プレスリリース
(研究成果) 植物由来の物質が土壌中の硝化を抑制する分子メカニズムを世界で初めて解明

- 持続可能な農業と温暖化抑制に貢献 -

情報公開日:2023年12月 5日 (火曜日)

農研機
株式会社アグロデザイン・スタジオ

ポイント

農研機構は、株式会社アグロデザイン・スタジオと共同で、窒素肥料の農地からの流出をもたらし、温室効果ガスの排出の一因にもなっている硝化という現象を植物由来の物質が抑制する分子メカニズムを明らかにしました。本成果は、持続可能な農業と環境保護のために、より安全で高機能な新規硝化抑制剤の開発に貢献します。

概要

硝化菌がアンモニアを硝酸に変換する硝化1)という現象は地球の窒素循環の重要なプロセスですが、アンモニアを成分とする窒素肥料を農地から流出させ、経済的な損失や周辺水域の富栄養化につながっています。また、硝化の副反応で温室効果ガスの一酸化二窒素(N2O)が放出されるという環境問題も引き起こしています(図1)。これまで硝化を抑制する硝化抑制剤2)が化学合成資材として開発され、主に窒素肥料の有効利用のために広く使われていますが、既存剤は残留性に対する懸念や抑制メカニズムが不明など課題も多く、新たな硝化抑制剤の開発が求められています。

そこで、農研機構では、窒素肥料の効率的な利用と温室効果ガス排出の削減のための新たな硝化抑制剤の開発に向けて2014年より研究を開始し、株式会社アグロデザイン・スタジオ(本社:千葉県柏市、代表取締役:西ヶ谷有輝)と共同で研究を継続してきました。本研究では、硝化菌のヒドロキシルアミン酸化還元酵素(HAO)3)に着目し、植物由来のJuglone4)が窒素循環を抑制するメカニズムを明らかにしました。

Jugloneはクルミ科植物が持つ、アレロパシー5)を起こす物質として古くから研究されてきた化合物で、硝化抑制剤と同じような作用があることも知られています。私たちは、硝化反応を担うHAOからシトクロムc5546)(Cytc554)への電子伝達をJugloneが阻害することで硝化反応を止めることを明らかにしました(図2)。これは硝化抑制剤の抑制メカニズムを分子レベルで明らかにした世界で初めての事例になります。本成果は、Jugloneの使用法やその化学構造の改良、さらには新しい硝化抑制剤の開発につながります。これまではメカニズムが不明だったため、新しい硝化抑制剤の開発がなかなか進まず、古い薬剤が今も使われていますが、本成果を活用することで、安全で高機能な新規硝化抑制剤を開発することが可能となります。新規硝化抑制剤により窒素肥料の有効利用と流出の防止、温室効果ガスの排出削減を通じて持続可能な農業と環境保護への貢献が期待されます。

本成果は、科学雑誌「Applied and Environmental Microbiology」(2023年11月27日)に発表されました。

図1 窒素肥料の施肥が硝化作用によって及ぼす環境への影響と硝化抑制の効果
図2 Jugloneによる硝化抑制のメカニズム

関連情報

予算 : JSPS科研費基盤研究(B)(JP26310317)(2014-2017年度)、生研支援センターイノベーション創出強化研究推進事業(JPJ007097)(2016-2018年度)、NEDOムーンショット型研究開発事業「資源循環の最適化による農地由来の温室効果ガスの排出削減」(JPNP18016)(2020-2022年度)、JST研究成果最適展開支援プログラム(A-STEP)「産学共同(本格型):持続的農業に貢献する分子標的型硝化抑制剤の開発」(JPMJTR204K)(2020-2024年度)

特許 : 再表2017-126542

問い合わせ先など
研究推進責任者 :
農研機構基盤技術研究本部 高度分析研究センター センター長山崎 俊正
研究担当者 :
同 生体高分子解析ユニット 上級研究員鈴木 倫太郎
株式会社アグロデザイン・スタジオ 代表取締役西ヶ谷 有輝
広報担当者 :
農研機構基盤技術研究本部 研究推進室 渉外チーム 主査杉山 憲明

