プレスリリース
(研究成果) 猛暑年に国内水稲の高温不稔の実態を調査、モデル化で将来予測も可能に

情報公開日:2022年1月18日 (火曜日)

農研機構

ポイント

農研機構は、広範囲で記録的高温となった2018年に、出穂・開花期1)に高温に遭遇した水田において水稲(コシヒカリ)の不稔2)が通常より高い割合で発生したことを確認しました。不稔の割合と気象要素との関係を調べ、開花期の穂温から水田における不稔割合を推定するシミュレーションモデルを開発しました。モデルで推定した結果、近年頻発する猛暑と出穂のタイミングによっては、国内の水田で高温不稔3)が発生している可能性があることがわかりました。本成果は、水稲生産の予測精度の向上に役立ち、また高温不稔に対して適切な対策を講じるための重要な基礎資料となります。

概要

温暖化の進行に伴う水稲の高温障害の増加が懸念されています。開花期の高温不稔は、水稲の開花時に穂((えい)花)が高温に曝されることにより受粉が阻害されて不稔(空籾)になる障害で、これまで熱帯地域や中国の長江流域などで高温不稔による水稲の減収被害が報告されています。国内では、2007年の夏季異常高温時に実施された調査4)で、関東・東海地方の一部の水田で通常より高い割合で不稔が発生していたことが分かりましたが、国内で実態を把握した事例は他にはなく、高温不稔発生条件に関する知見も不足していました。

近年、国内では夏季の異常高温が頻発しており、特に2018年には、多くの水稲にとっての出穂・開花期にあたる7月中旬から8月上旬にかけて、関東・東海・近畿地方の広い範囲で記録的高温となり、国内の水田で高温不稔の発生が懸念されました。そこで農研機構は、8府県(茨城県、千葉県、群馬県、埼玉県、岐阜県、愛知県、三重県、京都府)の公設試、農業団体等の協力のもと、国内の主要品種であるコシヒカリを対象に現地水田での高温不稔発生の実態の広域調査を実施しました。

その結果、出穂・開花期に高温に遭遇した水田で、通常より高い割合で不稔が発生する傾向が認められました。不稔となった籾数の割合(不稔率)は、開花期の日中の穂の温度と高い相関関係があり、穂温が33°C付近を超えると不稔率が増大し始めることがわかりました。この結果から、開花期の穂温から水田における不稔割合を推定するシミュレーションモデルを開発しました。このモデルを用いて8府県の調査対象水田の夏季全体(7~9月)の気象条件から不稔率を推定したところ、猛暑下で実際に高い不稔率が認められた場合以外にも、複数の時期・場所において不稔率が高くなると推定されました。

これらの結果から、これまでは、日本における水稲の高温不稔は、温暖化の進行が進み、現在の熱帯での温度域となる頃に顕在化すると予測されていましたが、猛暑の時期と出穂のタイミングによっては、現在の気候条件下でも国内の水田で高温不稔が発生している可能性があることが示されました。なお最終的な収量には、不稔率だけでなく、籾の総数や光合成産物量など他の様々な要因も影響するため、不稔の増大分がそのまま減収分となるわけではありません。

本成果は、水稲生産の予測精度の向上に役立ちます。また高温不稔に対して、現在や将来にわたり、適切な対策を講じるための重要な基礎資料となります。

関連情報

予算 : 運営費交付金

問い合わせ先
研究推進責任者 :
農研機構農業環境研究部門 所長 岡田 邦彦
研究担当者 :
同 気候変動適応策研究領域 主席研究員 吉本 真由美
広報担当者 :
同 農業環境研究部門 研究推進室(兼本部広報部)
杉山 恵

詳細情報

開発の社会的背景と経緯

温暖化の進行に伴い、水稲の高温障害の増加が懸念されています。高温障害のうち、登熟期の高温による白未熟粒の増加などの品質低下は、国内で既に問題が顕在化しており、登熟期の高温下でも品質が低下しにくい高温耐性品種や栽培管理手法の開発が、農研機構や各自治体等で進められています。一方、さらなる温暖化の進行に伴い発生が懸念されている高温障害が、開花期の高温による不稔です。開花期高温不稔は、開花時に穂(穎花)が高温に曝されることにより受粉が阻害されて不稔になる障害です。

これまでに海外では、熱帯地域や中国の長江流域などで高温不稔による減収被害が報告されています。そこで農研機構では水稲への深刻な影響を回避すべく国際的なネットワークを構築し、実態の把握や対策の強化を議論してきたところです。一方国内では、2007年の夏季異常高温時に実施された調査で、関東・東海地方の一部の水田で通常より高い割合で不稔が発生したことが報告されていますが、国内の水田で高温不稔の実態を把握した事例は他にはなく、高温不稔が屋外環境でどのような条件下でどの程度発生するかは解明されていませんでした。

