プレスリリース
(研究成果) 世界の穀物生産における温暖化への適応費用を試算

情報公開日:2020年10月 1日 (木曜日)

2°C上昇で年間610億ドル、対策困難な被害の増加も

情報公開日:2020年10月 1日 (木曜日)

農研機構
国際農研

ポイント

農研機構を中心とした研究グループは、生産費用と収量の関係をもとに、気候変動(地球温暖化)が世界の主要穀物の生産に及ぼす影響とその適応に要する費用を試算しました。対工業化以前2°Cの上昇では、温暖化がない場合と比較して世界全体の生産額は年間800億ドル相当減少し、このうち610億ドルについては投入資材を追加するなどの適応を図ることで被害の軽減が可能であるものの、対処しきれずに生じる生産被害(=残余被害)が190億ドルであると推定されました。気温上昇が進むと、適応に要する費用と、残余被害が増大することから、温室効果ガスの排出削減等により気候変動の進行を抑えることと、さらに気温が上昇した場合に備え、栽培作物の変更や灌漑設備の整備等のより大きな変化を伴う対策の検討が必要です。

概要

農研機構は、国際農林水産業研究センター、農林水産省農林水産政策研究所と共同で、気候変動が世界の主要穀物に及ぼす経済的影響を評価しました。算出したのは、1)収量低下による生産被害と、2)それを軽減する対策に必要となる追加の費用(適応費用)、および、3)生産者が収益を確保できる範囲内で対策をとっても、対処しきれずに残る被害(残余被害)です。なお、ここで想定した対策は、現状で比較的容易に対応できるであろう、作物生育に合わせた灌漑用水や肥料、薬剤の追加や、これに伴う燃料、労働力、機械の追加投入です。
気候変動により生じる生産被害は、トウモロコシとコメ、コムギ、ダイズの合計で、世界の平均気温の上昇(対工業化以前;1850-1900年)が1.5°Cでは630億ドル、2°Cでは800億ドル、3°Cでは1,280億ドルと推定されました。この生産被害のうち、気温の上昇が1.5°Cであれば、84%(530億ドル)は、費用をかけて対策することで軽減でき、対処しきれない残余被害の割合も16%(100億ドル)に留まることから、気候変動による生産被害の大部分は、対策により軽減できると予想されます。しかし、気候変動がより大きく、気温の上昇が2°C、3°Cとなると、対応できる被害割合はそれぞれ76%(610億ドル)、61%(780億ドル)と低下、残余被害の割合は24%(190億ドル)、39%(500億ドル)と増大し、対策をしても、対処しきれずに生じる生産被害が深刻化していくと予想されました。
気候変動による温度上昇を低く抑えられれば、それに伴う生産被害の大部分に対応できると推定されることから、対応がより困難にならないように、温室効果ガスの排出削減等により気候変動の進行を抑えることが重要です。さらに、ここで想定した比較的容易な対策では対応できないほど気候変動が進行した場合に備えて、栽培する作物の変更や灌漑設備の整備など、より大きな変化を伴う対策の検討が必要です。
この研究成果は2020年7月2日に国際科学雑誌「Climate Research」に掲載されました。

関連情報

予算:独立行政法人環境再生保全機構 環境研究総合推進費S-14「気候変動の緩和策と適応策の統合的戦略研究」(2015-2019)、独立行政法人環境再生保全機構 環境研究総合推進費2-2005「気候政策とSDGs の同時達成における水環境のシナジーとトレードオフ」(2020-現在)、独立行政法人日本学術振興会 科学研究費基盤研究(B)「将来の気候変動が世界各国・地域別のフードセキュリティに与える影響分析」(2018-現在)

問い合わせ先
研究推進責任者 :
農研機構農業環境変動研究センター 所長 渡邊 朋也
国際農研研究戦略室 室長(兼 プログラムディレクター)
飯山 みゆき
研究担当者 :
農研機構農業環境変動研究センター 気候変動対応研究領域
主任研究員 飯泉(いいずみ) 仁之直(としちか)
国際農研 社会科学領域 領域長(兼 プロジェクトリーダー)
古家(ふるや)
広報担当者 :
農研機構農業環境変動研究センター 研究推進室(兼本部広報専門役)
大浦 典子
国際農研 企画連携部 情報広報室長中本 和夫

