プレスリリース
世界ではじめてマダニの体内における病原体媒介の仕組みを解明

- マダニが教えてくれたマダニ媒介病原体の謎 -

情報公開日:2008年7月18日 (金曜日)

独立行政法人 農業・食品産業技術総合研究機構 動物衛生研究所
国立大学法人 鹿児島大学
独立行政法人 農業・食品産業技術総合研究機構 生物系特定産業技術研究センター

独立行政法人 農業・食品産業技術総合研究機構(略称:農研機構)動物衛生研究所は鹿児島大学と共同で、マダニの腸で作られる蛋白分解酵素の一種「ロンギパイン」が、マダニが媒介する病原体の増殖を抑制していることを明らかにしました。マダニは、ウシ、ウマやイヌなどの動物にバベシア症(ヒトのマラリアに似た疾患)の病原体を媒介します。マダニの体内における病原体媒介の仕組みを、分子レベルで解明したのは世界で初めてです。マダニが持っている病原体制御機構を利用して、マダニが媒介する感染症に対する新たな防除法の確立が期待できます。

本研究では、「ロンギパイン」が蛋白分解酵素の役割を果たしていることを突き止め、実験により「ロンギパイン」が病気の原因となるバベシア原虫を死滅させることを確認しました。さらに「ロンギパイン」を作り出せないマダニを遺伝子操作で作出し、感染したイヌに付着、吸血させ、バベシア原虫がこのマダニ内で増加していることを確認しました。

バベシア症のような人類を脅かす感染症の多くは、ダニや昆虫などの吸血性の節足動物が病気の原因となる生物を媒介することで広がっていきます。本成果により、長い間謎とされてきたマダニの媒介する病原体による動物の感染症の伝搬の一つを明らかにしました。

今回の研究は、農研機構生物系特定産業技術研究支援センター「新技術・新分野創出のための基礎研究推進事業」のうち、「マダニの生存戦略と原虫媒介のInterfaceに関する分子基盤の解明」で実施されたもので、成果は2008年5月16日にオープンアクセス誌「PLoS Pathogens」に発表されました。

Naotoshi Tsuji, Takeharu Miyoshi, Kozo Fujisaki et al. A Cysteine Protease Is Critical for Babesia spp. Transmission in Haemaphysalis Ticks. PLoS Pathog. 2008 May; 4(5): e1000062. Published online 2008 May 16. doi: 10.1371/journal.ppat.1000062.


詳細情報

1.ベクターとしてのマダニ

 我が国に広く生息しているフタトゲチマダニと呼ばれるマダニは、ウシ、ウマやイヌなどの動物にバベシア症1)を媒介するベクターとして知られています。バベシア症はバベシア原虫2)によって発症するマラリアによく似た疾病で、マダニが動物の血を吸うことによって媒介されます(図1)。現在のところは有効な治療薬がなく、発症した動物の治療には非常に苦慮している状況です。

そこで、病気の原因であるバベシア原虫が、媒介ベクターであるフタトゲチマダニの体内でどのようにして伝搬されていくのかを分子レベルで明らかにすれば、マダニが作り出す物質に基づいた、新規バベシア症治療薬の開発の可能性が見えてくるのでないかと考えました。
図 1 動物とマダニとバベシア原虫の関係
図 1 動物とマダニとバベシア原虫の関係

2.ロンギパインの機能解明

マダニ吸血様式のメカニズムを解明したところ、動物から吸血したヘモグロビンを栄養源として分解する際に、マダニの中腸に存在するロンギパイン3)という酵素が、蛋白分解酵素の役目を果たしていることがわかりました。
病気の原因となるバベシア原虫は動物の赤血球の中に寄生しています。動物に付いたマダニが吸血すると、赤血球はマダニの中腸内腔4)に取り込まれて消化され(図2)、このときバベシア原虫が中腸上皮細胞5)を突破してマダニの体内に入ります。

図2 吸血中のマダニ模式図
図2 吸血中のマダニ模式図

そこで、人工的に培養したバベシア原虫を利用し、マダニの中腸にある蛋白分解酵素であるロンギパイン(図3)を培地に加えてバベシア原虫への影響を調べました。その結果、ロンギパインを添加した培地では、バベシア原虫が死滅していく様子が観察され、ロンギパインの抗バベシア原虫活性が確認されました(図4)。また、ロンギパインはバベシア原虫表層のみに結合して、バベシア原虫を死滅させるのであって、赤血球に対しては全く影響がないことが確認されました。

図3 マダニ中腸の拡大図と中腸上皮細胞で作られるロンギパイン
図3 マダニ中腸の拡大図と中腸上皮細胞で作られるロンギパイン

図4 ロンギパインがバベシア原虫表層に結合し、原虫が死滅していく様子
図4 ロンギパインがバベシア原虫表層に結合し、原虫が死滅していく様子

上記の実験で確認されたロンギパインの機能が自然界でも発揮されているのかを検証するため、遺伝子操作によってロンギパインを作り出せないフタトゲチマダニを作出し、バベシア原虫に感染したイヌに付着、吸血させてみました。

その結果、ロンギパインの発現が抑制されたマダニの中腸では、吸血が阻害されると同時に生存しているバベシア原虫が明らかに増加していることが確認されました(図5)。

図 5 マダニにおけるバベシア原虫伝搬の様子
図 5 マダニにおけるバベシア原虫伝搬の様子
上部:吸血後6日目のフタトゲチマダニ、ノックダウンマダニ(左)と無処置マダニ(右).
下部:蛍光染色で可視化した中腸の様子、緑色がバベシア原虫を示す(矢印)。青色は上皮細胞の核。

私たちは、マダニがどのようにバベシア原虫を伝搬できるようになったのか、この謎を解くカギの一つとして、マダニ自身がうまく生き延びてきた過程で獲得・改変してきた遺伝子産物6)があると考えています。本研究成果は、ベクターが保有する巧妙な生物機能をうまく利用すれば、これまでとは全く違った視点からマダニ媒介感染症に有効な画期的な制御手段が誕生するという可能性を示しています。

【用語解説】

  • バベシア症
    ヒトのマラリアに似た疾患で、赤血球に寄生したバベシア原虫によって引き起こされる貧血を主たる症状とする感染症。バベシア原虫はマダニの吸血を介して動物に伝搬され、家畜・愛玩動物を問わず、世界的に最も重要なマダニ媒介性感染症である。最近ではヒトのバベシア症も報告され人獣共通感染症にもなっている。
  • バベシア原虫
    バベシア症を引き起こす病原体
  • ロンギパイン
    日本国内に広く生息するフタトゲチマダニの中腸から分離した蛋白分解酵素
  • 中腸内腔
    ヒトや動物での腸に相当する。内側で吸った血液を貯めこむところ
  • 中腸上皮細胞
    中腸の内腔を覆っている細胞
  • 遺伝子産物
    遺伝子が作り出すタンパク質の総称