生物系特定産業技術研究支援センター

新技術・新分野創出のための基礎研究推進事業

2008年度 事後評価結果

酵母の発酵環境ストレス適応機構の解明と新規な発酵生産系開発への基盤研究

(奈良先端科学技術大学院大学バイオサイエンス研究科 高木 博史)

総合評価結果

優れている

評価結果概要

(1)全体について

本研究は、酵母の異常タンパク質の生成回避・検知処理機構を解明し、各々の機構の高機能化と高度利用により新規発酵生産系を開発することを目的としている。
実験室酵母を用いた基盤的研究では、ストレスによる異常タンパク質の生成回避に働くと考えられるプロリンの高度蓄積株の取得と機構の解析が行われ、プロリン蓄積時に変動する遺伝子発現プロファイル、プロリンの細胞内局在とその効果、製パン用酵母や清酒酵母でのプロリン蓄積株の有用性などが明らかにされた。また、関連するMpr1の研究から、冷凍やエタノールなどで酵母内活性酸素種(ROS)レベルが上昇し、Mpr1はこの酸化ストレスを解消するという発見がなされた。製パン用酵母で高機能型Mpr1発現株が乾燥に強くなることも示し、実用性への道筋を付けたことは、意義が大きい。さらに、異常タンパク質を検知し処理するユビキチンシステムについては、ユビキチンリガーゼのRsp5変異株を解析し、転写因子RNAの核外輸送に影響することなど、新たに重要な知見が得られた。一方、産業酵母を用いた応用的研究では、製パン用酵母と清酒酵母を対象として、ストレスによる遺伝子発現の変動が網羅的に調べられ、変動した遺伝子の破壊あるいは高発現により発酵能力の変化があることを認め、更なる優良菌株の育種が可能であることが示された。特に酒造酵母のエタノール耐性の機構解明は昔から試みられてきたが、成功していなかった。その意味でも、この研究は意義がある。将来バイオエタノール生産への利用も考えられる。
本研究では、ほぼ計画された通りの成果が得られ、さらに加えて、いくつもの予想を超えた成果を挙げている。研究代表者の十分な研究統括のもとで、中課題の項目設定や全体のまとまりは非常に良好であり、それぞれの進捗のバランスも良かった。取り上げている課題が、ストレス耐性酵母の育種という発酵産業に直結する課題であるだけに、今後の発酵産業への貢献も十分期待できる。情報発信も十分積極的になされたといえる。

(2)中課題別について

中課題A「異常タンパク質生成を伴うストレスに対する酵母の適応機構の解明」
(奈良先端科学技術大学院大学バイオサイエンス研究科 高木 博史)

プロリン高度蓄積酵母株の取得と機構解析から、プロリン蓄積時に多くの遺伝子の発現プロファイルが変動すること、蓄積したプロリンは培地などにより細胞内の局在が違うこと、製パン用酵母や清酒酵母からプロリン蓄積株を作製して有用性が認められることなど、現状で考えられるほとんどの実験が行われた。しかし、トレハロースやグリセロールのようなストレスで誘導される適合溶質と異なって、含量が多ければ良いのではなく、プロリンのストレス保護機能には適切な細胞内含量が重要であることも明らかにされた。関連するMpr1の研究が大きな発展をみせ、冷凍やエタノールなどで酵母内の活性酸素種(ROS)レベルが上昇し、Mpr1の高発現はこの酸化ストレスを解消するという、興味ある発見がなされた。製パン用酵母で高機能型Mpr1発現株が乾燥に強くなることも示し、実用性への道筋をつけられたことは、意義が大きい。異常タンパク質を検知し処理するユビキチンシステムについては、Rsp5変異株を解析して、転写因子RNAの核外輸送に影響することを示し、マイクロアレイ解析や標識タンパク質の解析などから、Rsp5の基質候補を絞込むところまでは計画通りに進んだ、この知見を実用酵母に応用できるようにするのは、より多くの時間のかかる研究が必要であろう。総体として本中課題は、ほぼ計画された通りの成果を得ており、更に加えて、いくつもの予想を超えた新たな発見もあり、将来への発展も提起されている。実用酵母における育種にも踏み込んでいることから、生物系特定産業への寄与も十分高い。優れた意義のある研究である。原著論文の公表、特許出願、発表会の開催と研究成果の情報発信も積極的に行われている。

