研究の社会的背景
牛の妊娠期間は約285日であり、通常は1年に1頭しか産めないため、優秀な資質を持った牛でも一生涯に産める子牛の数は限られています。その一方、優秀な牛の受精卵を他の牛(受胚牛)3)に移植する受精卵移植4)の技術により、優れた資質を受け継いだ子牛を多数得る効率的な家畜の増産や育種改良が可能となります。この技術の一つである体外受精卵移植技術は、食肉処理場で本来ならば廃棄される卵巣内の卵子を有効活用する画期的な技術であり、世界的に研究が進められてきました。
しかし、わが国における受精卵移植による子牛の生産数(年間22,666頭、2009年度)のうち、体外受精によるものは10.6%(2,403頭)にとどまっています。その理由の一つに体外受精卵は凍結に弱いことがあります。この状況を打破するには、凍結に強い体外受精卵が生産できる培養技術や凍結保存技術を高度化し、高い受胎率5)が望める高品質な体外受精卵を生産する必要があります。
研究の経緯
牛の受精卵は、マウスなどと比較して脂肪含量が多く耐凍性が低いことが、低生存率の一因と考えられています。一方、L-カルニチンは脂肪をミトコンドリア内へ運搬し、その燃焼促進を通じ、細胞内の脂肪を減少させることが知られています。そこで、牛の受精卵の培養液に、L-カルニチンを添加し、受精卵の脂肪の減少に伴う体外培養時の生産率や凍結保存後の生存率の向上効果を研究しました。
研究の内容・意義
- L-カルニチンは、脂肪含量の多い牛の受精卵に対して脂肪の減少を通じ、体外受精卵の生産率と凍結保存後の生存率の向上に対する効果があり、凍結保存後の生存率は66.9%から91.0%へ向上(図1A)しました。
- また、牛の受精卵の培養液にL-カルニチン(0.6 mg/mL)を添加することで、ミトコンドリアの活性化とそれに伴う受精卵の脂肪減少(図2)により、生体内で用いられるエネルギーの保存や利用に関与しているATP(アデノシン3リン酸)6)の産生が増加し、牛の受精卵の活力が高められ、体外培養時の生産率は32.4%から44.6%へ、向上しました(図1B)。
今後の予定・期待
L-カルニチンは、健康食品に使用されるなど生体に対して安全で、培養液1 mL(最大200個の受精卵の培養が可能)あたり4円と安価な上、効果も大きいことから、牛の受精卵の体外生産や凍結の現場における積極的な利用が期待されます。
発表論文
Toshikiyo Takahashi, Yasushi Inaba, Tamas Somfai, Masahiro Kaneda, Masaya Geshi, Takashi Nagai and Noboru Manabe
Supplementation of culture medium with L-carnitine improves development and cryotolerance of bovine embryos produced in vitro.
Reproduction, Fertility and Development (DOI: 10.1071/RD11262).
用語の解説
1) L-カルニチン:
脂肪の燃焼を促進させる効果があり、健康食品素材として利用されています。
2) 体外受精卵:
生殖器内ではなく、体外の培養液中で受精させた卵子をいいます。
3) 受胚牛:
受精卵を子宮内に移植するために用いる雌牛、あるいは、受精卵を子宮内に移植された雌牛のことです。
4) 受精卵移植:
提供動物から回収した受精卵や体外受精卵を受卵動物の子宮に移植し、借り腹により胎子を育てて、動物個体を生産する技術です。
5) 受胎率:
交配、人工授精、あるいは受精卵移植に供した頭数に対する妊娠頭数を百分率(%)で表したものです。
6) ATP(アデノシン3リン酸):
生体内で用いられるエネルギーの保存や利用に関与する物質です。

