生物系特定産業技術研究支援センター

SIP

第2期 スマートバイオ産業・農業基盤技術

Creative Researchers - 研究者インタビュー

第2回

学校教育はある意味で「最大のマスメディア」
教育を通し科学技術を理解し、考え、判断する市民を育てる

第1回 西山 哲史 株式会社リバネス 教育開発事業部 部長

SIPスマートバイオ産業・農業基盤技術(以下SIPバイオ農業)で取り組むバイオテクノロジーの社会実装に欠かせないことは、その技術がいかに社会に資するのかを国民が理解するのと同時に、その影響を正しく知ることです。科学教育分野での実績と知見を活かして2020年度からSIPバイオ農業に参画したリバネスの西山哲史氏に、科学技術に対する国民理解と教育の役割についてうかがいました。

科学技術と市民のギャップを埋めるのがミッション

――リバネスは2020年度からSIPバイオ農業に参画されていますが、そのきっかけを教えて下さい。

西山:弊社の活動について以前から小林PDに高く評価いただいていたようで、広くバイオテクノロジーの理解を進めるにあたり、お声がけいただきました。創業メンバーに農業・バイオ系の大学院生が数多くいたことから、現在もこの分野を強みとしているのですが、実はそもそも、リバネス創業の目的がSIPバイオ農業で我々が関わっている「国民理解」と重なる部分があるんです。

――そうなんですね。当時のことを聞かせていただけますか。

西山:創業は2002年なのですが、当時出回り始めた遺伝子組換え食品に、反対する空気が社会に蔓延していました。日常的に遺伝子組換えの研究を行っていた研究者にとって、研究室で議論され、理解されていることと、一般社会への伝わり方にあまりにもギャップが大きく、このままでは自身の研究成果が絶対に世の中に受け入れられない、と強く感じていました。

社会が進んでいくために、あるいは今であれば持続可能であるために、科学技術の研究は必要なことですが、社会に受け入れられないと意味がありません。科学が前に進むことによって社会とのギャップが広がっていくことは、社会的な損失につながってしまう。逆にいえば、このギャップを狭める事自体に社会的な価値があるはずであるという思いが、リバネス創業のきっかけであり、現在にいたるまで一貫しているコアコンピタンス「サイエンスとテクノロジーをわかりやすく伝える」というフレーズに込められています。

最初は、学校向けに大学院生による出前実験教室からはじめました。私がリバネスに参加したのもこの頃です。年に数十回の授業をやり続けた結果、難しいサイエンスやテクノロジーを分かりやすく伝えるノウハウ、教え方や人材をトレーニングするノウハウが社内に蓄積されてきまして、このノウハウを企業に対して横展開していく方向に事業を転換しました。みんなが手に取るこの製品が作られるプロセスの中にどんな科学技術があるのかを、実験なども交えて伝えていくというもので、これまでに約20万人の子どもたちに100社以上の企業のコンテンツを届けています。こうした経験を生かして、SIPバイオ農業では、バイオエコノミー教材としてゲノム編集、バイオ由来化成品、機能性食品の3つをテーマにした教材開発を進めます。

私自身、バイオテクノロジー分野の研究者として、ゲノム編集作物が流通するようになることで、創業当時の遺伝子組換え作物に似た状況が再燃するかもしれないという危惧はなんとなく感じていました。当時のリバネスはまだ生まれたてほやほやの組織だったのでたいしたことはできなかったのですが、企業として成長した今であればもっといろいろなことができますし、そこにかかわるのはリバネスのミッションであると捉えています。

リバネスが発行している雑誌 リバネスでは科学技術教育への取組みの一つとして雑誌を発行している。中・高校生向けの科学雑誌「someone」は、全国の中・高校に配布し、科学研究の魅力と最新のトピックスを解説。「教育応援」は、学校教員に対して最先端の科学トピックスや科学教育情報を紹介する。