中課題B「パン酵母におけるストレス耐性の網羅的解析と新機能開発」
(農研機構 食品総合研究所 島 純)

製パン過程における、冷凍・乾燥・高ショ糖などの条件下で酵母のストレス応答に関わる遺伝子が調べられた。まず、実験室酵母の遺伝子破壊株セットにより、正および負にストレスと関連する遺伝子の網羅的スクリーニングがなされた。次いで、各種実用酵母株のマイクロアレイによる解析により、改変標的遺伝子が絞り込まれた。負の要因である、タンパク質脱リン酸化酵素とアルデヒド脱水素酵素の遺伝子破壊株が、それぞれ高ショ糖ストレスと乾燥ストレスに耐性になりうることが示された。正の要因である、転写複合体に関わるSPT20、転写伸長に関わるRLR1などの過剰発現が高ショ糖ストレス・冷凍ストレスに耐性を向上させることが示された。芳香族アミノ酸合成に関わる遺伝子、小胞輸送に関わる遺伝子、液胞型ATPaseのアセンブリや制御に関わる遺伝子などの過剰発現も有効であったことなどは、学術上・応用上大きな科学的価値をもっている。実際に作製した酵母株で、冷凍障害や乾燥に対して耐性が向上したものが得られたことは、生物系特定産業への寄与も大きいといえる。本中課題も優れた意義のある研究である。原著論文の公表、特許出願に積極的に取り組まれ、当初の目的であった遺伝子発現プロファイルのデータベース化と公開も達成されおり評価できる。今後は、情報科学研究者との連携などを通じて、ストレス耐性に関する遺伝子発現ネットワークがどのようなものかについて、ぜひとも取り組んで頂きたい。

中課題C「清酒もろみにおける酵母の遺伝子発現ネットワーク解析とその応用」
((独)酒類総合研究所 下飯 仁)

清酒酵母に関しては、三段小仕込の清酒醸造もろみから、発酵の各ステップにおける遺伝子発現プロファイルを解析し、遺伝子発現が徐々に変化して、仕込み始めと終了近くでは大きく変わっていることを明らかにした。18%以上のエタノールを生産する清酒酵母は14%程度しか生産しない実験室酵母よりエタノールに高感受性であるという予想外の結果も得た。その後の解析で、実験室酵母と大きく発現プロファイルの異なる遺伝子として、ユビキチンシステム、酸化還元、プロトン輸送、リボソームの形成・機能などに関わるものを同定した。さらに、エタノールストレスへの適応に、カルシニューリン/Crz1シグナル伝達系が関わることを明らかにした。育種に関しては、ポリユビキチン遺伝子UBI4の破壊により、実験室酵母のエタノール高生産性は向上するが、清酒酵母ではその効果がないなどの結果が得られ、遺伝的背景の影響の大きさが確認された。これはその後、複数の量的形質遺伝子座(QTL)の同定へと発展された。これらの成果の科学的価値は高く、エタノール高生産のメカニズムは清酒醸造以外の生物系特定産業への寄与が十分期待できる。原著論文の公表、特許出願と、情報発信も積極的になされている。
本中課題も優れた意義のある研究である。今後は、清酒醸造という極めて日本的な研究テーマを、ストレス応答という普遍的なテーマにぜひとも昇華して頂きたい。また、多くの実験条件下で得られた種々のDNAマイクロアレイデータが適切に、使いやすい形で公開され、関連研究の進展に役立つことを願う。