詳細情報

開発の社会的背景と経緯

将来、気候変動により穀物収量の伸びが鈍化すると予測されており1)、また既に気候変動による過去30年間の主要穀物の生産被害は世界全体で年間424億ドル生じていると報告されています2)。気候変動による生産被害を食い止め、今後も継続的に収量を増加させるためには、気候変動への適応技術の開発・普及が重要です。特に開発途上国の多くは人口増加が著しいことに加えて、気候変動の悪影響が大きいと予測される熱帯・低緯度地域に位置することから、開発途上国での適応技術の普及は急務です。
これまで、肥料や薬剤といった生産資材や労働力の追加投入などにより穀物生産への気候変動の悪影響を軽減できることは知られていましたが、こうした適応のための対策にかかる費用の規模についてはほとんど分かっていませんでした。また、気候変動がさらに進行した場合、将来見込まれる生産被害のうち、生産資材の追加投入などにより対応できる部分と対応しきれない部分が、それぞれどの程度あるのかについても十分な情報がありませんでした。
そこで農研機構では、国際農林水産業研究センターと農林水産省農林水産政策研究所から提供を受けた生産費用と穀物収量の関係についての学術的な知見を踏まえて、気候変動による穀物生産への悪影響を軽減(気候変動に適応)するために、生産者が収益を確保できる範囲内で対策した場合にかかる生産費用の追加分を適応費用と定義し、世界全体で推定しました。

研究の内容・意義

  • 作物の生育過程を数式で表現した収量モデル3)を用いて、将来の気候変動が世界各地域の穀物収量に及ぼす影響を50kmメッシュで予測しました。予測の条件には、経済発展に伴い開発途上国で普及するであろう既存の増収技術と、播種日の変更など気候変動への対応として簡易に取り組めるであろう対策技術の導入で適応すると仮定しました。一方で、より大掛かりとなる、将来開発されるであろう高温耐性品種の使用や灌漑開発などは考慮されていません。将来の技術進歩はIPCCで使用されている社会経済シナリオ4)に沿うと仮定しました。また、気候変動はIPCCで使用されている4つの排出シナリオ5)(RCP2.6、RCP4.5、RCP6.0、RCP8.5)に基づいており、これらはそれぞれ工業化以前(1850-1900年)に対する今世紀末(2091-2100年)の世界の平均気温の上昇が1.8°C、2.7°C、3.2°C、4.9°Cに対応します。
  • 排出シナリオに基づいて予測された将来の気候条件で推定した収量と、工業化以前の気候条件で推定した収量(いずれも同じ社会経済シナリオを使用)を比較して収量影響を推定しました。収量影響に2000年頃の世界の収穫面積分布と国別の生産者価格(2005-2009年の平均値)を乗じて被害額に換算した結果、トウモロコシとコメ、コムギ、ダイズを合計した生産被害は気温上昇が1.5°Cでは630億ドル、2°Cでは800億ドル、3°Cでは1,280億ドルと推定されました(図1左の黒色の線)。
  • 次いで、農業分野に対する政府の研究開発支出から想定される技術水準と生産費用、収量についての過去のデータから、生産費用と収量の関係式を構築しました(図2)。この式を用い、生産費用が生産者価格より少ない(収益がある)範囲内で、最大限の対策をした場合の収量と、そのために追加で要した生産費用(適応費用)を推定しました。この時、追加の生産費と収量増により軽減できた被害が同額になります。推定した対策後の収量が工業化以前の気候条件で推定した収量よりも低い場合は両者の差から残余被害を計算しました。
  • この結果、適応費用により軽減できる生産被害の割合は1.5°C上昇では生産被害の84%(530億ドル)、2°C上昇では76%(610億ドル)、3°C上昇では61%(780億ドル)と推定されました(図1右の緑色の線)。一方で、生産被害に占める残余被害の割合は1.5°C上昇では16%(100億ドル)、2°C上昇では24%(190億ドル)、3°C上昇では39%(500億ドル)と見積もられました(図1右の赤色の線)。この結果は、気候変動による将来の生産被害のうち、適応費用の割合が、気候変動が進行するにしたがって小さくなり、対処しきれずに生じる残余被害が増大すること(図3)を示しています。
  • 本成果から、1.5°C上昇に代表されるように気候変動の進行を抑えることができれば、適応策により、穀物生産に対する気候変動の悪影響の大部分を軽減することが可能と示唆されます。これにより、温室効果ガスの排出削減等、気候変動を緩和するための取り組みの重要性が改めて示されました。
  • 3°C上昇に代表されるように気候変動が著しく進行すると、生産資材の追加投入など比較的容易な対策だけでは気候変動の悪影響への対処が困難になる可能性が高く、開発に時間を要する高温耐性品種を広範に導入する、栽培する作物を変更する、天水農地では灌漑開発を行うなど、より大きな変化を伴う適応策が必要になると示唆されます。

