プレスリリース
(研究成果) 常温乾燥保存が可能な匂いセンサー培養細胞の作出に成功

- 持ち運び可能な匂いバイオセンサーへの応用に期待 -

情報公開日:2026年3月17日 (火曜日)

農研機
東京大学大学院新領域創成科学研究科

ポイント

多様な「匂い」の検出のために生物の能力の活用が期待されており、国内外で培養細胞1)を用いた「匂いセンサー培養細胞」の開発が進められています。ところが、一般的な培養細胞は適切な温度や湿度を維持する必要があるため、長期保存や輸送に課題があり、研究施設外での利用には大きな制約があります。農研機構を中心とした研究グループは、乾燥状態でも生き延びることができるネムリユスリカ2)に由来するPv11培養細胞3)に、ショウジョウバエの嗅覚受容体4)(匂い物質を認識する受容体)の遺伝子を導入した「匂いセンサー培養細胞」を作出しました。この培養細胞は、常温で乾燥保存した後でも、水分を与えると乾燥保存の前と同様に匂いに反応します。今後は本技術を活用し、小型で持ち運び可能な匂いバイオセンサーの開発を進めていきます。

概要

匂いセンサーとは臭気に含まれる揮発性物質を検出する装置であり、大きく「工学的センサー」と「生物的バイオセンサー(以降、バイオセンサーと記載)」に分類されます。工学的センサーは半導体などを利用しており、量産性、耐久性、検出の安定性に優れる一方、匂いの選択性が低く、湿度や温度の変化に影響を受けやすいという課題があります。これに対し、バイオセンサーは嗅覚受容体などを利用しており、量産性や耐久性の確保が難しいものの、湿度に強く、高い匂い選択性を示し、人や動物の嗅覚に近い応答を示すことが特徴です。バイオセンサーはがんや感染症などをターゲットとした医療診断、食品の品質評価など幅広い分野への利用が期待されており、匂い物質を認識する嗅覚受容体を培養細胞に導入し、多様な「匂い」を検出できる「匂いセンサー培養細胞」の開発が進められています。しかし、一般的な動物培養細胞は適切な湿度や温度、大気中より高い二酸化炭素濃度で維持する必要があるため、匂いセンサー培養細胞の長期保存や輸送に課題があり、研究施設外での利用には大きな制約がありました。

この課題解決の鍵となるのが、極限的な乾燥に耐える能力を持つ昆虫「ネムリユスリカ」です。ネムリユスリカは水がない環境で無代謝休眠状態5)に入り、数年間生き延びることができます。農研機構を中心とした研究グループはこの特徴を活かし、ネムリユスリカに由来し、世界で唯一、常温乾燥保存が可能なPv11培養細胞に、ショウジョウバエ由来の嗅覚受容体を導入した匂いセンサー培養細胞を作出しました。今回作出した匂いセンサー培養細胞は、匂いを検知すると蛍光を発するシステムを組み込んであり、匂い物質の一つである酢酸ペンチルに対して濃度が高くなるほど強い蛍光応答を示しました。さらに、この匂いセンサー培養細胞を乾燥させて常温で2週間保存した後、水分を再供給した24時間後には、匂い物質に対して乾燥前と同レベルの応答を示すことも確認できました。

常温乾燥保存可能な匂いセンサー培養細胞の作出はバイオセンサー開発において重要な第一歩であり、今後の携帯型匂いバイオセンサーの実用化に向けた応用が期待されます。

図1 : 乾燥保存可能な匂いセンサーPv11培養細胞の仕組み 果実などの匂い物質の一つである酢酸ペンチルを認識するショウジョウバエの嗅覚受容体Or47a遺伝子、嗅覚受容体遺伝子とともにはたらく共受容体Orco遺伝子、嗅覚受容体のはたらきによって細胞に流入するカルシウムイオンに反応して蛍光を発するGCaMP6f遺伝子を導入した培養細胞「Pv11-00443-Or47a」を作出しました。この培養細胞は匂い物質を検知すると蛍光を発します。この培養細胞は常温乾燥保存した後であっても、培地に戻して再水和すれば、乾燥前と同程度の匂い物質の検出能力を発揮します。

関連情報

特許 : ネムリユスリカ由来の細胞、およびそれを備える匂いセンサ 特開2025-138913

問い合わせ先など
研究推進責任者 :
農研機構 生物機能利用研究部門 所長立石 剣
研究担当者 :
同 生物素材開発研究領域 グループ長補佐黄川田 隆洋 上級研究員コルネット リシャー
広報担当者 :
同 研究推進室遠藤 真咲

