開発の社会的背景
図1 令和6年能登半島地震による地すべり災害発生報告の件数の推移(農林水産省農村振興局所管の地すべり防止区域内での地すべり件数)。
令和6年7月17日現在。石川県の公表資料をもとに作成。
・令和6年能登半島地震では、多くの地すべり災害が確認されました。しかし、最初に地すべり災害の発生が把握されたのは、地震の発生から1週間が経過した後であり、多くの事例はさらに数週間以上が経過してから発見されています(図1)。
・こうした地すべり災害は、平成16年(2004年)新潟県中越地震、平成20年(2008年)岩手・宮城内陸地震、平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震など、過去の大規模地震でも繰り返し発生しており、農地や農業用施設、家屋、インフラなどに甚大な被害をもたらしてきました。
・地震時の地すべりの移動量は、地震発生前に予測しておくことも、発生後に迅速に推定して復旧工事に活かすことも、どちらも重要です。
・事前の予測については、これまでにも地震時の地すべり危険度を広域的に評価する手法や、特定の地すべり活動について精密に解析する手法が研究されてきました。しかし、これらの手法には多くの調査や試験、高度な専門知識などが必要でした。加えて、農林水産省農村振興局が所管する地すべり防止区域は全国に約2,000区域、総面積は11万ヘクタール以上に及ぶため、個別の地震時の移動量を事前に推定することは困難でした。
・一方、地震発生後の災害復旧工事へ着手するには、地質調査ボーリング6)や地下水位観測などを行い、解析によって地すべりの安定性を評価する必要があります。こうした準備を行うため、災害復旧に着手するまでに時間を要していました。
・こうした背景から、地震時の地すべりの移動量を、簡便かつ迅速に推定できる手法の開発が求められていました。
研究の経緯
・大規模地震の発生に伴う地すべり災害は、江戸時代の名立崩れ(新潟県)や鳶山崩れ(富山県)、帰雲山の山体崩壊(岐阜県)、そして大正時代の関東大震災の地震峠(神奈川県)など、古くからその発生が知られています。しかし、記録に残されてきたのは大きく滑り落ちた地すべりのみであり、地震時に動かなかった、あるいはわずかに動いたといった現象はほとんど把握されていませんでした。
・近年では、精密な機材を用いて地すべりの移動量が観測されるようになりました。こうした中、新潟県上越市内のある地区では、雪解け期に移動していた地すべりが、対策の効果によって安定したものの、大規模地震の発生時にのみ移動しているという観測結果が、農林水産省の直轄地すべり対策事業の実施期間中に得られました。
・この地区では、地すべり防止工事で築造する施設を設計するために、Fellenius法による安定解析が行われていました。この解析に地震加速度を与えて地すべり移動量を試算したところ、実際の移動量と同じオーダーの結果が得られることが明らかになりました。
・そこで、過去の地震によって発生した地すべり災害の事例を検証した結果、1cm程度の小さな動きから10m以上の大きな動きまで、実際の移動量とおおむね同じオーダーで推定できることが確認されました(図2)。
図2SLaDEE法を用いた推定の再現精度
図中の枠囲みは所在県名、地すべり名とその地すべりの移動量が発生した地震
研究の内容
SLaDEE法の特徴
・SLaDEE法は、専用の解析ソフトウェアを必要とせず、計算式を用いることで、市販の表計算ソフトを使って予測できます。1回の計算に要する時間は数分以内であり、多くの想定ケースを短時間で比較・検討することができます。
・使用する情報は、Fellenius法による安定解析で用いる情報に加え、地震時の加速度を追加するだけで済みます。また、地すべりの移動の向きが途中で曲がっている場合でも、移動量の推定が可能です。
SLaDEE法の手順
・SLaDEE法では、地すべり土塊7)の安定性を「力の釣り合い」として評価します。これにより、簡便な解析が可能となっています。
・具体的には、滑動力8)と抵抗力9)の差分を地すべり土塊の質量で割ることで、地すべり土塊に働く加速度を推定します。その加速度を積分して速度を求め、さらに積分することで、単位時間当りの移動量を推定します。
・最終的な移動量の推定値は、単位時間当たり移動量の推定値を積算することで得られます。
研究の意義
・農林水産省の「土地改良事業計画設計基準及び運用・解説 計画『農地地すべり防止対策』(令和4年5月)」では、地すべりの安定性を評価する際、原則として地震の力を考慮しないとされています。これは、地震時の地すべりの移動量を簡便かつ概括的に推定する手法が、一般化されていなかったことが理由のひとつです。
・本研究の成果は、行政による地すべり防止区域の管理において、地震時の地すべりの安定性を評価するための新たな手法として、従来よりも簡便に地すべりの移動量を推定できる方法を具体的に提案するものです。
・さらに、令和6年能登半島地震で発生した地すべり災害の対応のように、災害発生後に迅速にその地すべりの安定性を評価できるという利点があり、早期の災害復旧にも役立ちます。
今後の予定・期待
・SLaDEE法は、物理法則に沿った厳密な推定手法ではないため、その有効性をより確かなものとするには、今後さらに事例を増やして検証を重ねていく必要があります。
・また、ダムやため池などの重要な施設が、地すべり防止区域内や地すべり斜面の下方に位置する場合に、地すべりの地震時の安定性を個別に評価できることから、これまで十分に行われてこなかった地すべりの耐震照査が進むことが期待されます。
・人口減少や高齢化が進み、中山間地域での安全確保が困難になりつつある現在、地すべり斜面の耐震照査が広く実施されることで、土砂災害による人的被害がなくなることを願っています。
用語の解説
- 地すべり
