開発の社会的背景と研究の経緯
世界人口が今後も増え続けると予想される中、増大する食料需要に応え、将来にわたって食料を安定供給していくことは世界的な重要課題となっています。高い光合成能力を持ち収量も高い作物の開発や利用は、食料生産を増大させる手段のひとつとして注目されています。
高い光合成能力を持つ作物の多くは、気孔が大きく開き、大気から多くのCO2を取り込むことにより光合成能力を向上させており、同時に気孔を通した水の損失も増加することが知られています(用語説明中の図参照)。そのため、高い光合成能力を持つ作物は生育中の水消費を増大させる可能性があり、特に水稲は水の消費量が多いため、このような品種の転換による水消費の増加が懸念されています。一方、世界のCO2濃度は増加を続けており、将来の作物生産について考える場合は、その影響を考慮する必要があります。
そこで農研機構は、光合成能力の高い水稲品種を高CO2濃度条件下で栽培した場合の、水消費量の推定を行いました。
研究の内容・意義
屋外実験(FACE実験)において、高い光合成能力と収量を示す水稲品種「タカナリ」と一般品種「コシヒカリ」を様々なCO2濃度条件下で栽培し、得られたデータから、現在のCO2濃度条件(390ppm)と約50年後を想定した高CO2濃度条件(590ppm)における両品種の「光合成量」と「蒸発散量」を推定しました(図1)。
- タカナリの光合成量は、現在のCO2濃度条件下でコシヒカリよりも1割ほど多く、さらに高CO2濃度条件では、現在のCO2濃度条件下のタカナリの約1.3倍、コシヒカリと比較して1.4倍に多くなります(図1a)。
- タカナリの蒸発散量は、現在のCO2濃度条件下でコシヒカリに比べ約5%大きいが、高CO2濃度条件では蒸発散量が5%程度減少し5)、現在のCO2濃度条件下のコシヒカリとほぼ同程度となります(図1b)。
これらの結果から、高い光合成機能を持つ品種を利用することにより、将来の高CO2濃度条件下で水消費を増やさずにコメの収量を大幅に増やせることがわかりました。
今後の予定・期待
本成果により、タカナリのような高い光合成能力を持つ品種の開発や利用が、将来の高CO2濃度条件下でのコメ増収と効率的な水利用の両方に有効である可能性が示されました。将来の気象環境に適応し、増加する食料需要に対処するために、タカナリの持つ優位な特性を、今後の水稲の品種開発に活かすことが期待されます。
農研機構では今後、CO2濃度増加に加えて、温暖化による気温上昇の影響も考慮して、作物の増収と効率的な水利用の両立に向けた研究を進める予定です。
用語の解説
1)高い光合成能力を持つ作物
植物が光合成を行う上で、気孔からCO2を取り込む必要がありますが、光合成をたくさん行おうと気孔を大きく開くと、気孔を通して植物体内の水分が損失します。一般に光合成能力が高い植物は気孔開度も大きい傾向があることが知られています。
2)蒸散・蒸発散
気孔を通した植物体内の水分(水蒸気)の大気への放出を蒸散とよび、田面水などからの蒸発と併せて蒸発散と呼びます。
3)開放系大気CO2濃度増加(FACE)実験
作物が通常栽培される野外環境下において、作物周辺の大気CO2濃度を人為的に増加させて、生育や収量などに対する応答を調査する実験です。農研機構では、2010年より茨城県つくばみらい市の水田圃場で本実験を行いました。
4)タカナリ
インディカ型の多収性水稲品種であるタカナリは、コシヒカリと比べて食味は劣りますが、これまでのFACE実験により、現CO2濃度条件でも、将来のCO2濃度条件でも、収量が1-3割ほど多いこと、高CO2濃度条件における品質低下の程度が低いことから、タカナリのような形質を持つ水稲品種が将来のCO2濃度条件において大幅な増収に期待できることがわかっています。しかし、将来のCO2濃度条件におけるタカナリの水消費量についてはわかっていませんでした。
5)CO2濃度の上昇に伴う蒸発散量の抑制
一般に、植物は気孔を開いて光合成に必要なCO2を外気から取り込みますが、周辺のCO2濃度が高いと気孔の開度が低くても十分なCO2を取り込めるため、気孔の開度は低くなり結果として蒸発散量は抑制されます。
発表論文
Ikawa, H., Chen, C.P., Sikma, M., Yoshimoto, M., Sakai, H., Tokida, T., Usui, Y., Nakamura, H., Ono, K., Maruyama, A., Watanabe, T., Kuwagata, T., and Hasegawa, T. (2018) Increasing canopy photosynthesis in rice can be achieved without a large increase in water use-a model based on free-air CO2 enrichment. Global Change Biology 24, 1321-1341. (doi: https://doi.org/10.1111/gcb.13981)
参考図表
図1 数値モデルによって計算されたコシヒカリとタカナリの
水稲群落全体の光合成量(a)と蒸発散量(b)の相対値
高い光合成能力を持つ品種としてタカナリ、慣行的に栽培される品種としてコシヒカリを選び、FACE実験で得られた品種特性を用いてモデル計算を行いました。(a)、(b)の縦軸は、現在のCO2濃度でコシヒカリを栽培する場合の光合成量、蒸発散量を基準とした割合。
50年後の高CO2濃度条件(590ppm)下でタカナリを栽培した場合、光合成量は、現在の濃度(390ppm)でタカナリを栽培する場合と比較して約1.3倍、コシヒカリを栽培する場合と比較して約1.4倍の大きさになります (a)が、蒸発散量は5%程度低くなり、現在のCO2濃度でコシヒカリを栽培する場合とほぼ同じです(b)。