今後の予定・期待

本研究で得られた適応費用の推定値は、穀物生産における気候変動への適応費用の規模が世界全体でどの程度かを明らかにしており、今後、開発途上国などが対策のために利用できる国際的な基金の規模や、開発途上国への農業技術支援を巡る施策決定の場において科学的な基礎データとして活用されることが期待されます。気候変動が著しく進行する場合、生産資材の追加投入などの比較的容易な対策ではこれまでと同じ作物の生産を継続することが困難になると示唆されており、より大規模な対策が必要となる世界の地域を特定し、有効な対策の提案のための研究を推進していく必要があります。
現在、農林水産分野では森林、土壌等の炭素貯留増加の取り組みが進められており、今後、各分野における温暖化緩和のための技術開発や普及の加速が期待されます。

用語の解説

気候変動により穀物収量の伸びが鈍化
農業環境変動研究センターの2017年の成果情報「気候変動により将来の世界の穀物収量の伸びは鈍化する」では、トウモロコシとダイズは今世紀末までの気温上昇が1.8°C未満でも収量増加が停滞すると見込まれるとしています。コメとコムギについては今世紀末の気温上昇が3.2°Cを超えると収量増加が停滞し始めるとしています。
気候変動による過去30年間の主要穀物の生産被害は世界全体で年間424億ドル
より詳細な内容は、農業環境変動研究センターの2018年の成果情報「地球温暖化による穀物生産被害は過去30年間で平均すると世界全体で年間424億ドル」で見ることができます。
収量モデル
作物の生理・生態的な生育過程を数式で表現したコンピュータ・シミュレーション・モデル。気象や土壌、栽培管理についての入力データに基づいて、日々の葉や茎の伸長、収量の形成を計算します。
社会経済シナリオ
共通社会経済経路(Shared Socioeconomic Pathways、SSPs)と呼ばれ、気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の陸域特別報告書などで使われている、国内総生産や人口、技術革新の速度などについての将来シナリオ。本予測では、利用可能な5つのシナリオを考慮しています。
排出シナリオ
代表的濃度経路(Representative Concentration Pathways、RCPs)と呼ばれ、IPCCの第5次評価報告書以降、広く使われている温室効果ガス排出シナリオ。RCP2.6が最も排出量が少なく、RCP4.5、RCP6、RCP8.5の順に排出量が多くなり、将来の気温上昇もこの順で大きくなります。

発表論文

  • Toshichika Iizumi, Zhihong Shen, Jun Furuya, Tatsuji Koizumi, Gen Furuhashi, Wonsik Kim, Motoki Nishimori (2020) Climate change adaptation cost and residual damage to global crop production. Climate Research, 80, 203-218. https://doi.org/10.3354/cr01605.

参考図

図1 気候変動による生産被害とそのうち適応費用と残余被害が占める割合
左図は主要4穀物(トウモロコシ、コメ、コムギ、ダイズ)を合計した気候変動の生産被害、適応費用、残余被害。右図は生産被害のうち、収益が確保できる範囲内で対策した場合に軽減できる被害(適応費用)の割合とその範囲の対策では対処しきれずに生じる残余被害の割合を示します。左右いずれの図でも横軸は工業化以前(1850-1900年)に対するそれぞれの排出シナリオのもとで予測される10年間の平均の気温上昇の程度です。予測値はいずれも、平均気温の上昇0.5°Cごとに平均値を計算し、それをつないだ線グラフとして示しています。排出シナリオや社会経済シナリオなどの組み合わせが異なる2000シナリオの平均値を示しています。
図2 適応費用の計算の概念図
赤色の線は気候変動下での生産費用と穀物収量の関係を示します。青色の線は気候変動がない場合における生産費用と収量の関係です。これらの関係は国別、作物別に収量と生産費用データから作成しました。いずれの場合も、生産費用を増加させると収量が高くなりますが、生産費用を増やし続けても、収量の増加は次第に鈍くなり、やがて頭打ちになります。気候変動下の収量(Yfact)は気候変動がない場合の収量(Yctfl)より低くなると予測されています。気候変動がない場合の収量を気候変動下で資材などの追加投入により達成しようとすると、ある程度の収量の水準(Y*)までは収益を確保しつつ生産費用を増やすことができます。このときの生産費用の増分(P*-Pfact)が資材などの追加投入による適応費用にあたり、収穫面積を乗じて世界全体の値を集計します。気候変動がない場合の収量と気候変動下で収益が確保しつつ最大限の対策をした場合の収量の差(Yctfl-Y*)に国別の生産者価格(トンあたりドル)と収穫面積を乗じて世界全体の残余被害(ドル)を計算します。
図3 気候変動による1.5°C、2°C、3°Cの平均気温上昇が世界の穀物生産に引き起こす生産被害額、およびそのうち対策により軽減できる被害(適応費用)と対処しきれずに生じる被害(残余被害)の内訳
棒中の数値は内訳の金額、棒の上の数値は合計金額(億ドル)を示します。