生物系特定産業技術研究支援センター

SIP

第2期 スマートバイオ産業・農業基盤技術

「食のサステナビリティ」実現のカタチ ~SIPバイオ農業の社会実装~

#04

精密ゲノム編集技術による品種改良の効率化

遠藤 真咲
 農研機構 生物機能利用研究部門 作物ゲノム編集研究領域 ゲノム編集技術グループ 上級研究員

遠藤 真咲
農研機構 生物機能利用研究部門 作物ゲノム編集研究領域
ゲノム編集技術グループ 上級研究員

高原 学 
 農研機構 企画戦略本部 新技術対策課 課長

高原 学
農研機構 企画戦略本部 新技術対策課 課長

1.何を研究しているのか

「育種の効率化」コンソーシアムは、「データ・情報利活用基盤」「開発」「生産」「販売・消費」「資源循環」から構成されるスマートフードシステムのうちの「開発」を担っています。農業の歴史は、継続的な栽培の中で優れた性質を持つ種を選び育て、あるいは掛け合わせて新しい種を作り出すという、育種、すなわち品種改良の歴史でもあります。人類が長い年月をかけて行ってきた育種によって、収量、気候への適応、病害虫への耐性、味、大きさ、形状などの点で、野生種に比べて優れた農作物を手にすることができています。

一方、消費者の嗜好の多様化や、海外から輸入される農産物との競争に勝つために、流通・加工適性(輸送に適している、日持ちする、色が変わりにくい、皮が剥きやすい、種がないなど)、高品質(味が良い、大きい、糖度が高いなど)、機能性成分の付与(ビタミンC、カロテノイド類、カテキン類など)といった、望ましい形質(性質や特徴)を備えた品種の開発が課題となっています。また、近年の気候変動の加速や、国際情勢の不安定化といった状況で、食料の安定供給のため、イネやコムギなど主食となる作物については、安定した収量・品質で収穫できるよう、国産品種の改良が必要となっています。これらの課題にはいずれも早急な対応が必要であり、交配育種や突然変異育種のような、時間をかけた従来育種ではなく、より短期間で特定の性質を狙いどおりに変化させる、効率の良い手法が必要とされています。

そのための新たな技術として期待されているのが、「ゲノム編集」です。2020年に、ゲノム編集のツールの一つであるCRISPR/Cas9の開発者にノーベル化学賞が授与されました。論文報告からわずか8年での受賞は、ゲノム編集の革新性や注目度の高さを物語っています。

ゲノムとは生物のもつ遺伝情報の全体を指す言葉で、その実体はDNAです。農作物の形質は細胞内のDNAに含まれる遺伝情報によって決まります。DNAの構成要素である塩基には、A(アデニン)、G(グアニン)、T(チミン)、C(シトシン)の4種類があり、これらの4種類の塩基の並び方(塩基配列)によって遺伝情報が決まります。ゲノム編集はDNAの塩基配列(DNA配列)を「狙って変化させる」ことで遺伝情報を書き換える技術です。遺伝情報をうまく書き換え、狙った形質変化を起こすことに成功すれば、従来の育種の手法を用いるよりもずっと短時間で新しい品種を生み出すことができます。

精密ゲノム編集チームでは、ゲノム編集技術を使った新しい品種の開発を促進するために、以下の3つのテーマの研究を進めています。

1)精密ゲノム編集ツールの開発
ゲノム編集酵素や、特定の塩基を入れかえる技術、また、遺伝子の発現量を精密に調整する技術を開発しています。
2)新規のゲノム編集酵素導入技術の開発
育種の対象となる植物の細胞にゲノム編集ツール(DNAか、RNAとタンパク質)を注入するための技術を開発しています。
3)ゲノム編集技術を活用した革新的作物の開発
現在販売されている、または販売に向けて準備が進められているゲノム編集農作物の多くは、1つの形質を変えたものですが、同時に複数の形質を改変することで、消費者、生産者、実需者など幅広い方々にメリットのある農作物の開発を進めています。

人類は古くから突然変異を見つけて、それを利用して品種改良を行ってきましたが、ゲノム編集技術のような新しい技術が社会に広く受け入れられるには、その仕組みや利点、安全性などについて国民に十分に説明し、理解を得る必要があります。そこで、もう一つの研究チームである国民理解チームにおいて、ゲノム編集技術をはじめとする先端技術に関する研究開発・規制・知財などの動向を調査・分析し、ゲノム編集に取り組んでみたい方や、ゲノム編集農産物に関心のある方に向けて、分かりやすく情報提供しています。また、ゲノム編集技術について理解を深めるためのコンテンツや教材を制作し、国民に向けて提供しています。

2.社会実装のビジョン

精密ゲノム編集チームの社会実装目標は、国内の研究者や種苗・育種関係者が精密ゲノム編集技術を活用し、付加価値の高い品種を短期間で作出できるための技術基盤を整備することです。

