新年のご挨拶
R3年1月 冨田 宗樹
謹んで新年のご挨拶を申し上げます。
新年冒頭ではございますが、コロナ禍に世界全体が揺さぶられている今日にあって、感染拡大の影響を受けておられる方々には心よりお見舞い申し上げます。また、感染の抑止に当たっておられる方々に感謝申し上げます。感染の一日も早い収束を願って止みません。
農作業、特に雇用関係のない農家での農作業安全を、他の事案との類推で考えるとき、当事者間の関係性に違いがあることに気付きます。産業安全の場合、経営者が従業員を危険な状態に置きながら収益を求めることは許されません。一方、雇用関係のない農業者が自分の判断で行う農作業についてはどうでしょうか。基本的には、私有地で私的な行為を行い、他人に害を及ぼしていないとするのであれば、当事者の自由と考えることが可能です。しかし、一般に、危険な農作業を行うのもその人の自由で、他人が口を出すことではない、と思われてはいません。それはなぜでしょうか。
理由はいくつか考えられます。1つは、農作業で安全に配慮しないことの不利益が大きいことです。残念ながら農作業では事故が多発しています。どの人にとっても命を失う、または生活に支障を来すほどの怪我をするということは莫大な不利益です。農業の継続も不可能になりかねません。一方で、現状では誰もがそのことを十分に認知しているとはいえません。このことを踏まえると、農業者の皆様に事故のリスクと経営への影響の大きさを適切に認知して頂き、最善の選択をして頂くことが、農作業安全を推進する1つの目的ということになります。
もう1つは、「良い農業者」は安全に配慮するはずであるということです。まず、農業が不可欠な産業であって、価値があり、単なる個人的な行為ではないということは社会的に合意されているといえます。すると、社会には、農業者が安全に農業を続けることが望ましく、それが「良い農業者」の条件の1つであるという合意も存在するといって良いのではないでしょうか。そうしますと、より良い社会を目指すために、皆がその一員として農作業安全の実現に努めるべきということになります。
他にもいろいろな根拠が考えられるかもしれませんし、異論もあるかもしれません。重要なのは、「なぜ取り組まなければならないのか」をしっかりと問うことであると考えます。そして、答えは私たちの行動の中にあります。本年も農研機構で農作業安全に携わる職員一同は、安全への取り組みの根拠について問い、議論しながら、行動を通じて自らの「答え」を示して参ります。