プレスリリース
(研究成果) リンゴの貯蔵中に甘い風味が増す仕組みの解明

- エタノールとエチルエステル類の新たな生成メカニズム -

情報公開日:2026年4月10日 (金曜日)

農研機
地方独立行政法人青森県産業技術センター

ポイント

リンゴの甘い香りのもとであるエチルエステル類1)は、これまでCA貯蔵2)したリンゴや蜜入りリンゴ3)など、低酸素状態の果実においてエタノール発酵によって生成されると考えられてきました。

農研機構と(地独)青森県産業技術センターは、成熟・老化に伴って増加する植物ホルモンのエチレン4)が、通常の冷蔵貯蔵(好気条件) で貯蔵したリンゴにおいても、エタノールおよびエチルエステル類の増加を引き起こす新たなメカニズムを明らかにしました。

さらに本研究では、甘い香りが特徴の「王林」と、貯蔵後もさわやかな風味を保つ「シナノゴールド」の違いを、エチルエステル類の生成の違いという観点から説明しました。

本成果は、他のリンゴ品種やバナナなどのエチルエステル類を多く含む果実へと検証を広げることで、風味を生かした貯蔵・流通管理や高品質な農産物生産への展開が期待されます。

概要

果実の香りは、おいしさや品種の個性を決定づける重要な品質要素です。リンゴの甘い香りの主要因であるエチルエステル類は、これまでは低酸素条件下で生成・蓄積されると考えられてきましたが、研究グループでは、好気条件でも、成熟・老化の進行に伴い増加することに着目していました。しかし、その生成メカニズムは不明でした。

農研機構と(地独)青森県産業技術センターは、風味特性の異なるリンゴ品種「王林」と「シナノゴールド」を対象に、好気条件で長期保存した果実について、香気成分を中心としたメタボローム解析5)トランスクリプトーム解析6)を統合したマルチオミクス解析7)を行いました。その結果、成熟・老化に伴って増加する植物ホルモンの一種エチレンが、好気条件においてもエタノール生成を促し、その結果としてエチルエステル類の生成を制御する新たなメカニズムを明らかにしました。

「王林」は国産リンゴの中でも高い人気を誇る品種の一つであり、その人気を支える重要な要因の一つが、独特の芳醇で甘い風味です。本研究で「王林」では、エチレンの増加に応じてエタノールおよびエチルエステル類が増加することが示されました。「王林」の甘い風味は、特徴的に多い酪酸エチル1)カプロン酸エチル1)などのエチルエステル類が複合的に醸し出すものと考えられます。一方、「シナノゴールド」では貯蔵後期にエチレンが増加してもエタノール生成が抑制され、エチルエステル類はほとんど生成されませんでした(図1)。実際に「シナノゴールド」は、長期貯蔵後においても収穫直後と比べて香りの変化が小さく、さわやかでフルーティーな風味を呈することが知られており、今回の結果は、その風味特性の成り立ちをよく説明するものです。

図1エチレンが制御するリンゴのエチルエステル生成とその品種間差異

さらに本研究では、エチレンに応答して発現が誘導され、エタノール生成を介してエチルエステル生成を制御する新たなピルビン酸デカルボキシラーゼ(PDC)遺伝子を特定しました。これは、従来知られていた低酸素条件で機能するPDC遺伝子とは異なる制御系統であり、リンゴにおける「もう一つのエチルエステル生成メカニズム」を示す重要な知見です。

本成果は、リンゴの貯蔵・流通過程における風味制御技術の高度化に加え、香りを重視した新品種育成や、バナナやメロンなどを含めた他の様々な果実における香気成分研究への展開が期待されます。

関連情報

予算 : 科研費JSPS20H02982・JSPS24K01754、農研機構 運営費交付金

問い合わせ先など
研究推進責任者 :
農研機構 基盤技術研究本部 高度分析研究センター
シニアエグゼクティブリサーチャー(前センター長)山崎 俊正
研究担当者 :
同 高度分析研究センター田中 福代
上級研究員矢野 亮一
同 果樹茶業研究部門 上級研究員立木 美保
(地独)青森県産業技術センター りんご研究所 品種開発部
部長葛西 智
広報担当者 :
農研機構 基盤技術研究本部 基盤研究理事室 渉外チーム杉山 憲明

