プレスリリース
(研究成果) 農薬使用による水生生物への生態リスクの全国的な変動を見える化

- 水生生物へのリスクは過去20年間で減少 -

情報公開日:2022年9月12日 (月曜日)

ポイント

農研機構は、これまでに開発してきた生態リスク評価の複数の技術を統合させ、全国を対象に農薬使用による水生生物への生態リスクの時間や地域による変動の見える化を可能としました。適用例として日本で使用されている主要な水稲用農薬67種による生態リスクを全国の河川350地点で評価し、その1990年~2010年にわたる推移を調べたところ、殺虫剤では92.4%、除草剤では53.1%の減少が見られました。本研究は、農薬の使用量ではなく生態リスクの度合いを「見える化」する手法を提案するもので、行政等による科学的な意思決定のサポートに活用できます。

概要

農薬は安定した食物生産に必要な資材として広く使用されています。しかし、例えば水田で使用された農薬が排水に伴い河川に流出した場合に、本来農薬の標的ではない水生生物への悪影響が懸念されます(この悪影響の程度と発生可能性を「生態リスク」と定義)。また、農薬の出荷量(有効成分換算)は1980年代をピークとしてその後は減少傾向にありますが、逆に有効成分の種類は増加傾向にあります。このような農薬使用の少量多種類化が進んだことで、これまで行われてきた個別農薬の生態リスク評価に加えて、複数の農薬の複合影響評価の重要性が増しています。

農研機構はこれまでに開発してきた生態リスク評価の複数の技術を統合させることで、全国を対象に生態リスクが時間や地域でどのように変化しているかを「見える化」する手法を開発しました。この手法の具体的な適用例として、日本で使用されている主要な水稲用農薬67種による生態リスクを全国の河川350地点で評価し、さらに1990年から2010年まで5年ごとの推移を評価しました。生態リスクの指標として、複数の農薬によって影響を受ける可能性のある生物種の割合を算出したところ、20年間の減少率は殺虫剤で92.4%、除草剤で53.1%と大幅な減少が見られました。この大幅な減少は、農薬メーカーによる低リスク農薬の開発、生産者による水管理の徹底などの農薬流出防止対策、国による農薬登録制度の見直しなどによるものと考えられます。

このように生態リスクについて時間や地域による変動を明らかにした成果は世界的にも類を見ないものです。本成果により水生生物に対する生態リスク低減効果の見える化が可能となり、行政等による科学的な意思決定をサポートすることができます。また、2021年に農林水産省が策定した「みどりの食料システム戦略」をはじめとする各種環境負荷低減の取り組みの検討に活用できます。

関連情報

予算 : 環境省農薬の河川モニタリングによる生態リスク管理手法の確立業務

問い合わせ先など
研究推進責任者 :
農研機構農業環境研究部門 所長山本 勝利
研究担当者 :
同 土壌環境管理研究領域 上級研究員永井 孝志
広報担当者 :
同 研究推進室(兼本部広報部)杉山 恵

詳細情報

開発の社会的背景

農薬のリスクを適切に管理するためには、過去から現在までのリスクの推移や農薬の代替によるリスクの変化を示すことによって、どこでどのような対策を行えば農薬全体のリスクを効率的に低減できるのかを考えることが重要です。一方で、特定の農薬の生態リスクについてのみに過度に注目が集まり、農薬全体の生態リスクがどのように推移しているのかを考慮することなく特定の農薬の使用さえやめればよいという風潮も危惧されています。わが国の農薬取締法における水生生物に対する生態リスク評価1)では①生態リスクの大きさを定量的に示す、②複数の農薬による生態リスクの全体像を把握する、③地域毎の生態リスクの違いを考慮する、という3つの点がカバーされていません。農薬使用の少量・多種類化(図1)や種類の変遷によって、生態リスクは経年的にどのように変化してきたのか?を解明するためには、日本における生態リスクの時間や地域による変動を明らかにする評価手法が必要です。

研究の経緯

農研機構はこれまでに、①「種の感受性分布2)」を用いた農薬の生態リスクを定量的に評価する手法、②複数農薬の複合影響を考慮した生態リスク(累積リスク)を評価する手法、③農薬の生態リスクの地域差を評価する手法、の3つの要素技術を開発してきました。

