プレスリリース
(研究成果) 地域に蓄積された栽培データを活用し収量変動要因を解析
- 丹波黒大豆の収量安定化に向けた新たな水管理指針を提供 -
ポイント
農研機構は、丹波黒大豆を栽培する丹波篠山市の生産者ほ場で16年間にわたり蓄積された栽培データを基に、黒大豆の収量変動要因を解析しました。この解析には、農研機構が開発した「大豆灌水支援システム」1)と、新たに構築した収量推定モデルをツールとして活用しました。その結果、10月上旬の土壌水分管理が収量向上と安定化に寄与する可能性があることを示しました。本知見は、新たな水管理指針の基礎として応用が期待されます。さらに、この成果は、他の大豆産地でも地域に蓄積された栽培データと「大豆灌水支援システム」を組み合わせることで、地域特性に応じた栽培管理の最適化を実現する可能性を示しています。
概要
黒大豆ほ場での灌水
丹波篠山市は300年以上の黒大豆栽培の歴史を持ち、その伝統的な栽培システムは日本農業遺産に認定されています。しかし、黒大豆の収量変動が大きいことは、生産者にとって長年の課題です。特に、開花期が夏の高温・乾燥の時期に重なるため、灌水が高収量の鍵とされています(写真)。また、内陸性気候や粘土質土壌、地形的要因から湿害や乾燥害が発生しやすく、土壌水分管理が収量安定化において重要な要素とされています。
農研機構は、丹波篠山市の生産者ほ場で16年間にわたり蓄積された栽培データを用い、黒大豆の収量変動要因を解析しました。16年間の土壌水分は、農研機構が開発した「大豆灌水支援システム」で推定しました。本システムは、リアルタイムで土壌水分を推定し、最適な灌水時期を通知するWebシステムで、2022年より一般利用が始まっています。地域に蓄積された栽培データを基盤に、「大豆灌水支援システム」が推定した土壌水分と、新たに構築した収量推定モデルを組み合わせた結果、開花から子実肥大期間(8月~10月)にかけての気温、日射量および土壌水分が収量変動に複雑な影響を与えることが確認されました。特に、10月上旬の土壌水分管理が収量の安定化に寄与する可能性があることを示しました。
これまで「大豆灌水支援システム」は主に普通大豆の水管理指針を提供するために活用されてきましたが、今回の研究を通じて、黒大豆にも適用可能であることが初めて示されました。この成果は、本システムが幅広い大豆の品種に応用可能であることを示唆しています。さらに、同様のアプローチを用いて、他地域でも栽培データを蓄積し、地域特有の収量安定化を図る水管理指針を構築することが期待されます。このような取り組みは、気候変動に対応した持続可能な農業システムの実現に向けた重要な一歩となると考えられます。
問い合わせ先など
研究推進責任者 :
農研機構 農業環境研究部門 所長山本 勝利
研究担当者 :
同 気候変動適応策研究領域 上級研究員
熊谷 悦史
詳細情報
開発の社会的背景
現在、食品用の大豆の需要は増加していますが、国内の生産量は伸び悩んでおり、その要因として単位面積当たりの収量の停滞が挙げられます。需給バランスを改善するためには、収量の向上が重要です。特に、日本の大豆の多くが水はけの悪い水田転換畑で栽培されているため、湿害(土壌過湿による生育不良)対策が重視されてきましたが、乾燥害(土壌乾燥による生育不良)への対策も欠かせません。しかし、生産者が湿害を恐れて灌水をためらうケースも多く、適切な灌水のタイミングを見極めることは難しい状況です。この課題を解決するためには、地域ごとに蓄積された栽培データを活用し、収量変動要因を解明した上で、地域特性に応じた水管理指針を構築することが重要です。
こうした背景のもと、農研機構では「大豆灌水支援システム」を開発しました。このシステムは、農研機構メッシュ農業気象データ2)や土壌データに基づき、大豆栽培期間中に土壌水分をリアルタイムで推定し、適切な灌水時期を知らせるWebシステムです。2022年より一般利用が開始され、これまでの研究で収量向上や灌水管理に有効であることが確認されています。さらに、このシステムは大豆育種事業で蓄積された栽培データの解析を支援するツールとしても利用されており、乾燥害の実態解明にも役立っています。
研究の経緯
