開発の社会的背景
減化学肥料栽培や有機栽培の取り組みに関心が高まる中で、有機質資材の役割は土づくりや養分供給(窒素、リン酸、カリ)の面でますます重要になっています。その一方で、有機質資材に含まれる窒素については、地温の上昇とともに肥効(無機態窒素3) 量の生成)が高まるため、その見積もりが難しく、化学肥料と比べて使いにくいといった側面がありました。
そこで、地温などの土壌条件と窒素肥効との関係をモデル化し、2021年5月に畑向けの「有機質資材の肥効見える化アプリ」を公開しました。
今般、減化学肥料栽培や有機栽培のさらなる取り組み拡大に向けて、わが国の農作物作付延べ面積の約1/3を占める水稲作への適用や、海外からの輸入に大きく依存しているリン酸、カリの肥効予測機能を追加した「有機質資材肥効見える化アプリ(畑・水田版)」を開発し、ウェブ上で公開しました。
研究の経緯
わが国で現在、広く利用されている化学肥料については、その原料を大きく海外に依存しています。資源に乏しいわが国において農業の持続性を向上するためにも、家畜ふん堆肥、緑肥、下水汚泥などの有機物とそれに含まれる養分を効率的に使い、資源循環型の農業を推進していくことが重要です。一方、2016年の「有機農業の新たな展開」をテーマとする研究会において、有機農業については科学的知見の集積が足りない、野菜では品目や作型が多くて対応が難しいなどの意見が寄せられました。そこで、土壌培養実験4) とそれを基にした統計モデル5) 構築によるアプリを開発することで、地域や季節を問わず生産者や普及指導員らが有機質資材からの窒素供給量を把握できるようになるのではと考え、畑土壌を対象とした窒素肥効予測技術の開発に着手しました。
研究の内容・意義
「有機質資材肥効見える化アプリ(畑・水田版)」では、デジタル土壌図6) で地域を特定し、資材施用日や収穫予定日を入力することで、その期間の推定地温などが呼び出され、窒素肥効が計算されます。有機質資材が土壌中で分解し、無機態窒素(肥料成分と同じ)を放出する現象には、地温などの土壌条件が深く関与するためです。リン酸とカリの肥効は、資材中の含有量に肥効率7) を乗じて求められます。
【アプリの利用方法】
ユーザーはまずアプリの入力画面(図1)上部の選択メニューで「畑版」または「水田版」を選択します。続いて、デジタル地図上から任意のほ場を指定することで、土壌特性値および気象データ(平年値)から自動計算された地温の推定値が読み込まれます。次に有機質資材の種別を選択すると、有機質資材特性データベースから資材特性値(含水率や肥料成分値)がデフォルト値として自動入力されます。堆肥の分析を行うなど、自ら測定した資材の分析値がある場合は、デフォルト値を上書きすることで、より実態に即した肥効計算が可能になります。プルダウンメニューに使用予定の資材がない場合は、「その他」を選択すると、平均的な計算パラメータを使って肥効予測ができます。ただし、含水率、窒素、リン酸、カリ、ADSON値8) などの特性値を個別に入力することが必要になります。
さらに、施用量、施用日、収穫予定日に加え、水田版では入水日を入力することで、有機質資材由来の窒素(無機態窒素)およびリン酸、カリの予測供給量(単位:kg/10a)が棒グラフで表示されます(図2)。窒素については、無機態窒素供給量の経時的パターンも表示されます。
図1 有機質資材肥効見える化アプリの入力画面(水田版の例)
図2 有機質資材肥効見える化アプリの出力画面(水田版の例) ※有機質資材からの養分供給量(kg/10a)は、化学肥料の減肥可能量として棒グラフで表示されます。窒素については、日単位での無機態窒素供給パターンも表示され、そのデータはcsvファイルで出力も可能です。表示された無機態窒素生成パターンの赤い丸は資材施用日、青い丸は入水日、緑色の丸は移植日(入水日の4日後として設定)、黄色の丸は収穫予定日を表しています。資材施用日、入水日、収穫予定日は、ユーザーが入力します。
【アプリを使った実証栽培試験】
