生物系特定産業技術研究支援センター

新技術・新分野創出のための基礎研究推進事業

2000年度 研究成果

味覚シグナリングの分子機構の解析と食品の品質設計基盤の展開

研究項目及び実施体制(◎は総括研究代表者)

  • 味覚受容と細胞内シグナリングの分子機構
    (◎阿部啓子/東京大学大学院農学生命科学研究科)
  • 味覚シグナリングに関与する味細胞・味神経の分子生物学的解明
    (榎森康文/東京大学大学院理学系研究科)

研究の目的

食品の最も食品たる所以は"おいしさ"であるとして過言ではなかろう。その基本的な起因は味覚にある。生物学の面からみると、味覚は動物の食の受託・忌避行動を決定づけ、適正な生命活動を誘導するイニシエーターである。人間科学の面からみると、それは私たちの生活に豊かさを付与する要因である。本研究はこの重要な感覚の本質を分子・細胞レベルで解明し、その成果を人間社会に活用する基盤を創出する目的で行った。

研究の内容

本研究者らによる味覚レセプターの分子クローニング( J. Biol, Chem, 1993)以来、この分野の研究は国際的に激化しているが、その中でわれわれは以下の5項目を研究し、世界の先陣の一翼を維持している。すなわち

  • 脊椎動物の味覚の味蕾細胞内での惜報伝達(シグナリング)に関与する分子群の発見とそれらの発現パターンと作動機序を分子(遺伝子)レベルで解析した。
  • 基本は味細胞からのシグナルを味神経が受容・伝達するのに対し、基本味以外の味は、舌や口腔内に終末を持つ体性感覚神経による。味の神経分子論を確立するために味覚に関与する神経伝達機構の分子的特性の解析に着手した。
  • 味覚シグナリングを行う味蕾細胞が特殊な形態(紡錘形)をとることから、その形態形成に関与する因子を分子レベルで究明した。
  • 味蕾細胞はきわめて速やかな代謝回転を示すことから、その増殖・分化の特徴を究明した。しかも研究のツールとして放射線(X線)照射というユニークな方法を用いた。
  • そして味蕾細胞の分子・生物学研究の上に必須とされながら、世界的に未だ成功していないその初代培養に挑戦し、味覚シグナリングの効率的研究と、成果の"出口"の1つである味覚工学創出の基盤を固めた。

主要な成果

上記の1~5の順に概要を記す。

  • 味蕾細胞は80-120個の不均一な細胞の集合体で、その約20%が味覚シグナリングの主要な系であるカルシウムシグナリング因子群(Gα i2、PLCβ2、IP3R3)を共発現する細胞であった。しかもその一部では、苦味物質→T2R9→Ggustβγ→IP3R3→Ca2+上昇という一連のカスケードが進行していることを解明した。またそれ以降の候補分子としてCa2+感受性イオンチャンネルを同定し、そのイオンチャンネル→細胞膜の脱分極→味神経へのトランスミッター放出→脳への電気シグナル伝達のスキームを提唱した(図1)。
  • 口腔内に神経終末を投射する三叉、鼓索、舌咽神経細胞体(TG、GG、PG)における分子的特性解析を行った。GGとPGのtrkB陽性細胞からの神経が味細胞が伝える基本味を、一方、TGとPGのVR1、TREK-1、あるいはSP陽性細胞の神経終末が基本味以外の味を直接受容し、伝達することを示した。
  • 味蕾細胞の主要な一部は味孔の側から基底部へと伸長する紡錘細胞であって、そこにはアクチン結合タンパク質(CAP)が発現していて、形態形成と同時に、"足場タンパク質"との接着を介して味覚シグナリングの調節を行っていることを示唆し得た。
  • 放射線治療を受けた癌患者は味覚障害に陥る。これとほぽ同等量のX線をラットに照射すると味蕾はすべて消失した。しかしこれは一過的で、徐々に舌の乳頭上皮の増殖再生が起こり、ついで味蕾が新生した(図2)。これを細胞レベルでみると、味蕾細胞そのものの増殖・分化が進行し、速やかに正常化した。分子レベルでみると、正常化過程の初期には一般細胞の基本骨格の形成および基本機能の発現に関与する分子が、後期には味蕾細胞を特徴づけるシグナリング分子が発現していた。
  • ラット舌の有郭乳頭の味蕾細胞を1週間以上も生細胞の状態に維持することに世界で初めて成功した(図3)。しかも、この初代培養細胞に味覚レセプターと同様にGタンパク質共役タンパク質の(α1-AR)遺伝子をアデノウイルスを介して導入し、これが機能的に発現したことを確認した。この成功は、味覚シグナリングの分子・細胞学的研究と味覚工学の創出に突破口を拓くものと期待される。

研究のイメージ

味覚シグナリングの分子機構の解析と食品の品質設計基盤の展開