開発の社会的背景
多くの果樹は、雌しべと花粉の間で自分自身と他者を識別し、自分の花粉では受精しない自家不和合性という性質を持っています(図1)。このため、生産者は安定的に果実を生産するために他品種の花粉を用いて人工受粉を行っています。しかし、人工受粉は花(写真1、2)が咲いている短期間に行わなければならないため、生産規模の拡大や生産コスト削減の障害となっています。
現在栽培されているニホンナシの自家和合性品種は、雌しべが自家和合性に変異した「おさ二十世紀」とその子孫品種のみです。しかし、特定の品種ばかりを育種に使うと、近親交配により子供の性質が弱くなることが懸念されます。このため、「花粉側に自家和合性を獲得する」新たな戦略に基づく自家和合性系統の開発に着手しました。
研究の経緯
農業生物資源研究所放射線育種場(茨城県常陸大宮市)のガンマーフィールド2)には、1962年から「幸水」など、ニホンナシの代表的な品種が植えられています。これらの樹は長期間のガンマ線照射により、一部の枝に自家和合性突然変異3)が起きている可能性があります。しかし、ガンマーフィールド内では大規模な自家受粉試験を行うことができないため、これまでに自家和合性の枝を発見することはできていません。そこで、ガンマ線照射された「幸水」の樹から花粉を取り、ガンマーフィールド外(照射区域外)の「幸水」に受粉したところ、苗木1個体(415-1系統)(写真3)を獲得することができました。この苗木について、交配試験により、雌しべ側と花粉側のどちらが自家和合性となったのかを調査した結果、415-1系統は花粉側が自家和合性に変化したことを見いだしました。
研究の内容・意義
ガンマ線照射されたニホンナシ「幸水」から取った花粉を、無照射の「幸水」に受粉して得られた415-1系統について、自家和合性のメカニズムや特徴について次のことを明らかにしました。
1.415-1系統は花粉側が自家和合性に変異
415-1系統の自家結実率(自分の花粉を受粉した時の結実率)は70%以上と高い結実率が認められました(表1)。415-1系統の花粉を「王秋」に受粉すると高い結実率を示しましたが、「王秋」の花粉を415-1系統に受粉すると結実しませんでした。これらの結果から、花粉側和合性であると言えます(表2)。
2.415-1系統の不和合性遺伝子型はS4S5S5
自家不和合性を制御するS遺伝子の遺伝解析結果から、415-1系統のS遺伝子型はS4S5S5であることがわかりました。また、DNAマーカー4)解析により415-1系統はS5対立遺伝子が重複している(1個余分に持っている)ことがわかりました。また、倍数性5)解析の結果から、通常のナシと同じ二倍体であり、一方の染色体がS4とS5対立遺伝子を両方持つことが明らかとなりました。
3.415-1系統の花粉はS4とS5対立遺伝子を両方持つことで和合性を獲得
S4とS5対立遺伝子を両方持つ花粉は、通常の幸水の花粉では受精できないS4S5遺伝子型の雌しべにおいても花粉管伸長が可能なため、花粉側が自家和合性になったことがわかりました(図2)。
4.不和合性遺伝子の解析により、花粉側自家和合性個体を選抜可能
415-1系統と通常の自家不和合性品種とを交雑すると、正常な実生(子供)を得ることができます。この実生集団から、S4とS5対立遺伝子を両方持つ個体を選ぶことで、花粉側自家和合性個体を選抜することができます。実生に花が咲く前の幼い苗の段階で選抜できるので、育種に要する年限を短縮することができます。
今後の予定・期待
得られた415-1系統は、「幸水」が花粉側自家和合性に変異したものではなく、「幸水」の実生(子供)です。既存の優良品種と比べて樹勢が弱く収量性が劣るため、品種として普及するものではありません。また、開花時期が遅いため、主要な栽培品種の受粉樹として直接利用することはできません。しかし、これを交配親として使うことで、人工受粉をしなくても果実を着ける花粉側自家和合性品種や、全てのナシを結実させる和合性花粉を大量に作る受粉用花粉生産専用品種の育成が可能となりました。今後、様々な品種を交配し、広く品種改良に利用する予定です。
本成果と同様の突然変異体の獲得手法を用いることで、リンゴなどでも花粉側自家和合性の育種素材が得られる可能性があります。また、415-1系統において1つ増えた自家不和合性遺伝子が、どのような働きをして自家和合性を引き起こしているのか、メカニズムを調査することにより、自家和合性・不和合性の仕組みが解明されることが期待できます。
用語の解説
1)自家不和合性遺伝子(S遺伝子)
植物の中には、多様な性質を持つ子孫を作るために、花粉と雌しべの間で自分自身と他者を識別し自分の花粉では受精しない自家不和合性という性質を持っているものがあります。この反応に必要な物質を作っている遺伝子がある場所を、自家不和合性遺伝子座(S遺伝子座)と呼び、雌しべ内で花粉を攻撃する毒素を作る『雌しべ側S遺伝子』と、花粉内でその毒素を解毒する『花粉側S遺伝子』が存在しています。一般的なニホンナシは、S遺伝子座に2種類の対立遺伝子(S1,S2・・・など、10種類以上ある)を持っています。花粉側S1解毒物質は、雌しべ側S2,S3・・・などS1以外の雌しべ側毒素を解毒し受精できますが、S1毒素だけは解毒できないため、受精できません。

