農作物採食は野生ニホンジカの早熟化を促進する

要約

若齢のニホンジカでは、農作物への採食依存度が高いほど、体サイズが大きくなり、その結果として妊娠率が上昇する。農作物採食による早熟化は、ニホンジカ個体数の増加を促進する可能性がある。

  • キーワード:ニホンジカ、農作物、安定同位体、個体群動態
  • 担当:中央農業研究センター・虫・鳥獣害研究領域・鳥獣害グループ
  • 代表連絡先:
  • 分類:研究成果情報

背景・ねらい

ニホンジカ(以下、シカ)は近年分布拡大と個体数増加傾向にあり、農業被害額は年間50億円以上に上る。農作物はシカにとって好適な餌資源だが、農作物採食が個体群動態にどのように影響するかは不明な点が多い。農地を含む地域に生息するシカ個体群動態をより正確に予測し被害対策を行うためにも、農作物採食が個体群にもたらす影響の検討は重要である。
そこで本研究では、シカ骨コラーゲンの窒素安定同位体比(δ15N)を測定することで、各個体の農作物依存度を推定するとともに、農作物依存度が体サイズや妊娠率に与える影響を明らかにする。

成果の内容・特徴

  • 長野県・群馬県でシカが主に農地外で採食する植物と加害する農作物(牧草、野菜類)の窒素安定同位体比(δ15N値)を測定すると、農作物は農地外の植物に比べて高いδ15N値を示す(図1)。同地で収集した野生シカのメス152頭の骨コラーゲンのδ15N値は-1.1~7.3‰と大きくばらつく。動物の骨コラーゲンは代謝速度が遅く、複数年の間に採食した食物の同位体比を反映することが知られる。骨コラーゲンのδ15N値が高いほどシカがより長期的に農作物に依存していたことを示す指標となる。
  • 0歳および1-4歳のシカは、骨コラーゲンδ15N値が高い個体ほど、体が大きくなる(図2a, b)。0歳では妊娠個体が1個体のみで検討ができていないが、1-4歳では、体が大きい個体ほど妊娠率が高くなる(図3b)。長期的な農作物への採食依存は単年の妊娠率に直接は影響しないものの、体の成長を介して間接的に妊娠率に影響すると考えられる(図3)。これらの結果は、長期にわたる農作物の採食が若齢シカの成長を早め、その結果妊娠率を上昇させることを示唆する。
  • 5歳以上のシカでは骨コラーゲンδ15N値と体サイズの間に関係は見られず(図2c)、妊娠率についてもまた同様である。この結果は、農作物の採食がシカの身体にもたらす影響は4歳以下の若い個体のほうが大きいことを示している。
  • シカ類は体重が一定の閾値以上に成長すると繁殖を開始することが知られている。農作物依存度が高いほど、4歳以下の若齢シカの体が大きくなり、その結果妊娠率も高くなる。こうした農作物採食によるシカの「早熟化」現象は、個体数を更に増加させる可能性がある。

成果の活用面・留意点

  • シカによる農作物採食はその時点で農業被害を発生させるのみならず、個体数増加を通して更なる農業被害の増加に繋がる可能性があるため、農地への侵入防止や農作物を食害する個体の駆除の実施が重要である。
  • 農作物依存度の指標としてδ15N値を活用することで、例えば農作物を食害する個体がどのような場所に生息しているかといった、農作物を食害する個体の特性を知ることができる。
  • 農作物採食が野生シカの個体群動態に影響する要因であることを示す初めての研究である。

具体的データ

図1 調査地でシカが採食する主な農作物および農地外の植物のδ15N値,図2 齢ごとのシカの骨コラーゲンδ15N値と体サイズの関係。,図3 若齢(1-4歳)のシカにおける妊娠率と(a)骨コラーゲンδ15N値および(b)体サイズの関係。

その他

  • 予算区分:交付金、競争的資金(科研費)
  • 研究期間:2018~2020年度
  • 研究担当者:秦彩夏、小坂井千夏、佐伯緑、中島泰弘、鵜野光、中下留美子(森林総研)、姉崎智子(群馬県博)、南正人(麻布大)、福江佑子(あーすわーむ)、樋口尚子(あーすわーむ)、高田まゆら(中央大)
  • 発表論文等:Hata et al. (2021) Ecosphere 12:e03464