要約
多くのリンゴ品種で、成熟・老化に伴い増加する果実のエチレンは甘い風味を構成するエチルエステル類の生成を促進する。これはエタノールの生成促進に伴って生じる。この新たなエチルエステル類生成メカニズムから「王林」と「シナノゴールド」の風味の違いを説明できる。
- キーワード : リンゴ、エチレン、エチルエステル類、ピルビン酸デカルボキシラーゼ(PDC)、トランスオミクス解析
- 担当 : 基盤技術研究本部・高度分析研究センター・環境化学物質分析ユニット
- 代表連絡先 :
- 分類 : 研究成果情報
背景・ねらい
エチルエステル類は好ましい芳香があるものが多く、低濃度で嗅覚が検知することからリンゴの重要な香気成分である。これらは蜜入りリンゴの甘く芳醇な香りのもととして知られる一方で、その濃度や共存する他の香気成分との相互作用によっては、過熟感が強すぎて爽やかさを損なったり、発酵臭など不快な印象を与えたりすることがある。このため、エチルエステル類の濃度はリンゴの風味や嗜好性に大きな影響を及ぼしており、品種や貯蔵方法の違いによるこれら成分の生成メカニズムの整理は風味の良いリンゴの生産流通において重要な意義がある。
嫌気呼吸によるエタノールの生成は多様な生物で知られており、リンゴの場合は低酸素条件での長期貯蔵(CA貯蔵)や蜜部位で嫌気的に生成したエタノールからエチルエステルが生成・蓄積することが知られている。一方、通常の冷蔵(好気条件)下でも、成熟・老化に伴いエタノールやエチルエステル類が増加することをこれまでに確認している。しかし、好気条件でのこれらの生成制御メカニズムは不明であった。そこで、本研究ではエチルエステル類の生成が多い品種「王林」とほとんど生成しない品種「シナノゴールド」を用いて、成熟・老化によって増加する好気的なエチルエステル類の生成メカニズムを解明し、あわせてエチルエステル類生成における両品種間の相違を説明する。その際、香気・水溶性成分と遺伝子発現の網羅的解析を統合するトランスオミクス解析を適用する。
成果の内容・特徴
- エチレン生成量について「王林」は収穫後速やかに増加する。「シナノゴールド」では収穫直後は少ないが、収穫後117日には収穫後43日の「王林」と同等となる。エチレン作用阻害剤1-MCPを使用すると両品種ともエチレンの生成量は低いレベルで経過する(図1a)。
- 「王林」ではエチレンの増加と比例してエタノール、エチルエステル類が増加する。1-MCPによりエチレン生成が阻害されると、これらの生成も抑制されることから、「王林」のエチルエステル類の生成にはエチレンが必須である。エチルエステル類はピルビン酸からアセトアルデヒドを経て生成するエタノールを基質として生成される。「王林」ではピルビン酸デカルボキシラーゼ(PDC)遺伝子MD04G1159900がエチレンやエタノールと最も相関の高い発現を示す(図1b)。
- 「シナノゴールド」では、エチレンの有無に関わらず、貯蔵中のエタノールとエチルエステル類の増加は起こらないことから、エチレンの刺激からピルビン酸-アセトアルデヒド―エタノールの代謝過程のいずれかが機能していない(図1b)。PDC遺伝子発現量はエチレン発生量と有意な正の相関があることから、PDC遺伝子の発現以降の翻訳後調節などの機能が「王林」と異なり、エタノールを生成しないと想定される(図1b)。
- 香気・水溶性成分についての主成分分析において、そのスコアプロットは品種の成分組成とその貯蔵中の変化の主要な特徴を可視化できる。特徴的な香気成分は「王林」ではエチルエステル類であるが「シナノゴールド」では酢酸エステル類と、両者には相違がある。また、貯蔵期間における成分の変化は「王林」で大きく、そのパターンはそれぞれの品種特性がより顕著になるように変化する(図2、3)。すなわち、「王林」の豊富なエチルエステル類は、「王林」らしい芳醇な甘い風味を呈し、「シナノゴールド」の酢酸エステル中心で、貯蔵後もエチルエステル類を生成しない特性は、貯蔵における香りの変化が小さく、さわやかでフルーティな風味を長期にわたって呈する品種の特徴を説明できる(図3)。
成果の活用面・留意点
- 解析は「王林」と「シナノゴールド」を冷蔵貯蔵し、収穫後12、43、117日の果実についてエチレンの作用阻害剤である1-MCP処理の有無を組み合わせて行っている。果実をそれぞれ三分割し、香気成分、主要水溶性成分と遺伝子発現の網羅的解析をそれぞれ実施し、一つのデータセットとして多変量解析および共発現解析を行っている。
- 貯蔵中にエチルエステル類が増加する現象は、多くのリンゴ品種に加え、他の果物や果菜でも見られる。「王林」の好気的エチルエステルの生成メカニズムが他の作目等にも共通する現象か明らかにするため、幅広く成熟・老化に伴うエチレンとエチルエステル類生成、遺伝子発現の関連解析を行い検証する必要がある。これは、青果物の適切な貯蔵・流通技術開発や、好ましい風味を持つ品種の育成に繋がる可能性がある。
- 「シナノゴールド」のエチレンに応答したエチルエステル類の生成が起こらない特性はユニークな形質である。これを育種に生かすため、ピルビン酸からエタノールに至る代謝経路に存在する成分、遺伝子発現、翻訳後調節、酵素活性等について解析し、「王林」との差異を明らかにする必要がある。
- 風味関連成分に関するメタボロミクスとトランスクリプトミクスの統合解析手法は、各種の農産物の風味向上に向けた研究へ応用が可能である。
具体的データ

その他
- 予算区分 : 交付金、文部科学省(科研費)
- 研究期間 : 2020~2024年度
- 研究担当者 : 田中福代、矢野亮一、岡崎圭毅、立木美保、葛西智(青森産技セ)
- 発表論文等 : Tanaka F. et al. (2025) Food Chem.: Mol. Sci. 11:100282