研究の目的
全遺伝子の数%も占める多重遺伝子ファミリーを形成する嗅覚受容体は、数十万種類といった多種多様な匂いや香りを認識する化学感覚センサーである。本研究では、嗅覚受容体の香り認識機構を分子レベルで明らかにし、生活空間にある混合臭を感知するメカニズムを、末梢神経から脳レベルまで多角的に解析する。対象生物はマウスと昆虫とし、生物種の違いによる嗅覚受容体のセンサー機構の違い、また香りとフェロモンのセンサーの比較によって、外界からの機能性情報因子の分子認識メカニズムの全貌を明らかにする。本研究のアウトプットは、よりよい生活空間の構築と人間のQOL向上のための嗅覚機能利用法の開拓であり、農林水産・食品産業の高度化にも資するものである。
研究項目及び実施体制(◎は研究代表者)
- 嗅覚受容体の構造と機能の解明
- 嗅覚受容体から高次脳への匂い信号伝達機構の解明
- フェロモン受容体の機能および情報伝達機構の解明
(◎東原和成/東京大学大学院新領域創成科学研究科)
研究の内容及び主要成果
- 哺乳類の嗅覚受容体の匂い特異性を解析できる高効率の機能アッセイ法を確立した。匂いが受容体に認識される部位の構造環境を明らかにした。匂いが受容体を活性化するだけでなく阻害することを見出した。嗅覚受容体がGタンパク質を活性化し脱感作するのに重要な部位を同定した。
- 昆虫の嗅覚受容体は、脊椎動物の嗅覚受容体と全く異なり、ヘテロマー複合体を形成して、それ自体がイオノトロピック型のリガンド作動性チャネルであることを見出した。嗅覚受容体ファミリーの中からカイコ蛾の性フェロモン受容体の同定及び機能解析に成功した。
- 香りの情報処理に関し、マウスにおいて、嗅神経細胞で電気信号に変換された匂い信号が、嗅覚一次中枢である嗅球においてパターン形成される過程を、神経回路レベル、細胞生理学レベルで可視化した。
- マウスのフェロモン受容体について、その第二の嗅覚システムである鋤鼻器官において認識される物質が、涙に分泌されていることを見出し、その活性ペプチド物質を同定した。それを特異的に認識するフェロモン受容体を同定した。
見込まれる波及効果
本研究で得られた、香りやフェロモンなどの受容機構の基礎学術知見及び開発した実験手法や技術は、1)食生活を豊かにして「よりよく食べる」ために、飲食料品産業、醸造業等における食品の香りの評価や開発、2)安心・安全に「よりよく暮らす」ためのバイオセンサーの開発、3)衛生環境を維持して「よりよく生きる」ための昆虫や齧歯類の個体数制御、4)嗅覚に関する正確な知識の提供により様々な悪臭問題の軽減、等の場面で応用が期待される。
主な発表論文
- Kimoto, H. et al.: Sex- and strain-specific expression and vomeronasal activity of mouse ESP family peptides. Current Biology 17: 1879-1884 (2007)
- Oka, Y. et al.: Odorant receptor map in the mouse olfactory bulb: in vivo sensitivity and specificity of receptor-defined glomeruli.Neuron 52: 857-869 (2006)
- Kimoto, H. et al.: Sex-specific peptides released from exocrine glands stimulate vomeronasal sensory neurons in mice. Nature 437: 898-901 (2005)
- Nakagawa,T. et al.: Insect sex-pheromone signals mediated by specific combinations of olfactory receptors. Science 307: 1638-1642 (2005)
- Katada, S. et al.: Structural basis for a broad but selective ligand spectrum of a mouse olfactory receptor: mapping the odorant binding site. J. Neurosci. 25: 1806-1815 (2005)