この目標を達成するために、以下の4つの取り組みを行います。

  • 1)SIPにおいて開発したゲノム編集技術を使いやすくするために、SIP第1期で特許出願したゲノム編集技術をとりまとめた「知財カタログ」に、SIP第2期の研究成果で特許出願した技術を追加します。知財カタログには、それぞれの技術の特徴や有用性が分かるように、図や解説も加えてあります。
  • 2)SIP第2期終了後も技術相談に応じる窓口を設置するなど、アップデートした知財カタログを活用し、国内の育種主体となる事業者がゲノム編集技術を利用しやすくなるような仕組みを検討しています。
  • 3)開発したゲノム編集技術の中でも国際的な競争力がある技術については、知財の海外への売り込みを行い、日本の研究開発力をアピールすると共に、海外の機関が保有する基本特許を国内で利用する際の交渉を進めやすくすることを検討しています。
  • 4)最新のゲノム編集技術を活用して開発された新しい品種の利用が社会全体で進むように、ゲノム編集を始めとするバイオテクノロジーに関する情報を継続的に発信する体制を構築します。

社会実装のイメージ社会実装のビジョン:SIPで開発した精密ゲノム編集技術活用を促進し、付加価値の高い品種を短期間で作出できるようにするため、知財カタログを利用しやすくする仕組みを整備する。

3.ゲノム編集の育種への利用がもたらすメリット

本プロジェクトで開発されたゲノム編集技術を活用して、国内の育種事業者が短期間で新しい品種を開発できることは、以下のようなメリットをもたらします。

消費者の視点からは、大きさ、おいしさ、機能性や日持ちなどの観点から、付加価値の高い新品種が供給されることで、食生活が豊かになり、健康が増進されることが期待できます。

また、新品種を販売する食品小売業や調理して提供する外食産業などの視点からは、新たな付加価値のある食品等を提供できるようになり、収益向上が期待できます。

作物を育てる農業従事者の立場からは、ゲノム編集により開発された新品種で収量が安定し、増加することや、品質や機能性の点で付加価値がある農産物を高値で販売することで収益の向上が見込めます。

さらに、育種事業者の立場からは、交配育種や突然変異育種と比較して、大幅に育種期間を短縮することができるので、社会情勢やニーズにあった品種を迅速に開発することができます。

また、おいしさはそのままに、長時間の輸送に適した日持ちの良い品種が開発できれば、日本産ブランドの農作物の販路が海外にも広がり、市場の拡大が期待できます。

国産のイネやコムギなどの品種を、近年の気候変動などにも対応して安定した収量が得られるように改変できれば、食料自給率の安定と向上に資することになります。また気候の変化によって栽培が困難になった品種・品目についても、ゲノム編集により環境に適応するように改良することで、日本の農業の特徴である多品目多品種を維持し、食生活の豊かさに貢献できます。

4.これまでの進捗とゴールまでのステップ

精密ゲノム編集チームの3つの取り組みから、これまでに以下のような成果が得られています。

1)精密ゲノム編集ツールの開発

ゲノム編集技術「CRISPR-Cas9」では、Cas9というDNAを切断する酵素で、PAM(パム)と呼ばれる特定の塩基配列の近くにある標的DNA配列を切断します。従来のCas9の場合、PAMにはG(グアニン)が2つ並んでいる必要があります。それを改良し、PAM としてG(グアニン)またはC(シトシン)が1つあれば、その近くの標的DNAを切断できる世界初の技術を開発し、特許出願しました。本研究を開発した東大のグループはPAMとしてG,C以外の1塩基も利用できる技術の開発に取り組んで おり、成功すればゲノム上のどの部分にある標的DNAでも自由に切断することが可能になります。

図SpCas9(化膿レンサ球菌由来のCas9タンパク質)のPAM配列はNGG(NはATGCどれでもよい)だが、NGをPAM配列とする改変型SpCas9とデアミナーゼを組み合わせることでより柔軟性の高い塩基置換が可能になるツールを開発。

このような1塩基をPAM配列として認識するCas9と、デアミナーゼと呼ばれる、塩基を別の塩基に置換する酵素を組み合わせることで、ゲノム上のさまざまな箇所を標的として、ある塩基を別の塩基に置換することが可能となりました。また、設計図となるDNA配列の鋳型を用いて、ゲノム中の特定の位置にDNA配列を挿入する効率的な技術も開発しました。

図 鋳型DNAを用いた高効率ゲノム編集:鋳型DNAを核内で増やす工夫と、標的遺伝子の切断を組み合わせることにより、鋳型DNAと標的遺伝子間の相同配列(オレンジ色の部分)を利用したDNAの組換え効率が高まり、任意のDNA配列(緑色の部分)を標的遺伝子に挿入することが可能になる。