考えるきっかけを作るアクティブラーニング

――科学技術が社会に受け入れられるための取り組みとしては、アウトリーチも考えられると思うのですが、教材開発という手段を選んだ理由は何でしょうか。

西山:バイオエコノミーが世の中の全体に広く認知され、理解や社会受容が広がるためには、アウトリーチのイベントに来る人だけを対象とするだけでは足りなくて、もっとベースのコミュニケーションのなかに入れていく必要があります。では、それは何かと考えると、一番強力なのは中学、高校までの教育のプロセスに入れていくことなんですね。そうなれば、各人の理解には濃淡があっても、少なくとも皆が「聞いたことはあるよね」という状態にはなっていく。

かつ、今の教育政策として、世の中の最新の話題を取り込むことや、正解が無い問いもあるということをきちんと伝えていくことを重視する流れがあります。今年度取り組んでいるゲノム編集も、知識として「ゲノム編集とは何か」を伝えるだけではおそらく不十分で、考えるきっかけを作る方が重要だと思っていて、アクティブラーニング的なプログラムを実施するための授業プランを作っています。

――「教材」ということなのでテキストや実験セット、あるいは動画のようなものをイメージしていましたが、授業プランを作成されているのですか。

西山:前提として必要な知識の提供に加えて、情報の調べ方や、インターネットの検索結果の中からより信頼性 の高い情報を入手するための方法、あるいはゲノム編集について、立場による考え方の違いについて生徒自身に考えてもらう、それをテーマとして議論をしてもらう、といったパッケージで、教育プログラムを組み立てています。

――知識を教えるのではなく、考え方を教えるということですか。

西山:ゲノム編集でも他の技術でも、ある技術に対して万人がそれを「いいものだと教えられた」って礼賛するのは違うと思うんですよ。国民理解ってそういうことじゃない。逆に、「なんかよくわからないけど怖い、嫌だ」って否定するのも違う。理解していろいろなことを考えた上で、じゃあ自分はどうするのかを決められる人を育てる方がいいと考えています。

例えば、スーパーで売っている遺伝子組換え作物には表示義務があります。でも、ゲノム編集作物の中でも外来遺伝子を入れず編集のみを行う場合は、科学的にも品種改良品と差分が見いだせないので表示義務の議論から外されました。研究者目線では、「それは区別がつかないんだから当然でしょう」と何の異論もなく納得します。でも、ベースの知識がない子どもたちや、場合によっては学校の先生、一般消費者の方は「なぜ?」って疑問に感じられると思うんです。

その「なぜ?」をきっかけに、たとえば研究者の目線、流通の人の目線、小売業者の、スーパーとか消費者、みんなのお母さんお父さんとかの目線で、それぞれの立場だったらどう考え、価値判断をするのかを考える。それぞれの立場を一人一人が考えた上で議論して、結果どうしたらいいのか、自分たちだったらどういうルールにするのかをクラスで考えてみる。そういうプロセスを授業で作るということを考えています。

――それはもう大学のゼミと変わりませんね。

西山:でも、上手くステップを分解してあげればたぶんできると思うんですよ。それをやることで、「なぜこんなルールになったのか?」を初めて考えられる。ルールって、誰か一人の考えを見ているわけじゃなくて、さまざまな人の考え方や価値観を踏まえた落とし所として設定されるので、そのプロセスを想像する助けになると思っています。

ゲノム編集に関して、すでにこういう取り組みをしている先生はいないのか調べてみたのですが、やはりいらっしゃるんですよね。そういう先生からもご意見をうかがうと、やはり学校という文脈に取り入れやすい形式があるということは感じました。結果、今考えているのは、複数の題材があって、全部合わせると1学期分の「総合的学習の時間」をこのテーマでやれたり、切り取って他の授業の一部にはめ込んだりできる。たとえばAという題材なら2コマでこんな授業ができる、Bという題材ならば少し長めの5コマの授業ができる、というようなものを作ろうとしています。

――どのような形で提供されるのでしょうか。

西山:ウェブ上で、まず先生が使うテキストと子供たちが使うテキストをデータとしてダウンロードできるようにします。場合によっては、先生がフリーでダウンロードして使えるような簡単なスライドも用意するかもしれません。実際に手を動かすような教材も腹案はあるのですが、こちらはコストがかかるものですから、どこまで用意できるかに関してはまだ議論が必要だと思っていて、今はテキストを中心に考えています。