詳細情報

開発の社会的背景

食品の品質管理、医療診断、環境モニタリングなど様々な分野において、匂いの検出の需要が高まっています。これまでに様々な匂いの検出技術が開発されていますが、特に生物の優れた嗅覚機能を活用した、培養細胞を用いた匂いセンサーの開発に大きな注目が集まっています。しかし、培養細胞を最適な状態で維持するには適切な温度や湿度、二酸化炭素濃度を維持する必要があるため、環境の整った研究施設以外での利用には高いハードルがありました。また、培養細胞を長期保存するためには液体窒素や-80°Cを維持できる超低温槽が必要となるため、保管・輸送におけるコストも無視できません。培養細胞を用いた匂いセンサーの実用化のためには、これらの問題を解決する必要がありました。

研究の経緯

農研機構の研究グループは、水がない環境で無代謝休眠状態に入り、極限的な乾燥に耐える昆虫、ネムリユスリカの乾燥耐性メカニズムを研究してきました。ネムリユスリカから樹立したPv11培養細胞は乾燥耐性を示し、これまでに1年間を超える常温乾燥保存に成功しています。再水和後に生き残ったPv11培養細胞は生命活動を再開し、乾燥前と同様に増殖し始めます。Pv11培養細胞は動物細胞の中で唯一の常温乾燥保存できる培養細胞です。

一方、メリーランド大学では、イモリの嗅覚細胞を利用した小型匂いセンサーを開発していましたが、長期間の細胞維持が困難でした。そこで、農研機構と東京大学がメリーランド大学と連携し、Pv11培養細胞を利用した常温乾燥保存可能な匂いセンサー培養細胞を開発することにしました。

研究の内容・意義

概要 : Pv11培養細胞に、バナナなどの果実の香り成分である酢酸ペンチルを検知するショウジョウバエ由来の嗅覚受容体Or47aを導入し、匂いを検知したことを蛍光で知らせるシステムも組み込んだ匂いセンサー培養細胞を作りました。この培養細胞は、常温乾燥保存しても、再水和後には酢酸ペンチルに対して乾燥前と同レベルの応答を示しました。この成果は、常温乾燥保存が可能な匂いバイオセンサーの開発に向けた第一歩として重要です。

具体的な研究内容 :

  • <嗅覚受容体を導入したPv11-00443-Or47a培養細胞の作出>
  • Pv11培養細胞に、嗅覚受容体Or47a遺伝子と、嗅覚受容体とともにはたらく共受容体Orco遺伝子を導入しました。嗅覚受容体は匂い物質に反応すると細胞外からカルシウムイオンを取り込むはたらきをします。そこで、細胞内に流入したカルシウムイオンを検出する蛍光マーカーGCaMP6f遺伝子も導入した培養細胞(Pv11-00443-Or47a)を作出しました。Pv11-00443-Or47a培養細胞は乾燥耐性を保持していること、導入した遺伝子が正常にはたらいて、酢酸ペンチルを加えると蛍光応答が見られることを確認しました。
  • <Pv11-00443-Or47a培養細胞は期待通り匂い物質への応答性を示します>
  • 今回作成したPv11-00443-Or47a培養細胞はバナナの香りがする酢酸ペンチルに反応し、その濃度が高くなるほど強い蛍光を発しました。酢酸ペンチルに対する感度の指標となる半数効果濃度(EC50)6)は3.4 μMで、これまでに報告されているOr47aを導入した動物細胞で得られた値(EC50 : 2~30 μM)と同レベルでした。また、繰り返し酢酸ペンチルを曝露した場合であっても、応答できることが分かりました。
  • <常温乾燥保存してもPv11-00443-Or47a培養細胞は匂い物質を検出できます>
  • Pv11-00443-Or47a培養細胞を乾燥させて常温で2週間保存した後に再水和しても、酢酸ペンチルに対して濃度依存的に蛍光の強度が変わり、EC50も8.1 μMと乾燥前と同じオーダーでした。酢酸ペンチルに対する応答は再水和後12~48時間で確認できました。さらに、乾燥状態で3年間保存したPv11-00443-Or47a培養細胞も、再水和後に匂い物質に対して正常な応答を示すことが分かりました。