2022年秋に熊本県内のレタス栽培ほ場で実施した最初の減化学肥料栽培の実証試験では、鶏ふん堆肥ペレットを10aあたり500 kg施用する前提で肥効予測を行った結果、窒素を7 kgのみ単肥で追加すれば良い(リン酸とカリの追加施用は不要で良い)との施肥設計になりました。その結果、化学肥料の使用量54%低減、施肥コスト22%低減でありながら、化学肥料区(生産者が慣行的に施用している化学肥料施用量を施用した試験区)と同等の収量が得られました。
2023年度に北海道から沖縄県までの16道県と連携して実施した全国実証栽培試験(水稲、野菜、花きが対象)では、化学肥料のみを施肥した対照区(都道府県が指導している化学肥料施用量に基づいて化学肥料を施用した試験区)の収量に対する、本アプリを用いた減化学肥料実証区(不足する養分のみを単肥で施用)の平均相対収量は109%となり、対照区と遜色ない収量が得られています(図3)。この時の化学肥料削減量は平均41%であり、「みどりの食料システム戦略」が2050年までの目標とする化学肥料の使用量30%低減を上回る削減を実現しました。
図3 アプリを活用した有機質資材利用による減化学肥料栽培試験における収量の比較(2023年度実施) ※対照区では、作物ごとに窒素、リン酸、カリ標準量を化学肥料で施用しました。また、減化学肥料実証区では、有機質資材(主に家畜ふん堆肥)だけでは不足する養分を単肥で施用しました。
2024年度に東北地方と九州地方で実施した水稲有機栽培の実証栽培試験では、有機質資材からの養分供給が改善され、一部の水田では対照区と比べて玄米収量が増加する結果が得られました(9実証水田のうち5水田で増収し、その平均増収量は152kg/10aで、対照区比平均56%増。残りの4水田は同等)。また、対照区の玄米収量が低い試験地ほど、有機実証区の玄米収量が高くなる傾向が確認されました(図4)。
図4 アプリを活用した有機水稲栽培試験における玄米収量の比較(2024年度実施) ※有機水稲生産者ほ場において実証栽培試験を実施したため、対照区は化学肥料区ではなく、慣行有機区としました。
2021年に「みどりの食料システム戦略」が農林水産省によって策定され、また化学肥料価格の高騰などもあり、有機質資材の注目度が高まっています。今回のアプリの機能拡張により、水稲作での利用、リン酸・カリ肥効予測が可能となり、減化学肥料栽培や有機栽培のさらなる取り組み拡大に貢献できます。
使用上の注意点
本アプリでは、最寄りのアメダス地点から得られた過去30年平均の気象データをもとに推定した地温を使って予測しています。アプリで予測する期間の気象条件が過去30年平均からかい離する場合、予測値と実際の値にずれが生じる可能性があることに留意ください。
出力結果にある「有機質資材からの無機態窒素供給パターン」には改善の余地があります。実際のほ場では、1日の中でも昼と夜では地温の違いがありますが、本アプリでは1日の平均地温を使い、1日単位で計算しているためです。そのため、現段階の無機態窒素供給パターンは参考扱いとしてください。
有機栽培では、リン酸やカリの含量が比較的高い家畜ふん堆肥と、窒素肥効の高い資材など複数の資材を組み合わせて施肥を行うことが収量向上と肥料コスト低減のポイントです。しかし、今回公開するアプリには複数の資材を同時に計算する機能がないため、複数の有機質資材を施用する場合は、資材ごとに個別に計算を行う必要があります。
今後の予定・期待
今後、ほ場での実測値に基づくパラメータ(肥効予測に必要な数値)の更新を行い、実際の無機態窒素供給パターンに近づくよう改善を進めます。
アプリについては、生産者や普及組織を対象とした講習に限らず、都道府県が公開している施肥ガイドへの掲載などを働きかけていきます。今後、ICTベンダーや農機メーカーのような民間企業が独自に販売している営農管理システムへの導入を推進していきます。有機質資材肥効予測API9) は、公的クラウドサービスであるWAGRI10) に登録済みです。
図5 有機質資材肥効見える化アプリ(畑・水田版)へのアクセス方法
用語の解説
肥効
有機質資材等の肥料の作物に対する養分供給効果のこと。窒素の場合、有機質資材が土壌中で分解し、その際に生成する無機態窒素の量を指します。リン酸とカリの場合、有機質資材中のリン酸とカリ含量に肥効率を乗じてその量を計算します。[概要へ戻る]
日本土壌インベントリー
