背景・経緯
「シャインマスカット」はマスカット香を特徴とする皮ごと食べられる良食味ブドウですが、マスカット香は収穫後に減少することが経験的に知られていました。マスカット香はシャインマスカットの重要な品質要素で、減少すると商品性が低下するため、収穫後もマスカット香を維持することが重要です。一方、カンキツやトマトなどの青果物においては、適温とされてきた低温での貯蔵で香りが劣化する場合があり、むしろ適温とされてきた温度よりも高い温度で貯蔵することで、品種特有の香りを維持・向上できることが国内外の研究で明らかにされ始めています。
そこで本研究では、「シャインマスカット」のマスカット香の寄与成分を特定し、貯蔵温度と貯蔵期間の違いがマスカット香およびその寄与成分の含量に及ぼす影響を明らかにするとともに、貯蔵中に減少したマスカット香を回復させる温度管理方法を明らかにしました。
内容・意義
1. 「シャインマスカット」のマスカット香とその主要な寄与成分
マスカット香に寄与する成分は、リナロール以外にいくつか知られていますが、「シャインマスカット」では、マスカット香の強い果実ではリナロールが多量に含まれる一方で、リナロール以外の寄与成分がほとんど含まれていないことなどから、「シャインマスカット」のマスカット香の主要な寄与成分はリナロールであると考えられます。
2. リナロール含量の維持に有効な貯蔵温度
収穫した果実を異なる温度で貯蔵してリナロール含量の推移を調査したところ、いずれの温度(0、2、5、10°C)でもリナロール含量は時間とともに減少しますが、減少の速度と程度は温度により異なり、低温ほど急速かつ大幅に減少し、調査した温度の中では10°Cで最も良く維持されることを明らかにしました(図1)。このことから、リナロール含量の維持には、これまでの最適貯蔵温度とされてきた0°C程度の低温よりも高い10°C程度の温度の方が分かりました。
3. 貯蔵温度の違いによるマスカット香の変化
果実を0°Cまたは10°Cで4週間貯蔵し、マスカット香を官能評価2)で比較した結果、10°Cで貯蔵した果実は0°Cで貯蔵した果実よりもマスカット香が強いという評価を得ました(図2)。また、官能評価した果実中の香気成分を調査したところ、マスカット香の強かった10°Cで貯蔵した果実中のリナロール含量は、0°Cで貯蔵した果実に比べて果皮で約14倍、果肉で21倍、高く維持されていました(図2)。
4. 貯蔵後にマスカット香を回復させる温度管理方法
4週間0°Cで貯蔵しリナロール含量が減少した果実を、その後10°Cで保持すると、リナロール含量が増加することを明らかにしました(図3)。また、4週間0°Cで貯蔵した後に10°Cで7日間保持した果実と0°C貯蔵を継続した果実の香りを官能評価で比較したところ、10°Cで保持した果実の方が、香りが強く、マスカット香を回復できることを明らかにしました(図4)。実際、0°C貯蔵の後に10°Cで保持した果実中のリナロール含量は、0°C貯蔵を継続した果実に比べて、果皮で約5倍、果肉で約10倍、高くなりました(図4)。
5. 推奨する貯蔵温度と貯蔵後の温度管理方法
一般的にブドウの最適貯蔵温度は0°C前後とされていますが、本成果のとおり、この温度ではシャインマスカットのマスカット香は弱くなってしまいます。一方、マスカット香の維持に有効な10°Cで長期貯蔵すると、腐敗の発生が著しくなります。したがって香りの良いシャインマスカットを供給するためには、腐敗の発生が問題になりにくい短期貯蔵の場合には10°C程度で貯蔵する一方、長期貯蔵など低温での貯蔵が必要な場合には、貯蔵後に10°C程度で保持し、マスカット香を回復させてから出荷することが望ましいと考えられます。
なお、本成果は、「シャインマスカット」におけるマスカット香の主要な寄与成分がリナロールであること、リナロール含量やマスカット香は貯蔵温度によって強く影響をうけること、10°Cがリナロール含量やマスカット香の維持や回復に有効な温度であることを科学的に初めて示したものです。
今後の予定・期待
本研究から収穫後の「シャインマスカット」におけるマスカット香の減少は、温度管理により制御できることが明らかになりました。今後は、温度管理に加えて既存の鮮度保持技術3)を組み合わせることにより、長期間にわたり、良好な風味や外観を維持した高品質果実を供給できるようになることが期待されます。
用語の解説
1) マスカット香
マスカット香の主な寄与成分としては、リナロール、ネロール、ゲラニオールが知られています。これらの成分組成は品種により異なり、「シャインマスカット」では、リナロールの含量が他の2成分に比べてかなり多く主要な成分であることが分かりました。
2) 官能評価
官能評価とは、試料の食味や香りなどを人間の五感を用いて判定する科学的な評価手法です。人間が感じる香りは、共存する食味成分などの複数の要因が相互に影響し合って形成されることから、香りの判定には官能評価が重要であると言われています。
3) 鮮度保持技術
収穫後の品質劣化を防ぎ鮮度を保つための技術で、青果物では温度管理や包装資材などの技術があります。ブドウの鮮度保持技術として、これまでに穂軸への水分補給処理や、鮮度保持フィルムを利用した軸枯れの防止技術が実用化されています。
本成果の論文発表
論題 : Effect of postharvest temperature on the muscat flavor and aroma volatile content in the berries of ‘Shine Muscat’ (Vitis labruscana Baily x V.vinifera L.)
(収穫後の温度が「シャインマスカット」のマスカット香および香気成分含量に及ぼす影響)
掲載紙 : Postharvest Biology and Technology 112, 256-265 (2016)
http://dx.doi.org/10.1016/j.postharvbio.2015.09.004
著者 : 松本 光、生駒吉識
図1 異なる温度で貯蔵した果実中のリナロール含量の変化
図2 0°Cまたは10°Cで4週間貯蔵した果実の官能評価結果とリナロール含量
図3 0°Cで4週間貯蔵後に0°Cまたは10°Cで保持した果実中のリナロール含量の変化
図4 0°Cで4週間貯蔵後に0°Cまたは10°Cで7日間保持した果実の官能評価結果とリナロール含量