動物衛生研究部門

口蹄疫

4. 口蹄疫と戦う準備1 - 1999~2000年 発生前 -

農研機構・動物衛生研究部門 部門長 坂本 研一

つくばから海外病研究部の診断研究室の室長として転勤してきて1年が過ぎていた。当部署は海外病に関する研究もさることながら、口蹄疫の病性鑑定という重たい任務が課せられていた。それが、決して失敗の許されないストレスのかかる仕事であることは上司や先輩たちを通して以前より感じ取っていた。このため、私をここに異動させたつくばの当時の部長ですら「おまえの異動に関しては不満ではないが、不安である。」とまで言わせしめたのは、異動先がこの口蹄疫の病性鑑定業務を担うポジションであるためである。これまでのこの研究室の歴代室長は、何を置いても口蹄疫の病性鑑定という診断業務にだけは(にも?)真摯に向き合っていた。この病性鑑定も私が赴任する前は、年に1~数件の依頼があったが、着任してからは一件も病性鑑定依頼はなかった。

この時期、東アジアでは1999年から中国と台湾で新たな口蹄疫ウイルスによる口蹄疫が発生していた。1997年の台湾での大発生以降、また日本においても口蹄疫の足音が遠くから聞こえるような状況であった。赴任して、一度も病性鑑定を実施できておらず、正直、不安に駆られていた。このため、研究室のメンバーとの話し合いの中で、口蹄疫の病性鑑定の訓練をしたいと提案した。この訓練は、X県から口蹄疫の病性鑑定材料が持ち込まれたことを仮想して、それぞれが担当の診断部署に就き、時間内に検査結果を出すという実際的な演習を想定していた。この訓練の実施には、みな快く賛成してくれた。しかし、翌年2000年になり、数少ない部下の一人をニパウイルス感染症の診断の強化のためオーストラリアに送り出さなければならなかった。このため、私を含め3人でこの口蹄疫の演習の準備を進めていた。まず、診断用試薬をすべて一新した。補体結合反応のために羊から採血して、血液を処理して赤血球を緩衝液で安定させ、抗体を吸着させた。補体の力価も事前に測定して、材料さえ来ればいつでも補体結合試験が実施できるようにした。また、抗原検出ELISA用の試薬も調整し、そのキットに含まれる1次抗体や2次抗体、発色用の試薬やその術式も再度確認した。また、ウイルス分離のための牛系、豚系の培養細胞ならびに乳飲みマウスをすぐに使用できるように準備をした。孵卵器、ELISA用洗浄機とその測定装置、恒温槽、遠心機、遺伝子増幅装置などの機器の動作確認もこの病性鑑定の訓練のために実施した。

訓練の実施が翌週に迫ったとき、○○県家畜保健所から口蹄疫病性鑑定の依頼が飛び込んだ。訓練のはずが実際の病性鑑定検査となった。先輩たちに「初めてのお使い」と揶揄された。試薬の準備や検査の術式がすでに頭に入っていたので、検査自体は滞りなく、順調に実施できた。当時のマニュアルである海外悪性伝染病防疫要領に記載されていたすべての検査では陰性であった。しかしながら、念のために実施していた、要領には記載のないPCR法で口蹄疫ウイルスの存在を示す結果が得られた。初めてのお使いのはずが大変な買い物をする羽目となった(この詳細については、2010年12月 動衛研ニュースNo40 巻頭言参照)。ニパウイルスの件でオーストラリアに派遣された部下は、オーストラリアで日本の口蹄疫のことを現地の研究者から知らされ、日本で口蹄疫と闘っている同僚の姿を想像したという。その彼もオーストラリアでのニパウイルス感染症の診断法に関する任務が終了して、帰国後、飛行場からスーツケースを持ったまま職場に現れ、直ちに病性鑑定検査業務に組み込まれ、口蹄疫と闘うことになった。

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