(東京大学生物生産工学研究センター 山根久和)
評価結果概要
(1)全体評価
本研究はイネを用いて、病原菌感染のシグナルを、3つの研究グループが協力して明らかとし、そこで得られる成果を、病原耐性のイネの作出、あるいは、病原耐性の付与技術の開発に活用しようとするものである。
これまでの研究の進捗状況は、全体としてみれば計画通り研究が進行していると判断され、このまま推移すれば優れた成果が期待できる研究であるということができる。これまでに得られた研究成果については、発表論文も年次進行的に増加してきている。また、その中には、本研究グループの成果として極めて独自性の高いものも多い。また、こうした基礎的な研究成果にとどまることなく、プラントアクティベーターのような農薬の開発に貢献しうる成果も得られており、農林水産業への貢献も期待される。
3つの研究グループがそれぞれの分野で研究をすすめる中にあって、グループ間の共同研究についても意識され進められている。論文についてもグループを越えた共著の論文が多いことはそのことを示しており評価できる。
(2)中課題別評価
中課題A「エリシター受容体を介したシグナル伝達機構の解明」
(明治大学農学部生命科学科 渋谷 直人)
本中課題は、本研究全体の頭の部分にあたる、エリシターの受容の部分である。本研究では3つの小課題(研究項目)を設定しているが、それらの課題に対して、これまでの研究実績の優位性を活かし、その延長上に優れた研究を展開してきていると判断される。特に、キチンエリシターの受容体については、他の追随を許さない、国際的にも優れた研究成果を発表してきていることは高く評価できる。この中で、逆遺伝学的なアプローチを取るためシロイヌナズナを用いたことも、適切な判断であったと考える。その結果、イネにおけるキチンエリシターの第2の候補を明らかにすることができた。今後の課題は、これらのレセプターの相互関係や、これらを含む複合体の解明と、その下流へのシグナル伝達の様式であろう。それらの成果を、生物系産業にどう活用していくかは、その下流へのシグナル伝達系がどこまで解明されるかにかかっていると考える。
βグルカンのレセプターについては、その候補遺伝子の基本的な性格付けは終わっており、それが真のレセプターであるかどうかの研究をすすめる必要があるが、ホモログの存在や、エリシター物質の供給が困難なことから、その解明には相当の困難が伴うかもしれない。
中課題B「イネの病害抵抗性を制御する遺伝子ネットワークの解明」
(東京大学生物生産工学研究センター 山根 久和)
本中課題は、シグナル伝達の中流から下流に至る流れを解明し、イネにおける耐病性機構を明らかにしようとするもので、その過程で見いだされた遺伝子を用いて耐病性誘導型農薬の開発システムを構築しようとしている。エリシターの下流にある転写因子のターゲットについては、研究が進みつつあることは評価できるが、今後、これらの転写因子のさらに上流、あるいは、エリシターのレセプターとのつながりについて、どこまで解明できるか注目したい。なお、転写因子のプロモーターを利用したプラントアクティベーターの探索システムができ上がったことは、実用的なレベルでも評価できる成果である。
ファイトアレキシン誘導系は全体計画の中ではもっとも下流に存在する抵抗性システムであり、それに至るシグナル伝達系を明らかにすることが、本研究の一つの課題であった。その中で、ファイトアレキシン生合成にかかわる酵素群のうちこれまで未解明であったものや、それらの遺伝子群がゲノム上クラスターを形成していることなどを明らかにするなど、新しい成果を挙げていることは評価できる。今後は、これら一連の酵素群の発現を制御するシステム、即ち、ファイトアレキシン生合成の上流の解明が期待される。それによってシグナル伝達の全体の流れを整理できるようになるであろう。
中課題C「イネいもち病感染初期過程におけるシグナル伝達機構の解明」
((独)農業生物資源研究所植物科学研究領域 南 栄一)
本課題でのこれまでの進捗状況については、研究自体はそれぞれの小課題について進みつつあると判断できるが、得られた成果は必ずしも当初予定通りとは言えない。ただそうした状況の中で、当初計画した本中課題の目標に沿って研究課題を修正しつつ研究を展開している姿勢は評価でき、今後の成果に期待したい。また、中課題Aとの連携を意識し新たな課題を設定し、それについて興味深い成果を出していることも、エリシターからのシグナル伝達機構の解明に貢献しうる成果として、評価できる。WRKYやbHLH形質転換体については、解析に困難な状況も現れたが、イネ白葉枯病抵抗性遺伝子のキナーゼドメインを連結したキチン受容体遺伝子で形質転換されたイネを作成し、いもち病に対する抵抗性が強化されるという興味深い知見も得ており、今後の進展が期待される。また、新規な病原性因子の存在を示唆するデータも得られつつある。このように、モデル系(培養細胞)で得られた成果を実際の個体レベルで検証するという、時間的、技術的にも障碍の少なくない課題に果敢に挑んでおり、今後さらに大きい成果が出るものと期待される。