生物系特定産業技術研究支援センター

新技術・新分野創出のための基礎研究推進事業

2008年度 事後評価結果

ネムリユスリカの極限環境に対する耐性の分子機構の解明

(独立行政法人農業生物資源研究所 奥田 隆)

総合評価結果

当初計画どおり推進

評価結果概要

(1)全体評価

ネムリユスリカの極限に近い乾燥に耐えて生き抜く特異な現象に着目し、この幼虫の乾燥耐性機構を解明しようとする研究課題である。このネムリユスリカのクリプトビオシス(体内の自由水を完全に失った無代謝の状態)の誘導される経過や覚醒に関わる事象について、分子レベルでの機構をある程度解明できたことは大いに評価される。中課題Aが明らかにした生物学的現象に中課題Bが物理化学的に解釈と根拠を与えることに成功しており、両課題の設定と連携が有効であったといえよう。
以上のように、乾燥耐性の分子機構についての理解は大いに進んだが、その応用あるいは技術の開発にまでは至らなかった。しかし、細胞や組織個体の乾燥による常温保存技術の開発に利用できる可能性があるなど、その方向性は示され、今後の研究でやるべきことが5年前と比べてはるかに明確になり、今後の指針を描くことができているということからすれば目標は達成され成功であったと評価してよい。
今回必ずしも完結しなかった課題、すなわち、ネムリユスリカ幼虫の組織学的な観察と解析、分子機構の中でもシスエレメントの同定と機能解析を含むシグナルトランスダクションの解析や覚醒時の修復の分子機構、遺伝子機能解析のためのRNAi法の確立などについて、今後継続して研究を行い、その答えを出してほしい。また、基礎研究で終わることなく、今回はほとんど進めることのできなかった異種細胞への遺伝子導入によるクリプトビオシスの誘導技術開発などについても挑戦していくよう期待する。

(2)中課題別評価

中課題A「ネムリユスリカのクリプトビオシスの分子機構の解明」
(独立行政法人農業生物資源研究所 奥田 隆)

トレハローストランスポーター遺伝子が、真核生物で初めて明らかにされた拡散受動輸送体で、いくつかのクリプトビオシスに適応した特性をもつことを示した。また、クリプトビオシス特異的に発現するトレハロース合成酵素、水チャンネルタンパク質、LEAタンパク質、抗酸化タンパク質、熱ショックタンパク質などのクローニングにより、発現誘導機構を解明した。これらのことから、トレハロース代謝酵素やDNA修復酵素遺伝子が覚醒後ではなく、乾燥時にすでに発現することがわかった。また、乾燥ストレスに伴う活性酸素の発生が生体成分に損傷を与え、結果として細胞に致命傷を与えている可能性を示した。
一方、研究終了時までにクリプトビオシス誘導に必須な遺伝子を特定し、in vivoでの機能を解析するため必要となるRNAi技術を開発するには至らず、また、クリプトビオシス進行中の位相差電子顕微鏡による細胞観察を実施できなかったため、一段高いレベルの成果へ到達できなかった。しかし、終了時までに示された研究成果は、クリプトビオシス現象の、多くの側面を浮き彫りにした。今後さらに全体像の解明とその応用に向けて研究を展開していくことを期待する。これまでに、学術的に興味深い知見が数多く得られているが、まだ原著論文としての公表は十分と言えない。今後も情報発信を積極的に行うことを望む。

中課題B「ネムリユスリカのクリプトビオシスの物理化学的研究」
(東京工業大学バイオ研究基盤支援総合研究センター 櫻井 実)

まず、トレハロースの役割と作用機構においては、(1)クリプトビオシスの維持のためには幼虫内に蓄積されたトレハロースのガラス化が必須であること、(2)トレハロースが最も優れたガラス化剤であり、ガラス化剤として優れた性質を示す原因が、この糖固有のグリコシド結合の剛直性にあること、3トレハロースは結合水の代わりに細胞膜表面に結合すること、4トレハロースのTα相がガラス相劣化防止の役割を演じている可能性があること、5トレハロースはタンパク質凝集の駆動力と考えられる疎水性相互作用を阻害する可能性があることを見いだしている。また、トレハロースはゲル様網目構造を安定化する能力があり、細胞集積構造の安定化にも寄与することを示した。次いで、LEAタンパク質の役割と作用機構では、示差走査熱量計(DSC)による測定でこのタンパク質が乾燥状態でガラス化し、ガラス転移点が100°Cに近い温度であることを見いだしている。この異常に高い転移温度はクリプトビオシス状態でLEAがガラス化していることを示唆しており、細胞構造を支える骨格の役割を演じているとしている。さらに、グルコーストランスポーターGLUT1を鋳型にしたホモロジーモデリングで立体構造モデルを得、トレハロースの結合部位や基質選択性の起源についての情報を獲得している。以上のように物理化学的な数多くの新しい知見を得て、中課題Aの奥田グループの見いだした生物学的現象に具体的な根拠を示すことに成功した。これまで、原著論文として学術的知見を公表することに積極的に取り組んできているが、未公表の知見も多い。情報発信を継続してほしい。