詳細情報

開発の社会的背景

窒素は農業において不可欠な栄養分であり、窒素肥料の使用は世界中で農業生産を支えています(図1)。しかし、窒素肥料の過剰な使用には以下のような深刻な問題が伴います。

  • 窒素肥料の損失
    窒素は形態による違いがあり、肥料に使われる窒素には硝酸態窒素とアンモニア態窒素があります。畑の作物の大部分は硝酸態窒素の形で窒素を吸収しますが、土壌に吸着されることなく、水に溶けて拡散することから、流出による影響が大きくなります。一方、アンモニア態窒素は土壌中に吸着しやすく流出しにくいですが、土壌微生物による硝化で硝酸態窒素に変わるため、作物が吸収できる量を超えて施用されると土壌から流出します。
  • 水系の汚染
    流出した硝酸態窒素は地下水から河川、湖などの水系を通って海に流れ込み、これらの水域で富栄養化を引き起こします。
  • 温室効果ガスの排出
    必要以上に施用されたアンモニア態窒素は硝化の過程で、二酸化炭素の約300倍の温室効果を持つN2Oを生成します。人類の放出するN2Oの約半分は農地由来とされています。

硝化抑制剤はこれらの問題を軽減できます。硝化抑制剤は窒素肥料の効率的な利用を目的に化学合成資材として開発され、世界中で使われています。しかし残留性や揮発性、効果の持続性の問題が指摘されており、こうした欠点を克服する新剤の開発は進んでいません。

研究の経緯

私たちは、硝化菌のヒドロキシルアミン酸化還元酵素(HAO)の研究を通じて新しい硝化抑制剤の開発に取り組んできました。そこで、新しく見つかった硝化抑制剤候補化合物の作用メカニズムを明らかにするために、酵素反応の阻害活性を測定し、酵素の立体構造の解明を行ってきました。その中で、HAOを阻害する効果が推定されてはいたもののHAOを阻害することが確かめられておらず、作用メカニズムも不明であったJugloneについて、抑制剤開発に応用できる新しい阻害機構を持っていることが期待されたため、その作用メカニズムの解明を進めました。

研究の内容・意義

クルミ科植物が持つJugloneについて、酵素HAOの働きを阻害することにより硝化を抑制していることを明らかにしました。硝化抑制剤が標的となる酵素の機能を阻害する仕組みを分子レベルで解明したのは世界で初めてになります。実験結果の詳細は以下のとおりです。

  • Jugloneは硝化菌の硝化を抑制する
    硝化菌はアンモニアを亜硝酸に変換します。硝化菌にアンモニアを与えて培養して、アンモニアの消費と亜硝酸の生成を測定すると、3日間の培養でアンモニアが完全になくなり同じ量の亜硝酸が発生しました。しかし、Jugloneを与えるとこの反応が完全に止まりました(図3)。
    図3 Jugloneによる硝化反応の抑制
  • Jugloneによる硝化抑制は、酵素HAOからCytc554へ渡るはずの電子を奪うことで起きる
    硝化菌はアンモニアを別の酵素であるアンモニアモノオキシゲナーゼ(AMO)7)でヒドロキシルアミンに変換してからHAOで亜硝酸に変換します。このときHAOは電子をCytc554に渡します。試験管内でヒドロキシルアミンとHAOを混ぜても、電子を受け取る電子受容体がないとHAOはヒドロキシルアミンから亜硝酸を作ることができませんでした。一方、人工電子受容体(PMS)を添加すると、亜硝酸が生成しました。PMSのかわりにJugloneを添加しても亜硝酸が生成したので、Jugloneも電子受容体であると考えられます(図4)。
    図4 1時間でHAOが作る亜硝酸の量の比較
    Jugloneは電子受容体として機能している
    試験管内でヒドロキシルアミン、HAOとCytc554を混ぜると、ヒドロキシルアミンが酸化されて亜硝酸になり、その時生成された電子がCytc554に受け渡されます。電子を受容するとCytc554の吸光スペクトルに変化が起こりますが、Jugloneを加えるとこの変化はJugloneの濃度に反比例して弱くなります。これは、JugloneがCytc554に渡されるはずだった電子を奪っていることを示しています。硝化菌の中ではCytc554はHAOから受け取った電子の半分を呼吸系に、もう半分をAMOに渡して、AMOはこの電子を使ってアンモニアをヒドロキシルアミンに変換します。Jugloneがこの電子を奪うと硝化菌はAMOによってアンモニアをヒドロキシルアミンに変換できなくなります。さらに呼吸系も止まるので、硝化菌は活動できなくなります(図2)。
  • Jugloneは酵素HAOに結合し、即座に電子を受け取る
    Jugloneが結合したHAOの立体構造をX線結晶構造解析により決定しました。JugloneはHAOの触媒部位にあるヘム8)分子の近くに結合していて、ヒドロキシルアミンが結合する場所からも3.9オングストローム(1オングストロームは1,000万分の1 mm)と近い位置にありました(図5)。Jugloneはヒドロキシルアミンが亜硝酸に変換する際に生成する電子を即座に受け取ると考えられます。
    図5 立体構造解析による位置関係

