研究代表者氏名及び所属
今川 和彦(東京大学大学院農学生命科学研究科)
総合評価結果
当初計画通り推進
評価結果概要
(1)全体評価
レトロエレメント(RE)は、逆転写酵素を持つ因子の総称である。高等動物のゲノム上には未解明の内在性REが数多く存在すると言われている。本研究は、REの機能解析の展開の中で、REの再活性化による内在性レトロウイルス(RV)の病原性・感染性の復活の機序を解明し、そのリスクを低減する方法を開発すること、および胎盤形成や胎児成長などのプラスに働く可能性のあるREの有用性を解明し、これらを活用することによって、ウシの不妊や死流産を減らす方法を開発しようとするものである。
中間評価までに、Retro Tector を利用してゲノムに組み込まれた膨大なREを網羅的に解析し系統的な分類を行ったこと、家畜や伴侶動物、野生動物などの内在性RVの完全長の感染性クローンの作製に成功したこと、胎盤における発現REの同定と機能解析、染色体上の遺伝子部位を同定したこと、およびブタやネコの内在性RVの後期過程である粒子形成と出芽機序を解析し、RV産生における制御法の開発を試みたことなど、科学的に高く評価されるべき成果を上げた。しかし、中間評価後は、新しく発見したウシ内在性RV-K(BERV-K)の機能解析を行ったこと、およびウシBST-2 (Tetherin) のcDNAクローニングと妊娠期におけるそれらの発現解析などを行ったものの、これまでの研究内容と畜産農家に経済的被害を与えている牛の繁殖障害との関連性の証明や、その制御に結びつく研究への進展は見られなかった。前半の順調な基盤研究の伸展に比べると後半の生物系産業に寄与する実用化研究では失速した感が否めない。当初に示された最終目標への到達度は高くはないと判断される。
(2)中課題別評価
中課題A「レトロエレメントの解析と高度利用に向けた基盤技術の開発」
(京都大学ウイルス研究所 小林 剛)
ゲノム上のREの効果的な検出方法の導入、得られたREの分類・解析はユニークであり、本研究課題に沿った科学的成果として高く評価できる。また、内在性RVに作用する受容体のクローニングなども行っており、中間評価までの研究成果は十分に達成されている。しかし、コアラRVやネコ内在性RVといった新規ベクター開発のための研究は、別のテーマとして進めた方が良かった。中間評価後は、REの活性化に伴うリスク回避と有用性の活用といった当初の目標達成に貢献する課題への取り組みが求められ、BERV-K1のEnv遺伝子が胎盤で発現すること、分化後の栄養3核細胞で機能していること、子宮内膜細胞と融合しうることなどを明らかにした。しかし、これらの事実はある程度想定されたことであり、最初に提案された課題である不妊や流産リスクとどのように関係するのか、また、それを回避するにはどのような方法があるのか、といったメインテーマへの展開が研究期間内に見られなかったのは残念である。
計算科学的にPPRタンパク質のRNA認識コードを初めて明らかにした点は学術的に高く評価でき、今後の研究の進展が期待される。今後、個体での機能評価については、シロイヌナズナや酵母などのモデル生物系を用いて、人工PPRが設計通りに生体内で機能することを効率的に実証する必要がある。目的に合わせた人工PPRタンパク質を構築するためには、より詳細に試験管内の実験による知見を積み重ねて確認する必要があるが、目的の達成のためにはより戦略的、かつ長期的な研究が必要である。目標とした雄性不稔を利用したハイブリッド育種などへの応用はこれからの課題であるが、見出された知見がさまざまな生物産業に応用されることを期待する。
中課題B「胎盤におけるレトロエレメントの機能解析と制御」
(東京大学大学院農学生命科学研究科 今川 和彦)
中間評価までに、次世代シークエンサーを用いてウシ胎盤の着床前後のmRNAを網羅的に解析した。また、課題Aと連携して系統的に分析し、内在性RVを検出した。内在性RVのEnv蛋白が胎盤で発現していること、および胎盤での細胞融合に関与することを発見しており、研究成果として評価できる。研究後半は中間評価の指摘に従い、マウスの実験系を止めてウシの系に集中して研究を進めた。BERVの発現、胎盤で発現するREの同定およびREの遺伝子座の絞り込みを行った。しかし、中間評価で指摘されたウシ初期胚を用いたin vivo評価系の開発に関しては、子宮内におけるインターフェロン発現、細胞培養系の開発などに止まってしまった。前半で得られた研究成果をどのように当初の目標(REの活性化に伴うリスク回避と活性化REの高度利用法の開発)達成に繋げるかに関して研究の進展があまり見られなかったのは残念である。
中課題C「レトロエレメントの粒子形成機構の解明と制御法の確立」
(長崎大学熱帯医学研究所 安田 二朗)
REの活性化に伴うウイルス粒子形成の統御や内在性RVの複製統御の解明が中課題Cのメインテーマである。ネコ内在性RV(RD-l14ウイルス)およびブタ内在性REの出芽に関係する宿主因子の同定を行った点、RVの複製を制御するTetherin 持続発現細胞がRD-l14 ウイルスの産生抑制に働くことを明らかにした点は評価できる。中間評価までは、内在性RV産生を抑制した生物学的製剤の製造用細胞株樹立、内在性RVのリスクを排除したトランスジェニック豚作出などが上げられており、前者については目標を達成した。中間評価ではテーマが散漫過ぎるので他の中課題と連携し、当初の目的を遂行する研究に絞るよう指摘された。それに従ってウシのTetherin遺伝子 (bBST2A1、 bBST2A2、 bBST2B)を同定し、発現部位や抗ウイルス活性を調べ、Tetherinは子宮内膜を含め多くの組織で発現していることを見出した。しかし、当初の課題目標(REの活性化に伴うリスク回避と活性化REの有用性の活用)に対して、個体レベルでの有用性を明確にできなかった点は残念である。