ダイバーシティ推進 Diversity and Inclusion

曹 巍 基盤技術研究本部 農業情報研究センター AI研究推進室 上級研究員

人の役に立ちたい。やりがいは研究の成果を生産者に喜んでもらうこと。

背中を押したのは父のひと言

中国の大学を卒業してから、国内で進学するか、海外に留学するか、ずいぶん悩みました。海外留学もアメリカにするか、日本にするか、迷っていました。そんなときに父が自分の経験談を話してくれました。父は80年代に仕事の関係で来日した経験がありましたが、そのときの日本の印象がとても良かった、と話してくれたんです。この言葉を聞いて、日本に留学しようと決めました。

プログラミングに明け暮れた大学院時代

中国の大学では応用生命工学(バイオインフォマティクス)を専攻しましたが、どちらかというと実験系が中心でした。実験データをコンピュータで解析すると、タンパク質の動きや働きが分かってとても面白いと感じました。そのため、日本では情報系の勉強をしたいと考え、いろいろ調べて東京大学の大学院に進学しました。しかし、当時はタンパク質を解析するソフトが全くなかったので、自分でゼロからプログラミングする必要がありました。しかも機械学習のプログラムが必要でした。もともと実験系で、プログラミングの経験がなかったため、修士課程では思うようにプログラムが作れなくて苦労しました。休日も返上して、プログラミングの勉強に明け暮れた結果、修士2年の後半になってようやくプログラムが走るようになりました。

人の役に立ちたい

学位を取得してから、しばらく同じ研究室の研究員をしてから東洋大学の助教をしました。どちらも情報系の基礎的な研究と教育の仕事でしたが、なにか物足りなさを感じていました。自分の研究で人や社会の役に立ちたいという気持ちが、だんだん強くなっていきました。そんなときに、農研機構の公募を知りました。農研機構であれば、農業という現場があるので、自分の研究を役立てる応用研究ができると考え、応募しました。

お茶の生育予測モデル

農研機構ではAI研修の講師の他に、お茶の生育予測モデルの研究に取り組みました。お茶の生育は天気に左右されやすく、生産者の苦労が多いことを知りました。もし摘採適期が事前に分かれば、そのための準備を効率的に行うことが可能になります。そこで、機械学習でお茶の生育を予測するモデルを作成して、摘採適期を推定しようという話になりました。機械学習にはビッグデータが必要です。ところが、渡されたデータはほんのわずかな量で、データが少なくても動くアルゴリズムを作成する必要がありました。そんな経験はなかったので、不安だらけの毎日でしたが、試行錯誤してなんとか作りました。計算してみると、2週間前に摘採適期を予測するのが最も精度が高いという結果を得ました。そこで、実際の圃場データで計算したところ、熟練した生産者が摘採適期と判断した日とピッタリ一致しました。生産者に素晴らしいと言ってもらえて感激しました。

今後の夢

今回の生育予測モデルは、宇治の茶園を対象にして作成したものです。今後は、宇治以外の茶園でも摘採適期が分かる予測モデルに拡張する必要があります。宇治以外の場所でも、モデルに使えるデータは少ないと思います。したがって、この研究は、ビッグデータを駆使するのが一般的な機械学習の世界に、新しい方法論を示す研究であると位置づけています。圃場のデータ観測には労力が必要です。しかし、データが少なくても予測可能な機械学習モデルができれば、圃場のデータ観測を効率化して労力を減らすことが可能です。
また将来的には、リアルタイムの観測データを使用して計算プログラムを更新する自動化プログラムを作成したいと思っています。

日本の生活

趣味は歴史です。休日は、史跡巡りをしています。現在は東京に住んでいますが、東京には史跡が多く、訪ねる場所には事欠きません。石碑の説明を読んで、その時代を想像して時間を過ごしています。
東京からつくば市に通勤するため、毎日、朝は早いです。でも、東京は都会で住みやすく、つくば市は自然が豊かです。そんな環境の異なる地域を行き来する生活が気に入っています。
日本語はスクールに入ることもなく、独学で学びました。もっぱらテレビで日本のドラマを見て日本語を覚えました。水戸黄門も見ました。言葉の問題では日本語の文章を作成するのが苦手ですが、研究室のチーム長がいつも優しく助けてくれます。心から感謝しています。

2015年 東大・農学部(弥生キャンパス)。秋になると黄色く染まった銀杏が太陽の光でとても綺麗です。大学院生時代に風景を楽しんでいました。/2019年 東京スカイツリーで開催した大昆虫展。夏休みに家族と一緒に出掛けて楽しみました。特に長男が大興奮でした。/2021年 東京・浅草寺の正堂。休日に時々、東京の文化史跡や遺跡めぐりをしていました。/マルチロードマップ