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大雨や雪どけによって地下水位が上昇するなどの影響で、土地がすべる現象とされています。一般的には、移動速度が遅く、断続的に斜面が移動する現象を「地すべり」、移動速度が速く、斜面が崩れ落ちる現象を「崩壊(崩落)」、移動速度が速く、水と土・石・砂が混じり合って流れ下る現象を「土石流」といいます。
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- 安定解析
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地すべりの安定性を評価し、必要となる対策工の規模や種類を検討するための解析手法です。具体的には、地すべりを滑らせようとする力と、地すべりの下側の地盤が持つ抵抗力のバランスを計算し、安全率を算出することで、地すべりの安定性を評価します。
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- Fellenius法
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地すべりの安定性を評価する手法のひとつで、詳細な調査や高度な解析が難しい場合でも、比較的容易に地すべりの安定性を評価できます。地形や地質、地下水などの情報をもとに、簡易な計算や図表を用いて地すべりの発生しやすさを判断します。
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- 地すべり防止区域
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「地すべり等防止法」に基づいて指定される区域で、 地すべりによる被害を防止するために必要な工事を行ったり、地すべりに有害な行為を制限したりする必要がある土地です。国土交通大臣または農林水産大臣が指定します。
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- 耐震照査
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建物などが地震の力に対して安全かどうかを調べることです。地震発生時に建物などにどれくらいの力がかかるかを計算し、その力が建物などの強度を超えないかどうかを確認します。これにより、地震による損傷などを防いで、安全性を確保します。
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- 地質調査ボーリング
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機械や人力で地盤を掘り、地層の様子や地盤の硬さなどを調べる調査方法です。ボーリング機械で地中に孔をあけ、採取した土や岩石のサンプルを分析したり、孔を利用した試験を行ったりすることで、地盤の状態を把握します。
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- 地すべり土塊
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地すべり現象によって移動した部分のことです。地すべり土塊の底面にはすべり面があって、この面の下側は動いていない不動地盤となっています。
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- 滑動力
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地すべり土塊が重力を受けて、斜面下方に動こうとする力を指します。地震で加速度を受けると滑動力が増して、地すべりが動きやすくなります。
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- 抵抗力
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地すべり土塊の滑動力に対して、その動きを止めようとする力を指します。降雨や雪解けで地下水位が上昇すると地すべりを持ち上げようとする力が働くため、抵抗力が低下して、地すべりが動きやすくなります。
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発表論文
研究担当者の声
能登半島地震で滑動した地すべりの調査のようす
斜面は高さ20~30mの切り立った崖になっています(安全には十分配慮して調査を行っています)。
農村工学研究部門 農地基盤情報研究領域
グループ長楠本 岳志
もともと行政機関に所属していて、地すべり対策の分野では、これまでに蓄積されてきた学術的な知見が現場で十分に生かされていないことを感じていました。科学が発達し、技術には蓄積された過去の知見が反映されているにもかかわらず、地震時の土砂災害では繰り返し被害が発生しています。精緻で正確な理論は大事ですが、難しすぎると現場で使えません。まずは簡単に使える方法で「ザックリと評価する」ことも防災では重要だと考えています。
土木の知見はこれまでにたくさんの研究がありますが、その中で新しい提案をするためには、より多くのデータを集めることが重要と考え、現地にも足を運ぶように努めました。
簡便な式を提案することは、学問の進歩に逆行するような感覚があることも否定できません。そこを理解していただくことがたいへんでした。それでも、技術とは大胆に条件を絞り込んで、核心部分だけを取り出すことだと聞いたことがあり、不安を抱えながらもその言葉を胸に研究を続けてきました。
在住の方々がその土地のことを誰よりもいちばんよく知って、土砂災害によって人的被害がなくなることに貢献できればと思います。