丹波篠山市は300年以上の黒大豆栽培の歴史を持ち、その栽培システムは日本農業遺産にも認定されています。丹波黒大豆は6月中旬に播種・定植し、12月上旬に成熟・収穫を迎え、栽培期間は約半年間に及びます。しかし、黒大豆の収量変動は大きく、生産者にとって長年の課題となっています。黒大豆の栽培においては、開花期が夏の高温・乾燥の時期にあたるため、灌水は高収量を得るために重要な技術とされています。丹波篠山市は内陸性気候で年間降水量が少なく、不透水性の粘土質土壌や盆地特有の地形が、湿害や乾燥害を引き起こしやすいことから、土壌水分管理が収量安定化の鍵とされています。ただし、生産者ほ場における土壌水分が収量に与える影響については、詳細な分析が不足しているのが現状です。
本研究では、丹波篠山市内の生産者ほ場(定点調査地点)で2008年から2023年までの16年間にわたり収集された栽培データを活用しました。この長期にわたる栽培データを基盤にして、「大豆灌水支援システム」による土壌水分推定と、農研機構メッシュ農業気象データから得た気象要素と、機械学習3)を用いた収量推定モデルの構築を通じて、収量と土壌水分、気象要素との複雑な関係を明らかにしました。
研究の内容・意義
- 長期的な収量変動の実態と原因を解析
本研究では、丹波篠山市内の4つの定点調査地点で、2008年から2023年までに蓄積された栽培データを解析しました。その結果、収量(精子実重:含水率を15%に調整した整粒の重さ)は大きな変動を示しながらも減少傾向にあることが明らかになりました(図1)。特に、整粒4)数の減少が収量変動の主要な原因であることが示唆されました。このような地域に蓄積された栽培データを活用した解析は、地域特性に基づいた収量安定化のための施策を構築する上で重要な基盤となります。
図1. 4つの定点調査地点データに基づく収量(精子実重)の偏差と年次との関係
各年のデータから期間の平均値を差し引いた偏差を使用して、地点ごとの違いを排除し、年次間の変動を明確に捉えることを目指しました。図中のτ(タウ)は収量が時間とともに変化する傾向を示し、p値はその変動が統計的に有意であるかどうかを示しています。また、Senの傾斜は収量が時間経過に伴い増減する速度を定量化しています。この結果は、収量の長期的な減少傾向が有意であることを意味します。
- 「大豆灌水支援システム」は丹波黒大豆にも適用可能
本研究では、「大豆灌水支援システム」の丹波黒大豆への適用性を評価しました(図2)。土壌が異なる2つの定点調査地点で、2022年および2023年の2年間にわたり収集された大豆の栽培暦、ほ場容水量5)、永久しおれ点6)、土壌水分の観測データを基に、本システムが推定する土壌水分の予測精度が確認され、このシステムが丹波黒大豆にも適用できることが示されました。
図2. 2つの定点調査地点(A地点とB地点)における
2022年と2023年の土壌体積含水率の観測値と「大豆灌水支援システム」による推定値の比較
図1の4つの定点調査地点のうち、A地点とB地点の2地点で検証しました。AおよびB地点の土壌はそれぞれグライ低地土および低地水田土。両地点において、永久しおれ点に近く、含水率が低い範囲では推定値と観測値の差異は小さくなりました。一方、B地点では、降水量が多くほ場容水量を超えた際に、推定値と観測値の差異が大きくなりました。これは「大豆灌水支援システム」が、ほ場容水量を超えた水は迅速に排水されるとの仮定に基づいているためです。
- 黒大豆の収量推定モデルを構築
4つの定点調査地点の過去の黒大豆の収量変動を推定するため、LASSO7)という統計的な機械学習手法を用いて、収量推定モデルを構築しました。このモデルでは、2008年から2023年までに蓄積された栽培データを基盤とし、黒大豆の収量を目的変数8)、農研機構メッシュ農業気象データから得た黒大豆の開花期から子実肥大期にあたる8月から10月の間の旬別の平均気温と日射量、「大豆灌水支援システム」が推定した土壌水分を説明変数9)として使用しました。このLASSOを用い構築したモデルによる丹波黒大豆の収量推定値と実測値について解析をした結果、モデルの決定係数(R2)は0.8と高く、標準化された二乗平均平方根誤差(nRMSE)は10%以下であり、高い精度で収量推定が可能であることが確認されました(図3)。
図3. 4つの定点調査地点データに基づく収量(精子実重)の偏差の実測値とLASSOモデルによる推定値との関係
この図は、モデル構築段階での推定精度を確認するためのものです。点線は、推定値=実測値となる線で、この点線に近いほど、LASSOモデルが収量偏差を正確に推定できていることを表しています。モデルの精度は決定係数(R2)で示され、R2は、モデルがデータの変動をどれだけ説明できているかを示す指標です。また、標準化された二乗平均平方根誤差(nRMSE)は推定値が実測値にどれだけ近いかを示す誤差の指標です。
