動物衛生研究部門

口蹄疫

3. 油断 - 心の隙に襲いかかる「口蹄疫」 ー 口蹄疫2010 小平 病性鑑定 ー

農研機構・動物衛生研究部門 部門長 坂本 研一

口蹄疫の病性鑑定診断に携わって、25年ほどになるだろうか。国内ではここ100年の間に2000年と2010年に2回の口蹄疫が発生し、その両方の診断に関わりました。口蹄疫の病性鑑定に纏わるエピソードの一つをご紹介します。

4月18日日曜日午後3時過ぎ、携帯が鳴った。「坂本さんですか?衛生課○○です。」「ああ、おれおれ」農林水産省で病性鑑定を担当している以前からよく知っている相手なので、つい「おれおれ」などと気安く答えてしまった。「今どこですか?」「相模原の米軍基地」「はぁ?」「ハーフマラソン走り終わったところ」出場していたハーフマラソンは東日本国際親善マラソン大会。このときのタイムは1時間49分49秒。翌週に初めてとなる富士五湖の100kmウルトラマラソンへの挑戦を控え、その調整のつもりで走っていた。「元気でいいですね。ところで、口蹄疫の病性鑑定が入りました。今夜中に○○県から病性鑑定材料が到着する予定です。」「えっ!!」目の前が急に暗くなった。バットで頭を殴られた気がした。「わかりました。直ちに職場に向かい、病性鑑定の準備を整えます。」と緊張したまま答えた。すぐに職場の仲間とも連絡を取り、東京都小平市にある海外病研究施設に向かい、口蹄疫の病性鑑定を行うための準備と体制を整えた。

電話を受けたとき全く口蹄疫に対する心の準備ができていなかった。4月も中旬を過ぎていたこともあり、口蹄疫に対する警戒を怠っていたのかもしれない。1990年後半以降、これまでに、日本や韓国、台湾などの東アジアやイギリスなどの北半球に存在する口蹄疫清浄国で本病が発生したのは、すべてウイルスの生存に有利な1月~3月までの冬期であった。これは気温が高くなるとウイルスが不活化されやすくなり、また、紫外線の量などもその不活化に影響を与え、短期間に口蹄疫ウイルスが死滅するためと一般的には考えられている。このため4月の半ば過ぎという時期でもあり、口蹄疫に対して気の緩みがあったことは否めない。東南アジアでは、連日30°Cを終える炎天下でも口蹄疫は発生している。冬場だけの病気と決め付けるのは大きな過ちであり、勝手な思い込みですらある。日曜日の昼下がりに農林水産省の担当者から電話がかかってきた時点で、どのような事態かは容易に察知できたはずである。病性鑑定を担当する者として恥ずかしい話ではあるが、電話を受けたときには他のことに気を奪われ、口蹄疫に対して心に隙があったようだ。そこを「口蹄疫」に付け込まれ、バタバタと慌てる始末となった。「口蹄疫」に虚を衝かれた格好である。

その夜、口蹄疫の病性鑑定材料は予定通りに届けられ、検査は夜を徹して粛々と行われた。検査の結果は幸いにも陰性であった。安心したせいか、また、性懲りもなく、翌週の100kmウルトラマラソンのことが気になり始めていた。

ところが、その翌日にも、また他県から口蹄疫の緊急病性鑑定があると同じ担当者から連絡を受けた。今度は、心の準備も十分にできており、この担当とも冷静にやり取りをすることができた。前日と同じく夜中に病性鑑定材料が届けられ、昨日同様に粛々と検査が実施された。しかし、深夜に出された検査結果を見て愕然とした。検査室から送られて来た写真には口蹄疫ウイルスの存在を示す陽性のバンドがくっきりと浮かび上がっていた。PCR検査だけでなく、同時に実施していた他の遺伝子検査でも、口蹄疫ウイルスの存在を示す結果が示されていた。口蹄疫であることを確信し、思わず机に俯せてしまった。怪物の出現に寒気すら覚えた。本物の口蹄疫が10年ぶりに姿を現した瞬間であった。10年前の経験からこれから起こりうる事態を想像した。100kmマラソンどころではない巨大な敵とどのくらい続くか判らない過酷な闘いを覚悟した。

【後日談】
この2010年の国内発生は家畜の密集地域で起こり、最終的に主に豚および牛29万頭を殺処分するという国内の畜産史上で最悪の被害となった。発生期間は4月下旬から7月上旬までの約2ヶ月半、国際獣疫事務局(OIE)が日本を清浄国と認めるまで約10ヶ月の期間を要した。この発生以降、口蹄疫の国内発生は認められていない。

東獣ジャーナルNo.580 巻頭言 (2016.9)