中日本農業研究センター

所長室より -年頭の挨拶-

梅本写真

新年あけましておめでとうございます。
昨年4月より第4期中長期計画期間に入り、中央農業研究センターは、農研機構のフロントラインとして、関東東海北陸地域の農業が抱える技術的課題の解決に取り組むとともに、確立した技術、研究成果を迅速に普及させていくという役割を担うことになりました。
所長就任の際に、私は、(1)大規模経営の形成が進む関東東海北陸地域において、先進的な担い手と連携しながら技術普及を進めていく、また、(2)アウトプットと同時に、社会に意義のある成果としてアウトカムの創出を目指していく、さらに、(3)組織運営においても、職員間でのコミュニケーションを促進するとともに、効率性、リスク耐性が高く、同時に、活力と創造力のある研究所にしていくといった目標を掲げました。
関東、東海、北陸3地域でのマッチングフォーラムにおいては、多数の方の参加を得て、ICT-RTを活用した水田輪作体系の方向や、施肥コストの削減方策を議論しました。また、農研機構シンポジウムでは、雇用型法人経営の人材育成方策が報告され、営農現場での関心の高さを知ることができました。
プレスリリースでは、ゴマダラカミキリのオスとメスの餌に対する好みの違いが新聞やテレビで紹介され、また、「土着天敵を活用した害虫管理の技術・事例集」を含む天敵に関する情報発信も、新聞、ラジオ等を通して積極的に行いました。さらに、水稲新品種「つきあかり」、「ふわりもち」や、大麦新品種「ゆきみ六条」も、各種のイベントで積極的なアピールを実施しています。
地域農業のハブ機能の発揮と関わっては、研究ニーズの把握が強く求められるようになりました。そのため、アドバイザリーボード委員会も開催してきましたが、そこでは、当面する課題だけでなく、水田作経営の将来方向を意識した中長期的な技術開発への要望も農業者の方からお聞きすることができました。また、12月に開催した興農会では、参加された農業者の皆さんから稲縞葉枯病や、難防除雑草であるアサガオの防除対策等に関わる質問・要望が多く出されましたが、それらに対して担当者からその場で的確なコメントがなされるのを見て、このような営農現場のニーズ把握と、それに応えていく体制がしっかりと構築されてきていると思います。この点では、私たち中央農研の研究推進のベクトルは間違っていなかったのであり、これからも、これまでの取り組みを確実に進めていくことが重要であると考えます。
なお、研究成果の広報は、今後、よりいっそう強化していきたいテーマです。そのため、本年からは、この中央農研のホームページを通して、所長自身が広報担当として定期的な情報発信を図っていきたいと考えています。

さて、農研機構は、この程、ビジョンステートメントを策定しました。この中に、「食と農の未来を創ります」、「一人ひとりが専門家としての責任を果たし、社会から信頼される組織であり続けます」といった表現があります。この言葉に関わって私たちがこれから考えるべきこととして、2点指摘したいと思います。
この正月は、田舎の実家に帰省しましたが、元旦の朝には集落の行事で近くの山中にあるお宮さんに参拝し、その後、朝もやの中、山間部にあるがゆえの狭隘な水田を眺めながら戻りました。眼前にあるのは高齢化が進む農村集落であり、水田は獣害を受けやすく、低湿・劣等な圃場条件下にあり、まさに日本農業が現在抱える課題の縮図を見る思いでした。しかし、そのような農業・農村の現状と問題の深刻さを痛感しながら、同時に、食と農の未来に向けて、今後進むべき方向を示し、粘り強く取り組んでいくのが私たちの責務であると改めて感じた次第です。
農業の改革は、比喩として、「針を止めないで、時計の修理をしていくようなもの」と言われます。農村には農業者の方々の日々の暮らしがあり、気象条件や地域条件も自在に変更することはできません。また、水利条件、土地条件など歴史的、構造的な制約もあります。それがゆえに、変革が難しいという側面がありました。しかし、逆に、そのような農業の特殊性を建前にして、抜本的な問題解決への取り組みを躊躇するための言い訳をしてきたのではないかと思います。そして、そのような対応を続ける中で、日本農業は、稲・麦・大豆の収量水準の向上などについて世界から大きく遅れ、また、一般の常識からも違和感をもたれる仕組みを生み出してしまいました。いわば、内向きの論理に終始してきたのであり、その典型が水田農業であったといえるでしょう。水田利用の有り様もその一つかと思います。これまで、既にあるシステムに対してやや無批判に順応してきた側面があるのではないかと考えられるのであり、今、改めて、従来とは異なる観点からの水田利用の高度化、さらに、それを可能とする総合的な営農体系の構築が求められているように思います。
私たちは、様々なことを前提に置いて問題を考えますが、既成概念にとらわれずに、どうすれば生産性の向上が図れるか、持続的な技術体系をどのように構築していくのか、さらに、農業を若い人たちに魅力ある産業にするための条件はなにかといったことを考えていく必要があります。