詳細情報

開発の社会的背景

香りは果実の品質と個性を構成する重要な要素

香りは果実のおいしさや、その果実・品種の個性を形作る重要な要素です。果実の味の重要な決め手である甘味、酸味に加えて、果実・品種ごとの香りの特徴と、それを構成する成分が重要視されています。国産果物は高品質で知られていますが、この特徴を維持し、さらにおいしい果物を生産するためには、香りの優れた品種と、それを生かす栽培・貯蔵管理が必要です。

果実の香りの制御機構は成分と遺伝子の両面から分析しないと分からない

優れた香りの果実を生産・流通させるためには、風味に対する影響の大きい香気成分(群)を特定すること、ならびに、その重要な香気成分(群)の生成および制御過程を解明する必要があります。果物の香気成分組成の違いや経時的な変化は遺伝子によって制御されるため、香気成分だけを詳しく調べても、その違いが生じるメカニズムを把握することはできません。このため、香気成分の制御メカニズムの解明には、香気成分を中心としたメタボロームと遺伝子発現を対象とするトランスクリプトームの統合解析が極めて有効であると考えられ、国産果物の風味向上を目指して香気成分に対するマルチオミクス解析の適応が求められていました。

研究の経緯

農研機構と(地独)青森県産業技術センターりんご研究所は、これまでにリンゴ「ふじ」の蜜部位が低酸素状態に陥ることでエチルエステル類を生成し、華やかな甘い風味を呈することや、低酸素であるCA貯蔵2)においてエチルエステル類が生成することを示してきました。その後、多様な試料を分析する中で、成熟・老化が進行すると「王林」をはじめとする多くの品種で、低酸素にならなくてもエチルエステル類が生成することが明らかとなり、好気条件における独特のエチルエステル類生成メカニズムの存在が強く示唆されました。そこで、メタボローム解析とトランスクリプトーム解析を統合するマルチオミクス解析により、低酸素条件とは異なる「もう一つのエチルエステル類生成メカニズム」の解明を目指しました。

研究の内容・意義

エチルエステル類は、糖から生成されたピルビン酸がピルビン酸デカルボキシラーゼ(PDC)8)アルコールデヒドロゲナーゼ(ADH)9)アルコールアシルトランスフェラーゼ(AAT)10)の3つの酵素の働きにより、アセトアルデヒド、エタノールを経て生成する最終産物です(図2)。この代謝経路はエタノール経路と呼ばれ、これまで、嫌気発酵における代謝過程であると考えられてきました。

そこで本研究では、好気条件で長期貯蔵したリンゴを対象に解析を行いました。その結果、(1)エチレンに応答して増加するPDC遺伝子の発現量とエタノール生成量が、成熟・老化に伴うエチルエステル生成の制御要因であることと、(2)エタノールの生成が抑制されるシナノゴールドでは、エチレンが増加してもエチルエステル類の生成が極めて少ないこと、(3)エチレンによって促進されるPDC遺伝子(MD04G1159900)を新たに明らかにしました。

実験の概要

本研究では、芳醇な甘い香りの「王林」と長期貯蔵してもさわやかでフルーティーな風味が続く「シナノゴールド」を大気(好気)条件で冷蔵し、収穫後12日、43日、117日の果実を用いて解析を行いました。その際、エチレンの作用阻害剤である1-MCP処理も行い、エチレンの影響を併せて解析しました。具体的には、同一果実から採取した果肉を三つに分け、代謝物(香気成分および主要水溶性成分)と遺伝子発現について、それぞれ網羅的解析を実施しました。これらを統合しマルチオミクス解析としてサンプルと変数(代謝物と遺伝子発現)の関連の強さを明らかにするため、共発現解析11)を行いました。

