開発の社会的背景
H5N1亜型の鳥インフルエンザウイルスがヒトインフルエンザウイルスとの再集合によって変異し、強い毒性をもつインフルエンザウイルスの出現も危惧されている。厚生労働省の推計では、1918年に発生したスペインかぜのような、重度のパンデミック(世界流行)が起こった場合には、わが国の死亡者数は64万人にも達するとされている。鳥インフルエンザのヒトへの感染を阻止するためには養鶏場等での鳥インフルエンザの発生をいち早く発見することが重要であり、食の安全確保の観点からも早期発見技術が求められている。
研究の経緯
産総研では小型無線センサー端末や受信・データ解析システムの開発を進め、動衛研ではこのシステムを用いた感染動物実験を実施し、鳥インフルエンザ感染鶏の病態変化やウイルス伝播機構の解明を進めてきた。これらをもとに、鳥インフルエンザ感染の疑いを早い段階で検知できる早期発見プログラムなどを開発し、茨城県畜産センターの実験鶏舎において「鶏健康モニタリングシステム」を構築して、実用化に向けた実験を進めてきた。
なお、本開発成果は平成18年10月より開始したJST CRESTの研究領域「先進的統合センシング技術」(研究総括:板生 清、東京理科大学専門職大学院 総合科学技術経営研究科 教授)における研究課題「安全・安心のためのアニマルウォッチセンサの開発」の一環として得られたものである。
研究の内容
鶏の装着負担をできるだけ低減するため、外形1円玉サイズ、本体重量3 g以下(電池重量込み)の無線センサー端末を開発した。このセンサー端末を翼章型にすることにより、鶏へ容易に装着することができる。この端末は、体温測定用の温度センサー、活動量モニタリング用の加速度センサーに加えて、無線モジュールを搭載しており、一定時間間隔(自由に設定可能)で体温や加速度データの取得・送信を行うことができる。これによって鶏の体温パターンと活動量のパターンを常時監視でき、データベースを参照することで、インフルエンザ感染などを発見することができる。
この無線センサー端末を用いた感染実験から以下の成果が得られた。
鳥インフルエンザウイルスは、鶏の致死率が75 %以上の高病原性ウイルスと、それ以下の低病原性ウイルスに大別される。この判定には、ウイルスを接種した鶏を1日2回観察する方法が採用されているが、この方法ではウイルスの病原性の違いを正確に表現することは難しい。特に、1996年以降、アジアを中心に感染が続いているH5N1亜型の高病原性ウイルスは、従来型の高病原性ウイルスよりも鶏病原性が極めて高いが、その違いは明確にされないままであった。2004年の分離株であるA/chicken/Yamaguchi/7/2004(H5N1)(以下CkYM7という)、2007年の分離株であるA/chicken/Miyazaki/K11/2007(H5N1) (以下CkMZ11という)、従来型の高病原性ウイルスであるA/duck/Yokohama/aq10/2004(H5N1)(以下DkYK10という)のそれぞれに感染した鶏に今回開発した無線センサー端末を装着して、得られたデータからウイルスの病原性を比較した。CkYM7の平均死亡時間は34時間であるのに対して、CkMZ11では57時間、DkYK10では87時間であった。また、CkYM7では発熱(約0.6度)がほとんど見られなかったが、CkMZ11では微熱(約1.4度)、DkYK10では高熱(約2.5度)が2日間続くことが観測された。このように、無線センサーを用いることで、高病原性ウイルスの鶏病原性の違いを明確に識別できた。また、これらの違いが鶏体内におけるウイルス増殖の違いによることや、感染した鶏の自然免疫機構が破綻していることもわかった。
鳥インフルエンザウイルスの鶏間での伝播機構を知ることは、効果的な防除法の確立に必要である。しかし、ウイルスの伝播性はウイルスの病原性以外にも、環境の温度と湿度、鶏舎の構造、換気の有無、鶏の種類、日齢、飼育密度などによって影響されるため、伝播性を決定するウイルスの要因はあいまいとされていた。感染すれば鶏が死ぬ高病原性鳥インフルエンザウイルスと、鶏の死亡を容易に検出できる無線センサーを用いて、3株のウイルスの鶏伝播性とウイルス排泄の関係について調べたところ、病原性が高いウイルスほど伝播し易く、伝播速度も速いことがわかった。また、病原性が高いウイルスほど、大量のウイルスが短期間に排泄されていた。これらのことから、鶏伝播性はウイルス排泄量と相関すると考えられる。これまで、感染後短期間で鶏を死亡させるウイルスは、ウイルスの排泄前に鶏が死亡するため伝播し難いと考えられてきたが、今回の実験結果からは、鶏伝播性は病原性やウイルス排泄量と相関することがわかった。
これらの実験結果をもとに、鶏の体温パターンと活動量パターンから鳥インフルエンザ感染を判別するプログラムを開発し、自動的に従来より早期に感染の疑いが発見できるようになった。

今後の予定
茨城県畜産センターの実験鶏舎内に今回開発した無線ネットワークシステムを設置し、夏季の暑熱ストレスをモニタリングできる養鶏場の健康管理システムの開発に取り組んでいる。
実用化に向けて、機能の最適化、デバイスの低消費電力化などにより、無線センサー端末の小型化・低コスト化を進めるとともに、耐久性・安定性の向上をはかる。また生産性向上に向けた応用システムの開発を行う。
JST CREST「安全・安心のためのアニマルウォッチセンサの開発」研究終了時(終了予定2011年9月)には、重量1 g程度の翼帯型無線センサー端末を実現する予定である。
用語の説明
無線センサー端末
無線センサーノードとも呼ばれる。一般的には、1つまたは複数のセンサー素子(温度センサーや加速度センサーがよく用いられる)、受信機(親機)との間の送受信を行う通信素子、センサーで検出した信号を処理するとともに送受信の制御を行うマイコンおよびそれらの素子に必要な他の回路素子とで構成される。
今回の開発では、さらに電源(電池)を備えていて読み取り機(受信機)を近づけなくても通信が可能なアクティブ型の無線センサー端末を用いている。鶏に装着するためには、機能の最適化や低消費電力化による小型化が必要であるが、開発した端末は電池込みの重量が3 g以下という小型軽量型端末であるため、翼章(鶏の翼の付け根に取り付ける札のようなもの)や翼帯(鶏の翼の付け根に取り付けるアルミなどでできたバンド)に搭載できる。
H5N1亜型の鳥インフルエンザウイルス
1996年中国広東省で最初に発見されて以来、アジアを中心に鶏、アヒルの農場で感染が続いている高病原性ウイルスで、ハクチョウ・カモ等の野鳥の感染も広告されている。このウイルスに感染した鳥類と重度に接触したヒトが感染するケースがあり、2009年8月末現在、世界で262名の死者が報告されている(WHO:世界保健機関)。国内では2004年、2007年に養鶏場での発生があり、2008年には野生のハクチョウからもこのウイルスが確認されている。
自然免疫機構
自然免疫は、鶏が病原体に感染してまもなく誘導される生体防御機構の1つで、抗体等の特異的免疫を獲得するまでの間、病原体を排除するための非特異的な免疫である。マクロファージ細胞や血管内皮細胞から産生されるインターフェロンや各種サイトカインの働きによるところが大きい。