日本の農耕地土壌に関する様々な情報が集約された農研機構のウェブサイト。土壌の分布や特徴などが紹介されています。このほか、ウェブサイト内にある「土壌管理アプリ集」では、今回紹介する本アプリをはじめ、施肥などに役立つアプリが公開され、無料で利用できます。[概要へ戻る]
無機態窒素
アンモニア態窒素や硝酸態窒素のこと。化学肥料の主たる窒素成分です。[開発の社会的背景へ戻る]
土壌培養実験
土壌や土壌に施用された有機質資材の窒素無機化量などを測定するための実験。手順としては、ガラス瓶やポリ瓶の中に土壌または土壌と有機質資材を入れて、所定の温度、土壌水分条件で恒温器内において静置培養を行います。通気性のあるポリエチレンフィルムで瓶の口を覆い、輪ゴムで固定します。所定の時間が経過した後、10%塩化カリウム溶液を加えて、無機態窒素を抽出し、オートアナライザーと呼ばれる分析装置を使って、抽出液中の無機態窒素濃度を測定します。[研究の経緯へ戻る]
統計モデル
一連の統計的仮定の上で、標本データの生成を具体化する数理モデルのこと。ここでは、土壌培養実験データを標本データとして、モデル式にあてはめ、計算に必要なパラメータを推定することで作成したモデルを指します。[研究の経緯へ戻る]
デジタル土壌図
農研機構が開発したデジタル化された土壌図。日本全国の土壌の種類や分布がわかります。都道府県の施肥管理指針のリンクや地温・土壌水分の表示機能など様々な機能が追加されています。[研究の内容・意義へ戻る]
肥効率
化学肥料中の任意の養分が作物に吸収利用される量を100とした時の有機質資材中の任意の養分が作物に吸収利用される量の相対値のこと。[研究の内容・意義へ戻る]
ADSON値
Acid-detergent soluble organic nitrogen(酸性デタージェント可溶有機態窒素)の略で、もともとは飼料の評価指標の一つです。土壌中での有機質資材の窒素無機化のしやすさを表す指標として近年注目されている有機質資材の特性値です。単位は、mg N/g 乾物。[研究の内容・意義へ戻る]
API
Application Programming Interfaceの略。ソフトウェアやアプリケーション間で情報をやり取りすることを主眼においたアプリケーションのこと。開発者は複数のAPIを連携利用して、新たなアプリケーションを効率的に構築できるようになります。[今後の予定・期待へ戻る]
WAGRI
気象や農地、収量予測など農業に役立つデータやプログラムを提供する農研機構運用の公的なクラウドサービスで、さまざまな農業関連データやプログラムを適宜組み合わせて、農業者の生産性と収益性を向上させるWebサービスやアプリケーションを簡単に開発することができます。[今後の予定・期待へ戻る]
発表論文
古賀ら(2023)酸性デタージェント可溶有機態窒素含量を導入した有機質資材窒素無機化予測モデルの構築.土肥誌 94(2) 106-114.
Mochizuki K. and Koga N. (2024) A statistical model predicts N mineralization of various organic amendments for paddy fields. Soil Sci. Plant Nutr. 70(3) 225-232.
研究担当者の声
九州沖縄農業研究センター 暖地畜産研究領域
グループ長補佐 古賀 伸久
有機質資材サンプルの収集と分析に2年、温度条件を変えた大量の土壌培養実験の実施による有機質資材の窒素無機化データの蓄積に2年、統計モデルやアプリの開発に1年かかりました。その後、湛水条件での土壌培養実験や水田版アプリの開発、さらにアプリ(畑・水田版)を利用した減化学肥料栽培や有機栽培の実証試験に3年を要し、現在に至ります。写真は、本研究に着手した頃に撮影したものです。一緒に写っている息子は、現在中学3年生になりました。約8年前に着想した「有機質資材の肥効見える化技術」の開発の道のりと息子の成長を重ねて振り返るととても感慨深いです。今後も一人でも多くのユーザーに使っていただけるよう、アプリの普及活動に積極的に取り組んでいきます。今回公開したアプリが、日本の農業の未来に少しでも役に立つのであれば、土壌や肥料を研究してきた者としてこれ以上の喜びはありません。