2)新規のゲノム編集酵素導入技術の開発

これまでの植物のゲノム編集においては、主にカルスと呼ばれる培養細胞にゲノム編集酵素をコードするDNAを導入してから植物個体を再生し、ゲノム編集個体を得ていました。しかし、技術が適用できるのが、培養や個体の再生ができる植物に限られており、多くの実用作物種では困難です。そこで、植物の生長点と呼ばれる細胞に直接DNAやRNA, タンパク質を導入する技術を開発し、iPB(in planta Particle Bombardment)法と命名しました。生長点は植物の根や茎の先端(茎頂)にある細胞分裂が活発な細胞のことで、茎頂の生長点をゲノム編集できれば、培養の過程を経ずにゲノム編集個体を得ることができます。この方法により、培養が困難な国内実用品種のコムギのゲノム編集に成功しました。iPB法によって、コムギ以外の組織培養が難しいさまざまな植物種や品種においてもゲノム編集が可能になることが期待されます。

図 iPB法のイメージ:金粒子にゲノム編集のツール(DNAやRNA、タンパク質とRNAの複合体など)をコーティングして、植物の生長点に撃ち込むと、金粒子が入った細胞でゲノム編集が生じる。生長点から茎が伸びてくるので、そのまま育てるとゲノム編集植物体が得られる

他にも、細菌やウィルスベクターなどを利用したゲノム編集酵素導入技術を開発しています。

1)及び2)で開発した主要な技術については特許出願が完了、もしくは出願準備が進められています。知財カタログへの追加により、研究者や育種事業者などが本技術を利用して品種を開発できるようにします。

3) ゲノム編集技術を活用した革新的作物の開発

第1期SIPでは、機能性成分であるGABA(ギャバ:gamma-aminobutyric acid)の含有量が高いGABA高蓄積トマトの開発に成功しました。この成果をもとに作られた「シシリアンルージュハイギャバ」という品種は、2020年12月に日本で初めてのゲノム編集技術を応用した食品として厚生労働省へ届出が行われ、2021年9月に市販が開始されています。 第2期SIPでは、技術をさらに改良し、2つの遺伝子を同時に改変して、高GABA、高糖度などの2つの特性を一度に付加しています。メロンについてもコムギのゲノム編集に成功したiPB法を使い、2つの遺伝子を同時に編集して日持ち性の改善とGABA含有量の増加の2つの特性の付加を進めています。また、ゲノム編集技術の利点が目で見てわかりやすい作物として、アサガオとシクラメンの新品種開発をおこなっています。アサガオの伝統的な品種は普通、枝が上に伸び、花が咲いてから1日で萎みますが、ゲノム編集により枝が下に垂れ下がっていき、咲いてから2日後の朝まで咲き続ける「枝垂れ2日咲化」に、「日の丸」等の伝統的な品種で成功しています。シクラメンについてもゲノム編集系の確立に成功したことから、アサガオと同様に2箇所以上の遺伝子を同時に編集した個体の獲得を目指しています。

図ゲノム編集により枝垂れ2日咲化に成功したアサガオ

3)で開発したアサガオについては、今年度中にゲノム編集作物として一般向けの展示ができるよう、検討を進めています。また、トマトについては、市場投入のために厚生労働省への届出準備を進める予定です。

ゲノム編集技術に関する情報発信のため、2019年秋に情報発信サイト「バイオステーション」(https://bio-sta.jp/)を公開しました。ゲノム編集に関連する技術解説や用語集、最新の研究動向、取扱いルールなどの情報をワンストップで紹介しています。また、中学生から・高校生向けのゲノム編集教材を制作し、40 校以上でのモデル授業を実施し、そこでの意見を踏まえて改良も踏まえて改良しています。この教材を通じて、生徒達が学校でゲノム編集を学ぶ機会を増やすことで、若い世代のゲノム編集技術への正しい理解が深まり、子供を通じて親世代にも広がることを期待しています。他に、継続的なアンケート調査やTwitter解析などにより、国民のゲノム編集に対する認知度、理解度をモニタリングしながら、情報発信を行っています。

放射線や化学物質を利用して遺伝子を変えることを利用した育種は従来から行われてきました。ゲノム編集は、特定のDNA配列を狙って切断し、修復の過程で起こる変異を活用する技術です。一方、放射線や化学物質でも同様にDNAが切断され、その後の修復により変異が生じますが、どこに切断が起こり、どの遺伝子が変異するかは全くの偶然によります。そのため、放射線や化学物質の利用で変異が生じた個体から目的の形質を持つ個体を探すのには多くの時間と労力が必要でした。ゲノム編集では目的の遺伝子のDNA配列を狙って変化させるため、望ましい形質を持つ個体をほぼ確実に得ることが可能になりました。精密ゲノム編集チームの研究成果である精密ゲノム編集技術と、新規のゲノム編集酵素などの実用化により、育種の精度とスピードの大幅な向上が見込まれます。従来の技術に加えこれらの技術を用いて、近年の急速な気候変動への対応や食料自給率向上といった喫緊の課題に対応し、食のサスティナビリティ実現に貢献します。

連絡先
<精密ゲノム編集>
遠藤 真咲(農研機構 生物機能利用研究部門 作物ゲノム編集研究領域 ゲノム編集技術グループ 上級研究員)
<国民理解>
高原 学(農研機構 企画戦略本部 新技術対策課 課長)