今後の予定・期待

本成果を活用することで、安全で優れた新規硝化抑制剤の開発が可能となり、これを用いて窒素循環を最適化することにより、窒素肥料の利用効率向上による穀物生産量の増加や、窒素肥料の使用量を削減して肥料製造過程で使われる石油の消費の削減、温室効果ガスN2Oの農地からの発生の抑制などが期待されます。今回初めて明らかにしたJugloneによる硝化抑制のメカニズムを新規硝化抑制剤の開発で活用するだけでなく、今回の解析手法を他の新規硝化抑制剤の効率的な開発に活用していく予定です。

用語の解説

硝化
アンモニアを亜硝酸や硝酸に酸化する反応のことで、これを行う細菌を硝化菌ないし硝化細菌という。[概要へ戻る]
硝化抑制剤
施肥されたアンモニアを成分とする窒素肥料を硝酸に酸化する硝化菌の作用を抑制する農業資材。植物の中には硝化を抑制する能力のある化合物を持つものがあり、生物的硝化抑制と言われている。[概要へ戻る]
ヒドロキシルアミン酸化還元酵素(HAO)
硝化菌が持っている酵素で、ヒドロキシルアミン(NH2OH)を亜硝酸(NO2-)に酸化する。ヘム8)と結合しており、ヘムの持つ鉄原子が触媒部位になっている。[概要へ戻る]
Juglone
クログルミをはじめとするクルミ科植物が持つ化学物質で、他の植物の成長を阻害する。また、硝化抑制剤と同じような作用があることも知られている。生物が持つ硝化抑制を起こす物質としては他にMBOA(6-メトキシ-2-ベンゾキサゾロン)やBrachialactoneなどが知られている。[概要へ戻る]
アレロパシー
植物から放出される化学物質が他の植物の成長を阻害する現象。よく知られているものにセイタカアワダチソウの例がある。広義には生物が放出する化学物質が同種を含む他の生物に何らかの作用や変化を起こす現象を指す。生物的硝化抑制も広義のアレロパシーに含まれる。[概要へ戻る]
シトクロムc554(Cytc554)
HAOから電子を受け取り、電子伝達を行う硝化菌のタンパク質。今回の実験では、硝化菌Nitrosomonas europaeaを大量培養して、菌体から精製した。[概要へ戻る]
アンモニアモノオキシゲナーゼ(AMO)
硝化菌の持つ酵素で、アンモニア(NH4+)をヒドロキシルアミン(NH2OH)に酸化する。[研究の内容・意義へ戻る]
ヘム
鉄とポルフィリンの錯体。ヘムを持つ代表的なタンパク質としては血液の色素であるヘモグロビンがあり、そのほか多くの酵素で電子の授受を担っている。[研究の内容・意義へ戻る]

発表論文

Juglone, a Plant-derived 1,4-Naphthoquinone, Binds to Hydroxylamine Oxidoreductase and Inhibits the Electron Transfer to Cytochrome c554.
Yukie Akutsu, Takaaki Fujiwara, Rintaro Suzuki, Yuki Nishigaya, Toshimasa Yamazaki Applied and Environmental Microbiology, doi.org/10.1128/aem.01291-23