もう一つは、私たちが、食や農に関わる専門家として、とりわけ研究機関の職員として持つべき心構えについてです。このことを考える上で私がいつも思い出すのが、岩波文庫として刊行されている、吉野源三郎さんの「君たちはどう生きるか」という本です。この本は、もともとは、戦前の昭和12年という時期に、少年少女のために書かれた本です。まさに子供達に話しかけるように書かれていますが、しかし、示唆に富む内容を伴う優れた図書であることは確かです。
著者の吉野さんは哲学者であり、「日本小国民文庫」というシリーズの中の一冊としてこの本は書かれました。そこでは、「コペル君」(「コペル」は、天文学者「コペルニクス」の略として用いられています)というあだ名の少年に対して、彼の叔父さんが、物事に対する考え方、生き方を手紙の形で述べていくという構成になっています。そのなかで、私たちの仕事とも関連するものとして、自分の疑問をどこまでも追っていくことの重要性を述べた部分があります。
岩波文庫の第2刷、94~95ページからの引用ですが、本書には次のような文章があります。それは、「本当に人類の役に立ち、万人から尊敬されるだけの発見というものは、どんなものかということだ。それは、ただ君がはじめて知ったというだけでなく、君がそれを知ったということが、同時に、人類がはじめてそれを知ったという意味をもつものでなくてはならないんだ。」、「僕たちは、できるだけの学問を修めて、今までの人類の経験から教わらなければならないんだ。そうでないと、どんなに骨を折っても、そのかいがないことになる。骨を折る以上は、人類が今日まで進歩して来て、まだ解くことが出来ないでいる問題のために、骨を折らなければうそだ。そのうえで何か発見してこそ、その発見は、人類の発見という意味をもつことが出来る。また、そういう発見だけが、偉大な発見といわれることもできるんだ」、「偉大な発見をしたかったら、いまの君は、何よりもまず、もりもり勉強して、今日の学問の頂上にのぼり切ってしまう必要がある。そして、その頂上で仕事をするんだ。」というものです。
繰り返しになりますが、この本は研究者に対して書かれたものではありません。ただ、世の中が戦争に向かっていく、重苦しい雰囲気の時代に、子供たちに対してこのような真っ直ぐな言葉で生き方が述べられているということは、私たちが研究に関わる専門家としての責任を果たすうえで示唆するものが多いと思い紹介した次第です。
私たちには、国民の皆さんに対して安定して食料を供給していくための技術的基盤を確立していくという責任を負っています。また、農業を、競争力のある、かつ、魅力ある産業にしていくという役割もあります。元旦の朝の農村の水田風景や、ずいぶん昔に刊行された本を紹介したのも、食と農に関わる仕事の意味合い、研究機関という組織の在り方、責任をもう一度よく考えてみたいと思ったからです。
この1年、また気持ちを新たにし、中央農研の職員と一緒に、農研機構のビジョンの達成に向けて努力して参りたいと思います。
本年もどうかよろしくお願い致します。

 

平成29年1月

農研機構 中央農業研究センター所長

梅本 雅