近年、国内では2007年を上回る夏季異常高温が頻発しており、特に2018年には7月23日に埼玉県熊谷市で日最高気温41.1°Cを記録するなど、7月中旬から8月上旬にかけて関東・東海・近畿地方の広い範囲で記録的高温となりました。この時期は水稲の出穂・開花期にあたり、高温不稔の発生が懸念されました。そこで農研機構は、8府県の公設試、農業団体等の協力のもと、国内の主要品種であるコシヒカリを対象に、現地水田において高温不稔が発生したかどうかについて広域調査を実施しました。

研究の内容・意義

  • 2018年夏季に高温だった8府県(茨城県、千葉県、群馬県、埼玉県、岐阜県、愛知県、三重県、京都府)の調査対象水田から籾サンプルを収集し、水田ごとに不稔籾数の割合(不稔率)を光透過と触診で調べるとともに、各水田における出穂日の情報も集めました。比較のため2019年夏季にも同じ水田を対象に調査を行いました。
  • 埼玉県熊谷市で観測史上最高気温41.1°Cを記録した2018年には、例年の水稲の出穂期にあたる7月中旬~8月上旬に、数回にわたり広範囲で記録的高温となった一方、2019年には7月の天候不順から8月上旬の長期間の高温に転じるなど、高温の時期と持続期間は年により異なりました(図1折れ線グラフ)。両年とも、高温の時期に出穂した水田において、通常の温度条件でも見られる不稔率(約5%程度)よりも高い不稔率が認められました(図1点グラフ)。最も不稔率が高かったのは、2018年の猛暑時期に出穂した埼玉県の水田で約15%でしたが、2018年ほど高温ではなかった2019年にも、10%程度の高い不稔率が認められました。
  • これまでに、開花期の高温不稔には開花が起こる穂の温度が直接影響することが知られており、また穂温は日射や風速など様々な気象条件の影響を受けるため、気温とは異なることがわかっています。そこで、農研機構で開発した穂温推定モデル5)を使い各水田の水稲の穂温を計算し、不稔率との関係を調べました。その結果、不稔率と開花期5日間の日中の平均穂温に高い相関が認められ、異なる年でも同じ関係性が得られました(図2)。両年とも穂温が33°C付近(概ね日最高気温の33~35°C程度)を超えると不稔率が増大し始めたことから、開花期5日間の日中の平均穂温33°C以上の積算値を使用して、不稔率を推定するシミュレーションモデルを開発しました。
  • 開花期の穂温による不稔率推定モデルを用いて、8府県の調査対象水田の夏季全体(7月上旬~9月上旬)の気象条件から推定される不稔率を算定したところ、モデルは調査結果をよく再現していました(図3)。さらに、調査数の少なかった時期・場所においても、モデルを用いて気象条件から不稔率を推定することができるようになりました。その結果、実際に高い不稔率が認められた2018年7月中下旬の関東の水田の他にも、不稔率が高い場合があると推定されました。このことから、高温の時期と出穂のタイミングによっては、現在の気候条件下でも国内の水田で高温不稔が発生している可能性があることがわかりました。

今後の予定・期待

これまでの、室内実験の結果を基にした温度と不稔率との関係は、屋外環境での不稔発生の実態と乖離しており、不稔率推定に用いることはできませんでした。今回、広域調査による8府県の現地水田での不稔率データを用い、また開花期の穂温を指標とすることで、国内の主要品種であるコシヒカリの屋外の水田における不稔率を推定するシミュレーションモデルを、世界で初めて提示することができました。不稔率推定モデルは、気象条件から高温不稔の発生を推定することができるため、現在だけでなく将来の気候変動下の水稲の高温不稔発生リスクの推定に役立つと期待されます。今回の研究成果はコシヒカリを対象としたものですが、今後、高温不稔に対する耐性品種など様々な適応策を導入した場合にも、不稔率推定モデルを改良することによって、それらが温暖化後にどの程度有効かの評価にも役立ちます。なお、最終的な収量には、不稔率だけでなく、籾の総数や光合成産物量など他の様々な要因も影響するため、不稔の増大分がそのまま減収分となるわけではありません。しかし、温暖化の進行や熱波の頻発で高温不稔が増大すれば、減収となるリスクは確実に増えると考えられます。したがって、今後、温暖化や極端気象などの気候変動に対して、収量への影響を予測し適切な適応策を講じていくために、不稔率を含む収量構成要素と収量との関係を解明し、水稲生産の予測精度を向上させていく予定です。

