プレスリリース
昆虫変態のキー酵素遺伝子を発見

- 安全な農薬の開発に期待 -

情報公開日:2003年10月 2日 (木曜日)

要約

独立行政法人 農業・生物系特定産業技術研究機構 野菜茶業研究所(石内傳治所長、三重県安濃町)の篠田徹郎主任研究官らのグループは、カイコのアラタ体注1)から、新規の幼若ホルモン(JH)注2)合成酵素注3)-幼若ホルモン酸メチル基転移酵素(JHAMT)注4)の遺伝子を単離した。本遺伝子は若い幼虫では継続して発現しているが、終齢幼虫になるとその発現が完全に停止する。このことから、研究グループでは、終齢幼虫のアラタ体ではJHAMT遺伝子の発現が停止してJHAMTタンパク質が無くなるためにJH合成が停止し、その結果昆虫の変態が誘導されるものと推察している。また本成果は、JHAMTタンパク質を標的とした環境や人に対して安全な農薬の開発につながるものと期待される。

本研究成果は10月7日発行の米国科学アカデミー紀要(オンライン版)に掲載される。
(http://www.pnas.org/papbyrecent.shtml)

背景・ねらい

JHは、昆虫の変態を抑制するホルモンで、脳の後方に存在するアラタ体で合成・分泌される。若齢幼虫期の昆虫体内には高濃度のJHが存在するために幼虫脱皮を繰り返すが、終齢幼虫になるとJH濃度が低下・消失するために、変態(蛹化)が起こる(図1)。このことは、一般にもよく知られているが、変態に先立ってアラタ体がJHの合成を停止する機構については、これまでほとんどわかっていなかった。また、アラタ体特異的に存在するJH合成酵素、およびその遺伝子自体が単離されていなかった。

成果の内容・特徴

  • ディファレンシャル・ディスプレイ法注5)を用いて、カイコのアラタ体から、幼虫期には継続して発現するが、変態期になると発現が完全に停止する遺伝子を見つけだした。
  • 本遺伝子は、その配列から新規のメチル基転移酵素をコードすると推定された。そこでこの遺伝子を大腸菌で発現させて組換えタンパク質を作成し、その酵素活性を調べたところ、本遺伝子が、JH酸をJHに変換する酵素-JHAMTをコードすることが明らかになった。
  • 本遺伝子は1~4齢幼虫期のアラタ体で継続的に発現しているが、終齢(5齢)幼虫のアラタ体では変態に先立って発現が完全に停止することが確認された(図2)。
  • 遺伝子の相同性に基づき、全ゲノム配列の解読されているキイロショウジョウバエおよび重要なマラリアの媒介者であるガンビアハマダラカからもJHAMT遺伝子を発見した。

成果の意義と今後の展開

  • アラタ体特異的なJH合成酵素の存在は早くから知られていたが、アラタ体は微小な組織であるため、それらの酵素タンパク質の精製や、遺伝子の単離はこれまで成功していなかった。JHAMTは、世界で初めてクローニングされた昆虫特異的なJH合成酵素遺伝子である。
  • JHAMT遺伝子の発現パターンから、終齢幼虫では、本遺伝子の発現が停止し、JHAMTタンパク質が消失するためにJHの合成が停止し、その結果、昆虫の変態が誘導されることが示唆される。つまりJHAMT遺伝子は昆虫変態のスイッチとして機能するものと考えられる。
  • カイコJHAMT遺伝子の発見によって、配列の類似性に基づいた害虫・天敵由来のJHAMT遺伝子を容易にクローニング可能になった。さらに、それらの組換えタンパク質を利用した害虫JHAMTに対する選択的阻害剤の試験管内スクリーニングが可能である(図3)。選択的JHAMT阻害剤は環境や人に対して安全な農薬となることが期待され、環境保全型害虫防除技術の推進に大きく貢献する。

実施プロジェクト

形態・生理機能の改変による新農林水産生物の創出に関する総合研究
(平成13~15年)


詳細情報

図1
図1 昆虫の脱皮・変態とホルモン.1齢-終前齢幼虫では、アラタ体が継続して幼若ホルモン(JH)を合成・分泌するため、昆虫体内のJH濃度が高い。この時、脱皮ホルモンが分泌されると幼虫脱皮が起きる。終齢幼虫になると、アラタ体のJH合成が停止し、昆虫体内からJHが一時消失する。そこに脱皮ホルモンが作用すると変態が起こる。終齢幼虫のアラタ体でJH合成が停止する機構についてはこれまでよくわかっていなかった。

図2
図2 カイコ体液中ホルモン濃度とアラタ体におけるJHAMT遺伝子の発現(模式図).3~4齢幼虫の体液中のJH濃度が高い時期には、JHAMT遺伝子が高発現しているが、終齢になるとJHAMT遺伝子の発現が完全に停止する。その結果として、アラタ体でJHの合成・分泌が停止し、体液中からJHが消失するものと考えられる。

図3
図3 害虫防除へのJHAMT遺伝子の利用.JHAMT遺伝子から作成した組換えタンパク質を用いて試験管内でJHAMT阻害剤のスクリーニングが可能となる。得られたJHAMT阻害剤は害虫のアラタ体におけるJH合成を阻害することで早熟変態を誘導し、幼虫による農作物への加害を防ぐことができる。

用語解説

注1)アラタ体
昆虫の脳の後方に存在する内分泌器官で、幼若ホルモンを合成する。アラタ体は非常に微細な組織で、昆虫としては比較的大型のカイコ終齢幼虫でもその直径はわずか0.2mm程度である。(参考図1)

注2)幼若ホルモン(Juvenile hormone; JH)
昆虫のアラタ体で合成・分泌されるホルモンで、不飽和脂肪酸(セスキテルペン)の一種。昆虫に対して多様な生理作用を示し、最も代表的な作用として、幼虫形質を維持し、変態(蛹化・成虫化)を抑制することが知られている。他に、成虫の性成熟、休眠、多型、寿命などの調節に関与する。(参考図2)

注3)幼若ホルモン合成酵素(JH合成酵素)
JHは、メバロン酸を出発材料として多数のJH合成酵素の作用によって合成される。JH合成系前半部(ファルネシル二リン酸まで)の酵素は、脊椎動物のステロイド合成系酵素と共通であるが、 JH合成系後半部の酵素は昆虫のアラタ体に特異的である。JH合成系後半部に属する酵素の遺伝子はこれまで全く単離されていなかった。(参考図2)

注4)幼若ホルモン酸メチル基転移酵素(Juvenile hormone acid methyltransferase ; JHAMT)
JH合成酵素のうち最終段階の代謝を司る酵素で、ホルモン作用のないJH前駆体であるJH酸に、S-アデノシルメチオニン(AdoMet)からメチル基を転移して、ホルモン作用を持つJHを生成する。(参考図2)

注5)ディファレンシャル・ディスプレイ法
遺伝子増幅法(PCR法)を応用し、起源の異なる組織や細胞間で、発現量に差のある遺伝子を探し出す手法の一つ。

参考図1 カイコ終齢幼虫の脳とアラタ体
参考図1 カイコ終齢幼虫の脳とアラタ体

参考図2 幼若ホルモン(JH)の構造とJH合成経路
参考図2 幼若ホルモン(JH)の構造とJH合成経路