ダイバーシティ推進 Diversity and Inclusion

中村 ゆり 果樹茶業研究部門 研究推進部 部長 筑波大学卒業後、農水省果樹試験場に就職。育種部育種第3研究室、安芸津支場育種法研究室、栽培部根圏制御研究室、本部企画調整部、果樹研果実鮮度保持チーム長、業務推進室長、本部研究管理役、果樹研生産・流通研究領域長を経て、現職。

その時々のテーマに、一生懸命取り組む

ドクター取得までの道のり

私が最初に配属されたのはつくばのモモやウメ、スモモの育種の研究室でした。育種は畑の仕事が中心で、外で穴掘りとか力仕事が多いんです。昔は、千代田試験地、今のかすみがうら市に主な育種の畑があったので、そこまでほぼ毎日通って農作業をしていました。春になったら交配をして、あとはずっと樹の管理をして、毎日畑にいましたね。事業育種が仕事の中で大きい部分で、その中でテーマを見つけて研究もしてねと言われましたが、学部卒の自分にはそれが難しいと思ったことを覚えています。
就職して6年後に結婚することになって、夫が当時広島にいたので、要望を出したら広島に転勤させてもらえました。行った先は安芸津試場の育種法研究室、バイテクの研究室ですね。キウイフルーツとカキで、遺伝子組換えの手法の開発をやって、いわゆる研究の世界に足を踏み入れたように感じました。
子どもが生まれて半年くらいのとき、今度はつくばの方に異動することになって、栽培部の根圏制御研究室に異動しました。ここで、筑波大にお世話になって、安芸津でやっていた研究テーマ「カキとキウイフルーツの形質転換手法の開発」で博士号を取得しました。学位論文を家で書いていると、当時1歳の娘が膝の上に登ってくるんですよ。子どもがキーボードに触らないようにしながら書いていた記憶がありますね。
就職した当時は女性研究員がとても少なくて、果樹研には私も含めて同期の3人しかいませんでした。結婚や転勤などの時には、同期の女性研究員によく相談していました。いつも励ましてもらって、背中を押されました。

私のキャリアパス ~組織全体が見えるようになった~

主研の時1年半本部に異動して、交付金の予算の仕事をしていました。制度とか予算の仕組みとか、よく勉強させてもらって、全体が見えるようになったのでよかったなと思っています。その後、研究に戻って、果実鮮度保持研究チーム長を務めました。この時、果物の輸出を促進しようというプロジェクトが開始されて研究の取りまとめ役をやりました。県や大学、民間企業と一緒にイチゴやリンゴ、ミカン、ナシの貯蔵や輸送技術の開発をするプロジェクトで、ナシの肥大促進化技術の開発やメーカーと協力してパッケージを開発、実用化したりしました。
その後、再び本部で研究管理役として2年間仕事をしました。その時、男女共同参画推進室長も併任していて、「イクメンにNARO」とか、「部下に子どもができましたといわれたら」とか、ダジャレのようなパンフレットを作りましたね(笑)。
第4期の初めから研究に戻ってきて、生産流通研究領域長を3年間やって、そして研究推進部長になって1年半です。今は管理職として、研究員にいいアイデアを出してもらえるように、研究員のフォローをするのが大事と考えています。
残念ながら研究の王道であるやりたいことを一つに定めて深掘りするといった研究は、全くできませんでした。転勤したり、子どもが生まれたり、夫が転勤して単身赴任になったりといろいろな状況がありました。それらを何とかやってきたという感じです。仕事をするうえで、心がけていたことは、仕事を続けられる場を与えてくれたことに感謝して、その時々にあったテーマや仕事に一生懸命取り組むこと、ですね。

後輩へのメッセージ

農研機構は産業省である農林水産省についている研究機関なので、現場で使ってもらえるようなところを目指して研究をがんばってもらいたいと思っています。基礎的な素晴らしい研究ももちろん大切だと思いますが、産業振興というところの足場を忘れないでほしいですね。
振り返ってみれば、本部勤務を経験したことが今はとても役にたっています。そういう意味では、キャリアパスは大事ですね。いろんな活躍の仕方があると思うから、一つのことに固執しないでチャレンジしてみたらいいと思います。声がかかるということは、その人にやらせてみたいと期待されているということなので、声がかかったらまずは話を受け止めて前向きに考えてみたら、と思っています。

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