背景と経緯
蜜入りリンゴは、貯蔵性が低いため欧米では生理障害として取り扱われていますが、国内やアジア各国では「甘くておいしい」と高い人気を得ています。しかし、糖類を調べると、蜜のないリンゴと差がないケースが多く、人気の理由は長年の謎でした。
中央農研では、多くの成分を一度に分析できるメタボローム解析法(※2)にいち早く取り組み、品質の高い作物の生産をめざして、農作物の風味を含有成分から明らかにする研究を実施しています。この手法でリンゴの成分を分析したところ、たっぷり蜜が入った「ふじ」の香気成分が蜜無し果と大きく異なりました。また、蜜が入った「ふじ」は独特の華やかな香りを放つことに気が付きました。そこで、蜜入りのリンゴがおいしく感じられる理由を探るために、蜜が多く入ることで知られる「ふじ」・「こうとく(こみつ)」を材料に、蜜入りの有無とリンゴの味・香りの成分や官能評価との関連を調べました。併せて、その特徴をもたらすリンゴ果実内での生理的状態の解明に取り組みました。
研究の内容・意義
- 糖度に差がない、生産者が同一の蜜入り・蜜無しリンゴ「ふじ」について、官能評価を実施しました。
- 官能評価にて香りの強さを比較すると、蜜入り果の香りは蜜無し果より高くなりました(図1)。次に、香りを感じないように鼻をつまんで試食すると、味の強さに蜜の有無による差はありませんでした。また、香りを感じられる条件で試食すると、蜜入り果はフルーティ、フローラル、スイートな、パイナップルに似た風味が強く(図2)、蜜無しより好ましいという評価になりました(図1)。
- 蜜の有無による風味や好ましさの違いには、味より香りの効果が強いことがわかります。
- 「ふじ」・「こうとく」の蜜入り・蜜無しリンゴについて、メタボローム解析を行いました。
- リンゴの香気成分と味を示す成分である呈味成分を分析した結果、蜜入り果ではエチルエステル類とメチルエステル類が増加していることがわかりました(図3)。エチルエステル類はフルーティ、フローラル、スイートな香りを示すことが知られています。また、メチルエステル類はエチルエステル類と共存すると、香りに広がりを与えることが報告されています。これらのことから、エチルエステル類が、蜜入り果の好ましさを高める成分であると言えます。
- エチルエステル類が増加するメカニズムを知るために、リンゴの内部の酸素濃度を分析しました。
- 果実内部の酸素濃度は、蜜の無い部分では大気レベルに近いのに対し、蜜部位で極めて低くなっています(図4)。これは、細胞と細胞の間に溜まっている水分のためと考えられます。蜜部位は低酸素状態にあるためエタノール発酵が進み、結果としてエチルエステル類が増えると考えられます。
今後の予定・期待
リンゴの栽培法の中で、袋掛け・葉摘みの有無などがリンゴの風味に影響するといわれていますが、香りを含めた解析はなされていません。このような、リンゴの風味を変化させる様々な要因について、メタボローム解析と官能評価の組み合わせにより明らかにしていく予定です。
これまで、果物の「おいしさ」は糖含量や糖度を指標として評価されてきました。この研究では、リンゴの香りの重要性を明らかにすることができました。この知見が他の果物や野菜の「おいしさ」の指標の見直し、香りに着目した新品種の育成や高品質作物の栽培・貯蔵技術に活かされることで、国産農産物全般の品質の向上に役立つことが期待できます。
用語の解説
- ※1 エチルエステル類:エタノールと脂肪酸が縮合(エステル結合)して生成する化合物。揮発しやすく、フルーティ、フローラル、スイートな香りを呈する。
- ※2 メタボローム解析:広義には生体内の細胞や組織に存在する全代謝物質(メタボローム)の反応経路や動態を解析する研究手法。ここでは狭義に、あらかじめ分析対象成分を絞り込むことなしに、検出された水溶性・揮発性成分のすべてを対象に実施した分析を指す。
図1 リンゴの香りと味の強さ、嗜好性の得点
*味はノーズクリップを装着し、ニオイの影響を排除。1-7ポイント、7が最強(最高)
図2 蜜入りの有無によるリンゴの風味の違い
各特性の強さを客観的に1-7ポイントで段階評価。
*、**、*** は対応のあるt検定でp<0.05、0.01、0.001の危険率で有意な差があることを示す
図3 「ふじ」の蜜入りの有無と代表的な香気成分の濃度の特徴
*:メチルエステル&メタノール,**:エチルエステル&エタノール
♯:アルコール由来の炭素数が3以上のエステル
図4 果実内部の酸素濃度分布
赤太線は背景写真個体の酸素分布を示す、
< はセンサー貫入ライン