ニホンナシのS遺伝子座
2)ガンマーフィールド
植物の品種改良を目的に、半径100mの円形圃場の中心に放射性同位体コバルト60線源を設置し、農作物や林木などに低線量のガンマ線を長期間照射して、突然変異を起こさせる施設です。得られた突然変異体は新品種として利用される他、突然変異遺伝子の解析にも用いられています。
3)自家和合性突然変異
自家不和合性の植物において、突然変異により、同じ品種または同じS遺伝子型品種の花粉を受粉した時、結実する性質を獲得することを自家和合性突然変異といいます。自家和合性突然変異には、以下の3つのタイプがあります。
【雌しべ側自家和合性遺伝子の突然変異】
雌しべ側S遺伝子が壊れたため、花粉を攻撃する毒素が作れなくなるか、毒性が失われると、同じS対立遺伝子を持つ花粉も受精できるようになります。ニホンナシでは、自家不和合性の「二十世紀」(S2S4)から、自家和合性の「おさ二十世紀」が発見されています。「おさ二十世紀」は、S4花粉を攻撃する毒素を作れなくなったため、雌しべ側自家和合性になったことが明らかになっています。
【花粉側自家和合性遺伝子の突然変異】
花粉側S遺伝子が壊れたため、同じS遺伝子を持つ品種の雌しべ内でも花粉管を伸長させ、受精できるようになることをいいます。しかし、花粉側S遺伝子に突然変異が起きた花粉側自家和合性のニホンナシは、これまでに発見されていません。
【自家不和合性遺伝子の増加】
二倍体から四倍体になる突然変異によって、自家不和合性遺伝子が2個から4個に増えたニホンナシ系統は、花粉側和合性を示すことがわかっています。しかし、四倍体和合性系統と二倍体の自家不和合性品種を交雑すると、花粉や種子が作れない三倍体の実生ができてしまいます。子孫を残せない三倍体は品種改良に使えないため、二倍体でありながら自家不和合性遺伝子だけが増えた花粉側自家和合性系統が求められていました。
4)DNAマーカー
ゲノム(生物の生存に必要な遺伝子のセット)中のDNA配列の違いを見分けるための目印のことです。二倍体の生物では、通常1つのDNAマーカーで、2つ(父親由来と母親由来)の対立遺伝子が検出できます。DNAマーカーを用いると、遺伝子が親から子へ受け継がれたかどうかを解析できます。
5)倍数性
生物が持っているゲノムの数を倍数性といいます。ニホンナシは通常二倍体ですが、まれに四倍体の系統があります。倍数性は、細胞の核に含まれているDNA量を測定するフローサイトメーターで解析します。
本成果の論文
論題:A Self-compatible pollen-part mutant of Japanese pear produced by crossing ‘Kosui’ with pollen from gamma-irradiated ‘Kosui’
掲載誌:Journal of the Japanese Society for Horticultural Science,82巻3号(2013年7月)
著者:澤村豊、間瀬誠子、髙田教臣、佐藤明彦、西谷千佳子、阿部和幸、増田哲男、山本俊哉、齋藤寿広、壽和夫
論題:A segmental duplication encompassing S-haplotype triggers pollen-part self-compatibility in Japanese pear (Pyrus pyrifolia)
掲載誌:Molecular Breeding,33巻1号(2014年1月)
著者:間瀬誠子、澤村豊、髙田教臣、西尾聡悟、山本俊哉、齋藤寿広、池谷祐幸
図表
表1 415-1の自家和合性の調査*
雌しべ側品種
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花粉側品種
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自家結実率(%)
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和合性の判定*
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415-1
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×
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415-1
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74.4
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自家和合性
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幸水
|
×
|
幸水
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5.0
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自家不和合性
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表2 415-1の雌しべ側・花粉側自家和合性突然変異の調査*
雌しべ側品種
(S遺伝子型)
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花粉側品種
(S遺伝子型)
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結実率 (%)
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和合性の判定
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415-1(S4S5S5)
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×
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王秋(S4S5)
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0.0
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雌しべ側自家不和合性
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王秋(S4S5)
|
×
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415-1(S4S5S5)
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76.2
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花粉側自家和合性
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*種子がある果実が結実した割合が30%以上のものを和合性と判定した。

写真1 「幸水」の花

写真2 「幸水」の花(拡大)

写真3 415-1系統の花

図1 ニホンナシの花の構造と自家不和合性
S4花粉は、「幸水」の雌しべが同じ型のS遺伝子を持っているので、花粉管伸長が止まり受精ができない(自家不和合性)。一方、S2花粉は、「幸水」の雌しべが違う型のS遺伝子だけを持っているので、花粉管が伸長し受精できる(交雑和合性)。

図2 415-1系統の花粉側自家和合性の仕組み
415-1系統のS4S5の両遺伝子を持つ花粉は、花粉側S4遺伝子が雌しべ側S5遺伝子を、花粉側S5遺伝子が雌しべ側S4遺伝子を、それぞれ違う型と認識するため、花粉管が伸長し受精できる。