開発の社会的背景
タリウム(Tl)は毒性の高い重金属元素であり、微量であっても生物に深刻な影響を与えることが知られています。鉱山活動や工業排水などに由来して環境中に放出されたタリウムは、土壌や水環境を介して農耕地へ移行し、作物に取り込まれる可能性があります。また、コーデックス委員会3) 食品汚染物質部会(CCCF)においても、タリウムはFAO/WHO合同食品添加物専門家会議(JECFA)による汚染物質評価の優先リストに掲載されており、国際的なリスク評価に向けた情報の収集が進められています。こうした国際動向を背景に、日本においても農林水産省が2024~2025年度にかけて、玄米および葉菜類を対象としたタリウム含有実態調査を実施しており、作物中タリウムに関する科学的知見の充実が求められています。
一方で、植物がどのようにしてタリウムを吸収しているのかについては、これまでほとんど明らかになっておらず、具体的な輸送体や分子レベルの証拠は不明なままでした。
研究の経緯
タリウムは環境中では主に1価(Tl+ )および3価(Tl3+ )のイオンとして存在しますが、土壌中では主に1価のTl+ として存在することが知られています。Tl+ は必須栄養元素であるカリウムイオン(K+ )と化学的特性が類似しており、動物においてはカリウムの輸送や恒常性に影響を及ぼすことが報告されています。
こうした背景から、植物においても1価のタリウムイオンがカリウム輸送体を介して取り込まれる可能性があると考え、本研究では、カリウム欠乏条件下で主要な役割を果たすカリウム輸送体のOsHAK1トランスポーター(以下、OsHAK1)に着目しました。OsHAK1の働きが失われたイネ変異株を用いて、生理学的解析、元素分析、ならびに分子レベルでの機能評価を行った結果、OsHAK1がイネにおけるタリウム吸収の主要な経路であることを明確に示すデータを得ることに成功しました。
研究の内容・意義
イネは、必須栄養素であるカリウムが不足すると、根から効率よくカリウムを取り込むための仕組みを強めます。その中心となるのが、カリウム輸送体の一つであるOsHAK1で、カリウムが少ない条件ほどOsHAK1の働き(遺伝子発現)が高まります。
本研究では、OsHAK1の働きが失われたコシヒカリの変異株を用いて解析しました。水耕栽培でカリウムが十分にある条件では、変異株も野生株(通常のコシヒカリ)と同程度に生育しました。一方、カリウムが少ない条件では、変異株はカリウムを十分に吸収できず、生育が劣りました(図1 )。これは、低カリウム条件でOsHAK1がカリウム吸収に重要な役割を担うことを示しています。
さらに、低カリウム条件では、変異株のタリウムの取り込みが大きく減少しました。具体的には、野生株に比べて、変異株のタリウム濃度は根部で約1/4、茎葉部で約1/10に低下しました(図2 )。この結果は、野生株ではOsHAK1を介してタリウムが根から吸収されるだけでなく、根から茎葉部へ運ばれる過程にもOsHAK1が関与していることを示唆します。
OsHAK1は、これまでセシウムの取り込みに関与することが知られていましたが、本研究でも変異株でセシウムの吸収と茎葉部への移行が著しく抑えられることを確認しました(図2 )。以上の結果から、OsHAK1はカリウムだけでなく、タリウムとセシウムも一緒に取り込んでしまう"共通の入口"として働くことが分かりました。
また、野生株を用いて水耕液中のカリウム濃度を低い状態から高い状態まで変化させて栽培したところ、カリウムが少ない条件ではイネ体内のタリウム濃度が高く、カリウム濃度が上がるにつれてタリウム濃度は低下しました(図3 )。これは、放射性セシウムの作物への移行を抑制する目的でカリウム施用が実際に行われていることと同様に、タリウムについてもカリウムを増やすことで吸収を抑えられる可能性を示しています。
今回の結果から、OsHAK1は特にカリウムが少ない条件で、タリウムとセシウムを取り込む働きを持つこと、また、カリウム濃度を高めることがセシウムに加えてタリウムの吸収抑制にも有効であることが明らかになりました。カリウムがタリウム吸収を抑える直接的な仕組みの解明は今後の課題ですが、カリウム濃度の上昇に伴いOsHAK1の働きが弱まることが報告されており、それがタリウム吸収抑制の一因である可能性があります(図4 )。
図1 野生株(コシヒカリ)と変異株(OsHAK1欠失コシヒカリ)との生育比較
図2 低カリウム条件における野生株と変異株の根部・茎葉部におけるタリウムと
セシウム濃度の比較
図3 カリウム濃度の違いによる野生株の根部・茎葉部タリウム濃度の変化
図4 OsHAK1によるK+ , Tl+ , Cs+ 吸収における分子機構
今後の予定・期待
今後は、OsHAK1の知見を活用し、タリウムや放射性セシウムを吸収しにくい作物の開発に向けた研究を進めます。具体的には、OsHAK1の遺伝子発現の制御や基質特異性を変化させることで、タリウムや放射性セシウムの取り込みを抑えつつ、作物に必要なカリウム吸収を維持できる品種の創出を目指します。
用語の解説
発表論文
Ishikawa S, Hayashi S, Kuramata M, Tanikawa H, Abe T and Ito K (2026) OsHAK1 is a major transporter mediating the uptake of monovalent thallium ions in rice under potassium-deficient conditions.
Plant and Cell Physiology, https://doi.org/10.1093/pcp/pcag026