農作業安全コラム

安全は「義務」か

R6年1月 冨田 宗樹

 謹んで新年のご挨拶を申し上げます。この度の能登半島地震によって亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、被災された皆さまにお見舞い申し上げます。一日も早く平穏な日々が戻ることを心よりお祈り申し上げます。

 さて、安全というと、「上」から「義務」として重荷を背負わされるように感じる方も少なくないかも知れません。
 確かに、安全には「義務」の一面があります。人を雇う場合には、雇われた人の安全を確保する義務(安全確保義務)があり、多くの安全対策がこの義務を果たすために取られています。
 では、「義務」を感じない対象、すなわち「自分」の安全についてはどうでしょうか。「義務」に基づく対策だけでは、自分がその対象に入っていません。ですから、特に農業においては、これが安全を実現する上での大きな「穴」になってしまうことに気付きます。

 そこで、次のように考えてみてはいかがでしょうか。

 「あなたが尊敬するVIPがある日突然訪問してきたと想像してください。(中略)できるかぎりのことをするでしょう。(中略)結局、VIPにどんな歓待をしたとしても、あなたにとって、あなた自身が最大のVIPでしょう。なぜ、自分に対してそうしないのですか。」(※)
 農業者の皆様は、我が国の農業を守り、毎日の暮らしに欠かせない農作物を生産していることに誇りを持っていらっしゃると確信します。一方で、ご自身の職業人としての誇りが、「自分自身を親友のように扱うことで得られます」(※)という面にも目を向けていただきたいのです。それこそが、ご自身の安全の第一歩であり、決して「上」から押しつけられるものではありません。

 このWebサイトの「事故事例検索」のいくつかの事例で見られますように、多くの事故が、自分以外には決して命じないような作業で発生しています。その中には、被害者の方の「何とかして自分がやらなければ」という責任感からの無理な作業につながってしまった痛ましい事例もあります。
 もし、そんな考えに陥ったときに、ご自身の誇りとかけがえのなさを、思い出せるようにしていただきたいのです。
 重責を背負って職務に当たっている一人として、私もそのことを忘れずに、来年も皆様と無事に紙面でお会いできるように、心して過ごして参ります。

 

※:バーンズ D. D.:いやな気分よ、さようなら、第2版第4刷p356、星和書店

 

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