動物衛生研究部門

口蹄疫

1. 口蹄疫の診断 2000年

研究管理監(海外病担当) 坂本 研一

口蹄疫の病性鑑定に携わって久しい。主任研究員として3年、室長として7年半、チーム長として4年、この4月に研究管理監になって1年。15年程度口蹄疫の病性鑑定に従事していることになる。ここでは、2000年に口蹄疫に遭遇したときの話をお伝えしたい。

2000年3月21日午後5時20分、海外病研究部診断研究室(旧名称)の電話が鳴った。「○○家畜保健衛生所の○○です。管内のA肉用牛肥育農家で飼養牛10頭に口腔鼻腔内に痂皮及び膿瘍を確認しました。これから採材に向かいますが、どんな点に注意すればいいでしょうか。」「採材の際に海外悪性伝染病防疫要領(当時の口蹄疫防疫マニュアル)に定められた搬送用の試薬(50%滅菌グリセリンPBS)がない場合には細胞培養用の培地をpH7.2-7.6に調整したものを代用して構いません。それに水疱上皮を浮遊させて持ってきて下さい。また、同居している牛の症状もよく確認しておいてください。そばに畜産農家があるかもあわせて調べさせておいて下さい。」それから数時間後、夜間であったため血清以外は拭い液しか採材できなかったと、その家保の職員の方から連絡を受けた。

口蹄疫の診断は、現在でも複数の診断方法を組み合わせて実施する。当時、抗原検出ELISAや補体結合試験、培養細胞や乳のみマウスを用いたウイルス分離などの検査を実施していたため拭い液では検査ができなかった。一頭からだけでは材料を集めるのが難かったようで、同じ症状の認められる複数の牛から病変組織を1g採材するよう再度お願いした。そのころは、まだPCR法という検査法はこの要領に定められていなかった。今から考えると、病変を確認するのが極めて難しい(典型的な症状が認められない)2000年の口蹄疫で1g病変部組織の採材がどんなに困難な作業であるか、後になって実施した口蹄疫ウイルス感染実験で判った。採材に赴いた家保の方には大変な苦労を強いてしまった。

しかし、今度は私が苦しむ番だった。口蹄疫の検査で開始後8時間以内に結果の出る検査法は、当時抗原検出ELISAと補体結合試験であった。しかし、そのいずれも陰性であった。ところが、念のために実施していたPCR検査でバンドが確認された。このことは口蹄疫ウイルスの存在を意味していた。PCRキットに添付されている陽性対照にはバンドが確認できなかったため、この検査の各段階に陰性対照を設け、術者も複数にして異なる実験室でさらに2回繰り返した。その結果、陽性対照でも適切な大きさの遺伝子断片の増幅が確認され、2名の検査結果も一致していた。マニュアルで定められていないPCR法という検査法でのみ口蹄疫を否定できない結果となった。果たして、この要領にはない検査法の結果だけで口蹄疫を診断できるのか。また、本当に信じるに値する結果なのか。悩んだ。

口蹄疫の病性鑑定は、病原体を封じ込めるために内部が陰圧に維持されている特殊な施設内で実施される。一緒に検査に当たった部下は黙ってノートにその日に実施した内容や結果を書き落としていた。そんな姿を横目で見ながら、私の方はこの特殊な施設の中で1時間も受話器を握ったまま、すぐに上司に結果を報告できずに床に座り込んでいた。間違った結果かも知れないという思いがあった。時間が長く感じられた。もしこれが本当の口蹄疫であったら、大変なことになるという思いも強く、勇気を振り絞り電話のボタンを押した。「部長、PCRで口蹄疫ウイルスの存在を否定できません。」

この話から10年、口蹄疫の病性鑑定で陽性を認めた。29万頭を殺処分する大きな被害となった。畜産に携わる人へはもとより、一般の人に対しても口蹄疫に対する意識を風化させないようにすることもわれわれの使命かも知れない。もし機会があれば、口蹄疫の診断に関する異なる事例も紹介していきたい。