してみなさい」という所長の後押しがあったからだそうです。上司にも部下にもみんなに慕われ、信頼される研究者です。

農研機構 動物衛生研究部門研究推進部
研究推進室長 吉岡 都