- 10月上旬の土壌水分管理が重要
LASSOモデルの解析では、8月から10月の旬別の気温、日射量、土壌水分など、収量に影響を与える16の説明変数が選ばれました(図4)。これらの中で、LASSOモデルの標準偏回帰係数に基づき、10月上旬の土壌水分が収量に対して他の要因を上回る最も大きな正の影響を持つことが確認されています。さらに、LASSOモデルを用いたシミュレーションにより、10月上旬に灌水を行い、土壌水分をほ場容水量(最大値)に設定した場合、平均で61kg/10aの収量増加が見積もられました。この増収効果は、4つの定点調査地点での平均収量(75~148kg/10a)に対し極めて顕著です。大豆は水分が不足すると、落花や落莢・不稔莢、子実の肥大不良が発生し、収量の減少につながります。丹波篠山市の黒大豆栽培では、現在、開花期(8月)や着莢期(9月)に灌水を行うことが栽培指針とされています。この研究から、子実肥大期の前半に該当する10月上旬の灌水が収量の安定化に寄与する可能性が初めて示されました。これは、従来の灌水スケジュールを見直すための科学的根拠となり、新たな栽培指針につながる成果と位置付けられます。
図4. LASSOによる収量推定モデルにおいて選択された16の説明変数と、それらに付与された標準偏回帰係数
LASSOモデルは、収量に影響を与える主要因として16の説明変数を選択し、それぞれの標準偏回帰係数を算出しました。これにより、各要因が収量に与える正負の影響の強さが示されています。
今後の予定・期待
- 地域データの活用による他産地への展開
本研究では、丹波篠山市の16年間にわたる栽培データを活用し、収量変動要因を解明することで、新たな水管理指針を構築する手法の有効性を確認しました。この成果は、新たな水管理指針を構築するために、他地域でも同様のアプローチが適用可能であることを示唆しています。「大豆灌水支援システム」と、LASSOなどの機械学習を適切に組み合わせることで、各地域の長期にわたる栽培データから収量変動要因を抽出し、その地域特有の水管理指針を効率的に構築することが期待されます。本研究では16年間のデータを活用しましたが、必ずしも同期間のデータが必要なわけではありません。機械学習による解析では、データの幅や質が重要であり、気象や土壌水分、収量の変動を広くカバーしていれば、短期間のデータでも減収要因を抽出できる可能性があります。したがって、各地域において適切なデータ収集と解析を進めることが重要な課題です。農研機構は、今後も地域の栽培データの収集や解析を推進し、農業関係者に適切な水管理指針を提供することを目指しています。また、「大豆灌水支援システム」を活用することで、データの解析や水管理指針構築をより迅速かつ効果的に行うことが可能です。このような取り組みは、乾燥害対策や収量安定化を全国的に推進するとともに、気候変動に対応した持続可能な農業の実現に向けた重要な一歩を踏み出すことが期待されます。
- 丹波黒大豆における新たな灌水スケジュールの普及
丹波篠山市の黒大豆栽培では、子実肥大期の前半に当たる10月上旬の灌水が収量増加に寄与する可能性が示されました。この知見は、従来の灌水スケジュールを見直すための科学的根拠と位置付けられます。今後、この知見が広く普及することで、収量の安定化に寄与することが見込まれます。
用語の解説
発表論文
- 熊谷悦史・湊政徳・高橋智紀 2024 近年の気候変動と土壌水分の変化が丹波黒大豆主要
産地の収量に及ぼした多面的影響分析 日本作物学会紀事 93(4) 278-293
研究担当者の声
農業環境研究部門 気候変動適応策研究領域 上級研究員 熊谷 悦史
生産現場から、近年丹波黒大豆の収量が不安定であるとの相談を受けたことが、今回の研究の出発点でした。現地で収集した長期の栽培データが収量安定化の鍵になると気づき、「大豆灌水支援システム」を活用して分析を進めました。このシステムを用いることで、地域ごとの水管理の指針を提供できる可能性が見え、長期的にデータを蓄積することの重要性を実感しました。現場での調査・観測には多くの苦労がありましたが、特産の丹波黒大豆のおいしさを知り、その安定生産に貢献したいと強く感じました。データ解析の過程では、試行錯誤を重ねながら機械学習手法を用い、収量と環境要因の関係を少しずつ解明できたことに手応えを感じています。この研究成果が丹波黒大豆にとどまらず、他地域の作物の収量の安定化にも役立つことを心から願っています。
丹波黒大豆発祥の地での私