「王林」はエチレン生成量に比例してエタノールとエチルエステルを生成する

「王林」は収穫後早期からエチレンを生成し、これに伴って2つのPDC遺伝子の発現が上昇し、エタノールとエチルエステル類の濃度が高まりました(図2)。一方、エチレンの阻害剤である1-MCPを処理すると、エチレン、これらのPDC遺伝子、エタノール、エチルエステル類の生成が強く抑制されました(図2)。さらに、エチレン、PDC遺伝子(PDC1を除く)の発現量、エタノール、エチルエステル類の濃度が緊密に関連していたこと(図3)から、成熟・老化に伴うエチレンの発生が、エタノールを介してエチル エステル類の生成を促進していることが明らかとなりました。

図2エタノール・エチルエステル類の生成経路と主要な遺伝子発現・成分量 PDC遺伝子は新規同定遺伝子のみ図示。 (図は論文から改編・転載)
図3エタノ―ル生成に関連する遺伝子・成分間の共発現ネットワーク エチレン・エタノール・エチルエステル類とその関連遺伝子の間の正の相関のネットワークを示しました。この図では、相互に関連する遺伝子・成分間が線でつながれています。MdPDC1は嫌気発酵でエタノール生成に働く遺伝子です。「王林」ではMdPDC1を除く遺伝子・成分間に関連(リンク)が認められました。MdPDC1はエチレンの刺激によるエタノールの生成促進に関与せず、他の2個のPDC遺伝子が機能していることがわかりました。「シナノゴールド」ではPDCは3個ともにエタノ―ルとの間でリンクが途切れていることから、PDC遺伝子の発現とエタノ―ル生成の間に何らかの阻害が生じていると考えられます。

「シナノゴールド」はエチレンによるエチルエステル類の増加が起こらない

「シナノゴールド」は貯蔵後期にエチレン生成量が増加し、2個のPDC遺伝子の発現が高まりましたが、エタノールの生成量は増加せず、それに伴うエチルエステル類の生成も認められませんでした(図2)。また、エチレンは2個のPDC遺伝子とネットワークを形成しましたが、エタノールとは結びつかず、関連が認められませんでした(図3)。このことから、PDC遺伝子の発現以降、アセトアルデヒドあるいはエタノール生成過程において、何らかの阻害要因の存在が推定されます(図1, 2)。

一方で、香気成分の分析結果から、「シナノゴールド」は貯蔵期間を通じて酢酸エステル類が多いことがわかりました(図4)。

図4代謝物による主成分分析 : 主成分スコアプロット この図では成分パターンの似た果実サンプルが近い位置にプロットされています。このデータではPC1は成熟の進行方向、PC2は品種の違いを反映していると解釈できます。各品種はそれぞれ収穫時から時間とともに矢印の方向に変化しています。品種間で成熟・老化に伴う成分変化のパターンが異なり、「王林」はエチレンやエタノール、エチルエステル類が増加するように変化し、「シナノゴールド」は酢酸エステル類やラクトン類が増加しましたが、エチルエステル類は増加しませんでした。(図は論文から改編・転載)

今後の予定・期待

  • 多くのリンゴ品種・系統について、今回着目した遺伝子の機能解析を進めることで、成熟・老化に伴うエチレンとエチルエステル類生成の関係の解明や、他の果物や果菜における香気成分研究への展開が期待されます。
  • 「シナノゴールド」型の「貯蔵後も風味の変化が少ない品種・系統」の探索や、それを利用したDNAマーカー開発が期待されます。
  • 本研究で用いた風味関連成分に関するメタボロミクスとトランスクリプトミクスの統合解析手法は、各種農産物の風味向上を目的とした研究への応用が可能です。