本研究ではこれらの複数の技術を統合し、さらに過去からの経年変化を評価することにより、日本における生態リスクの時間や地域による変動の見える化を可能としました。

研究の内容・意義

  • 評価手法の具体的な適用例として、日本で使用されている主要な水稲用農薬67種を対象とし、環境モデル(用語の解説1)参照)を用いて日本国内の350の河川流量観測地点における地域固有の河川水中濃度を推定しました(図2)。次に、推定した濃度をNIAES-CERAP3)に入力して、「影響を受ける種の割合」を指標とする累積リスクを算出しました。
  • 過去にわたる農薬出荷量や適用一覧などの情報を用いて1990年から2010年までの累積リスクの推移を調べたところ、20年間に殺虫剤では23.6%から1.8%へ(減少率92.4%)、除草剤では16.2%から7.6%へ(減少率53.1%)、大幅な減少がみられました(350地点の中央値ベースによる比較; 図3)。殺菌剤についてはいずれの年代・地点においても検出限界以下(<0.1%)でした。この大幅な低減は、①農薬メーカーによる低リスク農薬の開発、②生産者による水管理の徹底などの農薬流出防止対策、③国による登録制度見直し(2005年以降の「水産動植物の被害防止に係る農薬登録保留基準」の設定、用語の解説1)参照)などによるものと考えられます。特に殺虫剤において累積リスクが大幅に減少したのは、①と③の結果によって有機リン系殺虫剤の水田での使用が大幅に減少したことが主要な要因になっています。
  • 累積リスクの地域的な変動として、殺虫剤では西日本で累積リスクが高い地点が多いなどの地域性がみられました(図4)。地域特性を考慮した対策を立てる際にこのような情報が役立ちます。

今後の予定・期待

本研究は、全国を対象に生態リスクの時間や地域による変動を明らかにした世界でも類を見ないものです。また、本評価手法は特定の農薬の代替が進んだ場合などのシミュレーションにも活用が可能であり、水生生物に対する効率的な生態リスク低減対策の立案に貢献できます。さらには、農薬の生態リスクに関する現状とその低減対策についてのリスクコミュニケーションの材料としても活用が期待できます。これらの取り組みは、「みどりの食料システム戦略」を始めとした環境負荷低減の方向性に合致しています。

注意点として、本研究は現在得られる科学的知見を可能な限り有効に活用していますが、モデル分析には必ず不確実性を伴います。それでもこれまで見えてこなかった農薬の生態リスクの全体像を共有することは、社会的議論のための情報として有益であり、農薬に関する様々な意見に対しての相違点が明確になります。

今後は2010年以降の推移を評価し、評価地点を全国で約2千数百地点ある環境基準点に拡張し、評価地点の実際の生物相を把握して評価結果の検証をするなど、成果のさらなる発展を目指します。

用語の解説

農薬取締法における水生生物に対する生態リスク評価
わが国の農薬取締法における「水産動植物の被害防止に係る農薬登録保留基準(2020年4月以降は水域の生活環境動植物の被害防止に係る農薬登録基準)」という制度の下、指標水生生物(魚類、甲殻類等、藻類等)を用いた短期室内毒性試験の結果から基準値を設定し、環境モデルを用いて計算された農薬使用時における河川水中濃度の予測値と比較してリスクの有無を評価しています。[開発の社会的背景へ戻る]
種の感受性分布
水環境中に生息するすべての種に対する毒性試験を行って、毒性値(有害性)を得ることは現実的に不可能です。多数の生物種の毒性試験データを網羅的に収集し、統計学的分布に適合させ、濃度の上昇につれて影響を受ける種の割合も上昇するという関係を曲線で表したものが「種の感受性分布」と呼ばれています。「種の感受性分布」を用い、全生物種に占める「影響を受ける種の割合」という指標により種の多様性への影響を定量的に評価する手法については、技術マニュアルは農研機構のWEBサイトで公開しています。
https://www.naro.affrc.go.jp/archive/niaes/techdoc/ssd/ssd.html [研究の経緯へ戻る]
種の感受性分布の概念図
この図はあくまで概念的な説明であり、生物種に対する感受性の順序は農薬の種類によって異なることが知られています。
NIAES-CERAP
農研機構が開発した、種の感受性分布と既存の複合毒性予測モデルを組み合わせて累積リスクを評価するMicrosoft Excelベースのツール。水稲用農薬68種(本成果で評価した67種と環境中で代謝され出てくるものを含む)の環境中農薬濃度を入力すると、その地点に生息する水生生物種の何%が影響を受けるのかが計算され、累積リスクが4段階で判定されます。技術マニュアルと評価ツールは農研機構のWEBサイトで公開しています。
https://www.naro.go.jp/publicity_report/publication/laboratory/niaes/manual/079666.html[研究の内容・意義へ戻る]

発表論文

Nagai T, Yachi S, Inao K (2022) Temporal and regional variability of cumulative ecological risks of pesticides in Japanese river waters for 1990-2010. Journal of Pesticide Science, 47 (1). 22-29.
https://doi.org/10.1584/jpestics.D21-054

参考図

図1. 日本の農薬有効成分の総出荷量と種類の経年変化(データは化学物質データベースWebkis Plusより)
全体として農薬の出荷量は1980年代をピークとしてその後減少傾向にありますが、種類は増加しています。
図2. 地点毎の環境中農薬成分濃度の計算方法の概要
図3. 1990年から2010年にかけての5年毎の累積リスクの推移
350地点の累積リスクの分布はバイオリンプロットで示され、太い部分ほど多くの地点が集まっており、白丸が中央値、黒棒は全体の25%~75%が分布する範囲、黒線の下端と上端は最小値と最大値を示しています。
図4. 全国350地点における殺虫剤の累積リスクマップ(1990年と2010年ベースの比較)
NIAES-CERAPでは、累積リスクは影響を受ける種の割合に応じて暫定的に4段階で判定されます(50% 超:リスク高、5~50%:リスク中、0.1~5%:リスク低、0.1% 未満:不検出)。