今後の予定・期待

今回作成したPv11-00443-Or47a培養細胞は常温乾燥保存できる匂いセンサーの開発のための第一歩として重要です。今後は、検出できる匂いの種類を増やして、得られた複数の匂いセンサー培養細胞と小型蛍光検出デバイスと組み合わせることで、がんや感染症などをターゲットとした医療診断や食品の品質評価など、高い選択性が必要な分野に応用できる持ち運び可能な匂いセンサーの開発が期待されます。

用語の解説

培養細胞
動物・植物・昆虫などの生物から取り出した細胞を、生体外で人工的な環境下に置き、培養液や固形培地を用いて維持・増殖させたものです。 [ポイントに戻る]
ネムリユスリカ
アフリカの半乾燥地帯に生息する無代謝休眠状態5)を維持する能力をもつ昆虫です。昆虫の中で無代謝休眠状態になれるのは、ネムリユスリカと近縁種マンダラネムリユスリカだけです。 [ポイントに戻る]
Pv11培養細胞
ネムリユスリカから樹立された培養細胞です。現時点で世界唯一の常温乾燥保存可能な動物培養細胞です。乾燥させたPv11培養細胞は、常温で1年間以上放置しても、培地を加えるだけで増殖を再開することができます。 [ポイントに戻る]
嗅覚受容体
細胞膜上に局在するタンパク質で、揮発性物質と結合すると匂いの認識につながるシグナル伝達を引き起こします。昆虫の嗅覚受容体は匂い物質を認識できる受容体(OR)と、ORと協力してはたらく共受容体(Orco)の2種類のタンパク質で複合体を構成して、イオンチャネルを形成しています。受容体ORが特異的な匂い物質と結合することによりイオンチャネルが開いて(図1)、カルシウムイオンが細胞内に流れ込んで、シグナル伝達へつながります。 [ポイントに戻る]
無代謝休眠状態
乾燥によって体内の水分が10%以下に落ちた、代謝のない状態のことで、アンヒドロビオシスとも呼ばれます。この状態は可逆的で、水で戻して再水和すると代謝が再開し、再び活動や発生を継続できる生命現象です。乾燥状態で長期保存できる植物の種も、酵母のような微生物も、アンヒドロビオシス状態で乾燥に耐えることができます。その他、クマムシ、アルテミアの卵、ワムシなど一部の無脊椎動物でも見られる現象です。 [概要に戻る][用語の解説2)に戻る]
半数効果濃度(EC50)
ある物質に対して細胞が反応する強さは、その物質の濃度によって異なります。半数効果濃度とは、反応の強さが最大値のちょうど半分になるときの物質の濃度のことです。 [研究の内容・意義 2)に戻る]

発表論文

Hiroto Fuse, Richard Cornette, Yugo Miyata, Shoko Tokumoto, Sachiko Shimura, Ricardo C. Araneda, Pamela Abshire, Takahiro Kikawada, Roy Anderson, Redwan Haider, Elisabeth Smela. (2025) An anhydrobiotic cell line expressing odorant receptors shows odorant responses after dry storage. Scientific Reports. 15:35533.
DOI: 10.1038/s41598-025-19627-x(2025年10月10日公開)

  • 著者情報
  • 東京大学 大学院新領域創成科学研究科 先端生命科学専攻
    博士課程(当時)布施 寛人
  • 農研機構 生物機能利用研究部門 生物素材開発研究領域
  • 上級研究員コルネット リシャー
  • 上級研究員志村 幸子
  • グループ長補佐黄川田 隆洋
  • 契約研究員(当時)宮田 佑俉
  • 契約研究員(当時)徳本 翔子
  • University of MarylandProf. Elisabeth Smela
  • Prof. Pamela Abshire
  • Prof. Ricardo C. Araneda
  • Roy Anderson
  • Redwan Haider

研究担当者の声

常温乾燥保存できるPv11培養細胞を発表したあと、他に類をみないPv11の機能を利用する方法を模索していたちょうどその頃、メリーランド大学のSmela教授から一本の電話があって、「今開発している匂いセンサーのためにあなた達の培養細胞を使いたい!」と意外な展開になりました。それから共同研究が進んで、今の論文につながりました。長い道のりでしたが、これからどんな匂いを検出しようかなと楽しみにしています。

左から順に、農研機構 生物機能利用研究部門 生物素材開発研究領域 機能利用開発グループ 上級研究員 コルネット リシャー、グループ長補佐 黄川田 隆洋、東京大学 大学院新領域創成科学研究科 博士課程(当時) 布施 寛人、メリーランド大学 Elisabeth Smela教授。