――時期はいつ頃に公開される予定ですか。

西山:計画では秋以降から学校でのモデル実施を行い、その後フィードバックを反映して今年度終わりか遅くとも来年度には公開することになります。

社会課題を自分ごとにする想像力が大切

――この取り組みのKPIは何になるとお考えですか。

西山:なかなか難しい質問ですね。教材のダウンロード数やビュー数などの数字を測ることはできますが、最終的に達成したいのは授業を受けた子供たちの考える姿勢を変えるということで、それをどう測ればいいかは正直見えていないです。

子供たちにとって、自分とどう関わりがあるのか、あるいは自分たちの将来にどう関わってくるのかを考えるきっかけにしてあげないと、なかなか自分ごとにはならない。「学校の授業だからやっている」ではなく、最終的に自分たちの身近なところにどう関係しているのかを考えられるようなものにしなくてはいけないと思っています。

プラスチックごみ問題や地球温暖化問題はみんな知っているけれど、それがバイオエコノミーと関係していることを知っている人はたぶん関わっている人たちだけで、一般には全く認知されていない。でも、こうした問題を解決するために世の中がバイオエコノミーの方向に向かっていくことは間違いなくて、今の子供達が大人になる10年後にはもっと当たり前になっている。知らなかったとしても、手に取っているものが生物から作られたということはもっと増えているでしょう。

その流れを加速するためには、技術を作る人、社会システムを作る人のなかに、バイオエコノミーについて考える人、あるいは研究したい人を増やさなくてはいけない。教材づくりの目的の一つには、そういう人材を増やすということも広い意味ではあるとは思います。

――例えばバイオ由来化成品であれば、プラスチックごみの問題と結びつけて自分ごと化しやすいテーマだという感じはします。一方で、ゲノム編集が我々の生活とどうかかわるのか、どんな問題を解決するのかということは実感しにくい気がします。

西山:「ゲノム編集」というキーワードそのものがとても強いという点と、あと難しいのが、日本は今のところ食料に困っていないので、ゲノム編集による育種が必要である、無いと困るという肌感覚が無いのですよね。新型コロナウィルスで食料輸入が滞るかもしれないという話もありましたが、個人的な実感としてはそれほど影響がなかったように思います。でも、これからどうなるかは分からない。

最近の例を一つ挙げると、スーパーで購入できる豚肉の価格が徐々に高くなっていくだろう、という予想があります。その理由は、中国の豚肉輸入量が急速に増えていった結果、これまでと同様の安い価格で日本が輸入できなくなってしまうというのが一つ。もう一つは、日本で豚を育てるために使う穀物飼料の輸入価格があがっていくことです。同じように、今、中国産の野菜をたくさん輸入していますが、インドが中国から野菜を輸入するようになったら日本に入ってこなくなるということは十分考えられる。それで5年後、10年後に困った状況になっていないとは言い切れません。

今は冷夏や大雨で畑がやられて困った事態になったとしても、末端の消費者にその「困った」が伝わらないように生産者や流通の人が頑張って届けてくれているから、我々は「最近ちょっと野菜高いよね」って言いながらそれでも食べられている。だから実は問題は発生しているのに、身近に感じることは難しくなっています。でも、本当に海外から物流がなくなってしまったら、今の日本の生産量では絶対に足りなくて飢えるしかない状況がきてしまうかもしれない。そこを想像する力、対応を考える力を育てる教育は、一歩一歩やっていくしかないのかなと思っています。

面白い本を勧めるように科学技術の面白さを伝えたい

――西山さんご自身、大学院生の時からリバネスに参画して教育に取り組んで来られたわけですが、どんなところにやりがいを感じられているのでしょうか。

西山:リバネスは学生ベンチャーだった頃から「科学技術の発展と地球貢献を実現する」という壮大なビジョンを掲げ続けています。そのビジョンに近づくためには、科学技術のことを理解できる人自体を絶対に増やさなくてはいけない。だから教育をずっとやり続けています。教育によって世の中に科学技術への理解が広がる。研究者を志す人、科学技術を元に起業する人、社会に対して科学技術を広める私達の仲間になってくれる人が現れる。彼らが10年後、20年後の社会の中で科学技術の発展を担う人たちになる。そのベースにあるのが教育だと考えています。