用語の解説

エチルエステル類、酪酸エチル、カプロン酸エチル
エチルエステルはエタノールと酸が結合してできる化合物で、果実や酒類に甘く好ましい香りを与えます。酪酸エチルやカプロン酸エチルはリンゴの甘い香りに特に大きく寄与する代表的なエチルエステル類です。 [ポイントへ戻る] [概要へ戻る]
CA(Controlled Atmosphere)貯蔵
果実の呼吸を抑えて鮮度を保つため、「低酸素・高二酸化炭素」条件で行う貯蔵方法です。酸素濃度が低すぎると、嫌気代謝によりエタノールやエチルエステル類が生成されることがあります。 [ポイントへ戻る] [研究の経緯へ戻る]
蜜入りリンゴ
蜜入りリンゴでは、果肉内が低酸素条件になることで、エタノールやエチルエステル類が生成され、甘く華やかな香りを生じます。(2016年プレスリリース、https://www.naro.go.jp/publicity_report/press/laboratory/carc/061985.html) [ポイントへ戻る]
エチレン、MdACS1
エチレンは果実の成熟や老化を促進する植物ホルモンです。MdACS1はエチレン生成に関与する主要な遺伝子です。 [ポイントへ戻る]
メタボローム解析
生体内の代謝物(低分子成分)を網羅的に測定し、その変化や関連性を調べる解析手法です。本研究では香気成分と主要な水溶性成分を対象としました。 [概要へ戻る]
トランスクリプトーム解析
細胞内で発現している遺伝子(mRNA)を網羅的に解析し、遺伝子発現の状態を調べる手法です。 [概要へ戻る]
マルチオミクス解析
メタボローム解析とトランスクリプトーム解析などを組み合わせ、生体内の現象を総合的に理解する解析手法です。香気成分の変化と、それを制御する遺伝子との関係解明に有効です。 [概要へ戻る]
ピルビン酸デカルボキシラーゼ(PDC)
ピルビン酸をアセトアルデヒドに変換する酵素で、エタノール生成の初期段階に関与します。 [研究の内容・意義へ戻る]
アルコールデヒドロゲナーゼ(ADH)
アセトアルデヒドとエタノールの相互変換を触媒する酵素です。本研究ではアセトアルデヒドからエタノールの生成に関与する酵素として着目しました。 [研究の内容・意義へ戻る]
アルコールアシルトランスフェラーゼ(AAT)
アルコールと脂肪酸由来のアシルCoAからエステル類を合成する酵素で、果実の香り形成に直接関与します。アルコールとしてエタノールを基質とすることでエチルエステル類が生成され、リンゴなどの果実に甘くフルーティーな香りを与えます。この酵素はエチレンによって促進されます。果実の香りの強さや質は、本酵素活性の強さや種類によって変化する、エステル類の量や組み合わせによって左右されます。 [研究の内容・意義へ戻る]
共発現解析
遺伝子発現量や代謝物量の変動パターンを比較し、相関の強い因子同士の関係を調べる解析手法です。香気、呈味、機能性成分の生成に関与する遺伝子や、収量性・耐病性などの形質に関連する遺伝子など、多くの遺伝子の特定に用いられます。 [研究の内容・意義/実験の概要へ戻る]

発表論文

"Regulation of ethyl ester synthesis in two apple (Malus domestica) cultivars: Insights from integrated metabolomic and transcriptomic analyses." F. Tanaka, R. Yano, K. Okazaki, H. Kuchikata, J. Masuda, S. Kasai, M. Tatsuki, Food Chemistry: Molecular Sciences (2025): 100282.

研究担当者の声

基盤技術研究本部 高度分析研究センター田中 福代

エチルエステル類に最初に着目したのは2009年の蜜入り「ふじ」の分析でしたが、その後いろいろな品種を分析するうちに「王林」にもエチルエステル類が多量に生成すること、それにはエチレンが関与することがみえてきました。この「王林」の現象を嫌気過程と比較して解明する手段として、香気成分分析とRNA-seq(トランスクリプトーム解析)の統合解析を思い立ちました。それから約10年を経てようやく実現でき、感無量です。

季節ごと、地域ごとに様々なリンゴ品種が収穫されています。それぞれに個性豊かなリンゴの香りをお楽しみください。