用語の解説

出穂・開花(期)
出穂とは、イネの穂が葉鞘(茎を包む形状をした、葉の基部)から少しでも出てくることです。農業現場では、各水田の出穂がいつ頃だったかを示すわかりやすい指標として、出穂日(=水田全体の半分の穂が出穂した日)を用います。一方、開花は、出穂直後から始まり、一本の穂のすべての頴花の開花が終わるまでに数日間かかります。このため、実際に多くの開花が起こる時期(開花期)は、出穂日を含む数日間となります。[ポイントへ戻る]
不稔
受粉や受精の失敗により種子が実らない現象です。イネでは通常でも5%程度の生理的な不稔が生じていますが、不稔は、温度、乾燥、塩分ストレスなど多くの環境要因によって増大し、減収をもたらす可能性があります。不稔が減収をもたらす代表的な例に、減数分裂期や穂ばらみ期などの冷害危険期に水稲が低温に遭遇し、不稔が多発する障害型冷害がありますが、近年は温暖化の進行に伴い、高温による不稔の発生が懸念されています。[ポイントへ戻る]
(開花期の)高温不稔
高温不稔で空となった籾
開花時に水稲の穂(頴花)が高温に曝されると、おしべの葯の裂開が阻害されたり、裂開しても葯から花粉がめしべの柱頭にこぼれなかったりして、受粉が阻害されて実らなくなる障害です。これまでの室内実験では、開花時の気温が35°Cを超えると発生しはじめ、1°Cの温度上昇で不稔率が16%増大するという報告があり、ある閾値を超えた温度域で急激に不稔となる割合が増えることが知られています。[ポイントへ戻る]
2007年夏季異常高温時に実施された(高温不稔)調査
2007年8月、埼玉県熊谷市、岐阜県多治見市で当時の観測史上最高気温40.9°Cを記録するなど、関東・東海の内陸地方が異常高温に見舞われました。多くの室内実験で報告された高温不稔を誘発しうる温度域であったことから、当時の(独)農業環境技術研究所と(独)農業・食品産業技術総合研究機構作物研究所(ともに現・農研機構)は、群馬県、埼玉県、茨城県、岐阜県、愛知県と協力して不稔発生の現地調査を行い、この期間に出穂・開花した水田において通常より高い割合で不稔が発生したことを確認しました。ただし、その割合は、室内実験での温度反応から推定されるものより低く、また地域全体では出穂・開花の時期に高温に遭遇した水田が少なかったことなどから、作況に影響するような被害は認められませんでした。[概要へ戻る]
穂温推定モデル
屋外の水田での水稲の穂の温度は、日射による昇温や、植物の蒸散・水面の蒸発に伴う気化冷却効果、植物体による日傘効果等があるため、気象観測所などで発表される気温とは異なります。そこで農研機構は、水稲の高温障害を解明するためのツールとして、一般的な日射量や風速、気温、湿度などの気象要素から、水田における穂の温度を推定する微気象モデル(IM2PACT)を開発しました。IM2PACTは、農研機構のモデル結合型作物気象データベース(MeteoCrop DB)にも実装されており、全国の地上気象観測所で穂温を算定することができます。[研究の内容・意義へ戻る]

発表論文

Mayumi YOSHIMOTO, Hidemitsu SAKAI, Yasushi ISHIGOOKA, Tsuneo KUWAGATA, Tsutomu ISHIMARU, Hiroshi NAKAGAWA, Atsushi MARUYAMA, Hitoshi, OGIWARA, Kenji NAGATA (2021) Field survey on rice spikelet sterility in an extremely hot summer of 2018 in Japan. Journal of Agricultural Meteorology, 77 (4), 262-269, doi:10.2480/agrmet.D-21-00024

参考図

図1 2018年(左)と2019年(右)の関東、東海、近畿地方の8府県の調査水田における出穂日ごとにプロットした不稔率
日最高気温の推移は、調査を行った8府県の平均値を表示しています。出穂日が高温の時期にあたると不稔率が高くなる傾向が認められました。
図2 開花期5日間の日中の平均穂温と不稔率との関係
赤色は2018年、青色は2019年の結果を示します。両年の傾向はほぼ一致し、穂温が33°C付近を超えると不稔率が急激に増大し始めています。
図3 モデルで推定した出穂時期ごとの不稔の発生分布(点は本調査での実測値)
関東、東海、近畿地方の8府県の調査水田の2018、2019年の夏季(7月上旬~9月上旬)の気象条件から不稔率を推定しました。パーセンタイル図は、出穂日や場所の違いによる不稔率の分布の様子を示し、ボックスの上下は両端から5%の分布範囲、中央線は中央値を表します(点線は25%の分布範囲)。例えば、2018年7月中旬に出穂した東海・近畿の水田では、調査した2水田の不稔率は11.0%と5.8%でしたが、モデルは、この期間に出穂した水田の中には15%を超えるような高い不稔率となる場合があったことを示しています。このように、モデルを使って、気象条件から国内の水田での不稔発生の可能性を予測することができるようになりました。