一方で、私個人としては、単にものすごく科学技術が好きなんです。新しいテクノロジーやサイエンスで、今まで分からなかったことが分かるようになり、実現できなかったことができるようになることに、とてもワクワクします。面白い本を読んだら人に勧めるのと同じように、「科学技術って面白いよ」って伝えたい。伝えた相手が自分と違う意見を持つようになれば「そもそもこの技術は社会でどう扱うべきか」という議論ができる。それも面白い。それが、私自身が科学技術教育にかかわり続ける理由ですね。

世の中は変わり続け、課題は生まれ続ける

――世の中全体を対象に理解を促進するために、子供にターゲットを絞った教育は有効なのでしょうか。

西山:SIPバイオ農業で私達が求められているのは、より広く人々に伝えていくということです。その観点では、中学生までの全国民が学校で授業を受ける状態にあるわけで、ここに入り込めるということはテレビ番組で1本のCMを流すよりもはるかに強い、最強のマスメディアであるとも言えます。

子供は固定観念や常識にとらわれることがないので、新しいことを受け止めやすい。そして子供は親に影響を与えることができます。例えば、目の前に遺伝子組換えをした野菜とそうでない野菜があった時、「なんとなく怖いから」という理由で後者を選ぶ親も、子供が学校で学んだことなら聞いてくれる。親世代を変えたいなら、間接的であっても子供を介してコミュニケーションするほうがかえって良いかなと思っています。

――社会実装という課題を考えると、率直にいって子供への教育で社会を変えるというのは、世代交代を待つということなのかなと感じます。

西山:何をもって世代交代と言うかにもよりますが、たしかに時間はかかるでしょう。先程申し上げたように子供から家庭に伝わるという部分はあるにせよ、ほとんどの場合において子供は消費者ではありません。本当に世の中全体が変わるには10年、20年とかかると思います。

でも、世の中を変えるのに20年が長いかっていうと、実はそれほど長くもないのでは、と思うんですよ。民間企業の出前授業って今は普通ですけど、リバネスが始めた2002年頃は存在しませんでした。当たり前に行われるようになるのに15年かかりました。

――確かに、我々が当たり前に使っているスマートフォンだって広まるには10年かかっています。世の中全体を変えるには時間がかかるのは当然なのかもしれませんね。

西山:かつ、今は「バイオエコノミーの社会受容が大事」と言っていても、10年経たないうちに新しい課題が生まれるんです。世の中は変わり続ける、新しい課題は生まれ続ける、だから常に今の最先端を捉えて、そこから先の未来がどうなればいいのかを考え続け、走り続けるしかないだろうと思っています。

もう一つ、教育における社会課題の扱いの難しさは、子供たちが大人になるころには課題が解決しているかもしれないということ。大人ががんばって課題を解決できれば、子供たちに宿題を残すよりもその方がいい。だとすれば、教育現場ではテーマそのものよりも、考えるプロセスや考えた経験の方が重要なのかなとも思います。

ゲノム編集も、きっとその先の何かが出てきます。それこそ何十年後には、編集どころか遺伝子そのものを全部デザインすることも技術的には可能になるでしょう。その時には、今のゲノム編集に対する議論をベースに新たな議論が巻き起こると思います。その時に、一度考え、議論した経験があれば、「怖いから買わない」ではなく、自分で考えて判断ができる人になれると思うし、それが科学技術と社会のギャップを縮めることになるのだと考えています。

――どうもありがとうございました。

西山 哲史(にしやま・さとし)

株式会社リバネス 教育開発事業部 部長
2005年7月よりインターンシップとしてリバネスに参加
2010年 筑波大学大学院生命環境科学研究科博士後期課程修了 博士(理学)。
2011年 株式会社リバネス入社。
2016年 研究開発事業部 部長。
2019年より現職。
学生時代の専門はミトコンドリア、発生工学。現在は企業を巻き込んで研究プロジェクト創出や、中高生の研究活動支援などを行っている。