プレスリリース
(研究成果) 世界初、ゲノム情報から短時間で細菌ワクチンを設計する新手法を確立

- 生ワクチン開発の時間とコスト削減に期待 -

情報公開日:2022年12月13日 (火曜日)

ポイント

農研機構は、豚丹毒菌1)をモデルとして、ゲノム情報から病原性に関与する遺伝子を推定し、それらの除去により細菌を人為的に弱毒化させることで、短期間で合理的に生ワクチン2)を設計する方法を世界で初めて確立しました。本成果により、これまで多大なコストと時間がかかっていた細菌の生ワクチン開発が省力化されることが期待されます。

概要

感染症の予防には飼養衛生管理を徹底した上で有効なワクチンを使用することが最も効果的ですが、新しいワクチンの開発には莫大なコストと時間がかかります。特に家畜や家きんで使用する生ワクチンのほとんどは、自然宿主と異なる動物種や細胞、あるいは、DNAの配列や構造に変化をひき起こす物質の存在下で病原体の培養・継代を重ねることでゲノム3)上にランダムな変異が起こり弱毒化されています。このため、多くの場合これらの生ワクチンにおける弱毒化機構は不明であり、一部の生ワクチンでは病原性が復帰して強毒化のリスクがあるなど安全性の面において問題が指摘されています。

細菌の場合、安全性と有効性の両方を備えた生ワクチンを開発するには、その第一段階として、病原体のゲノム上に存在する極めて多くの遺伝子及びそれらの発現調節機構を解析した上で病原遺伝子を同定し、それらを除去、あるいは変異を導入するなどして理論的に弱毒化させる必要があります。しかし、病原遺伝子の同定には多大な労力と時間を要するため、優れた生ワクチンを短期間で作製することは極めて困難です。

農研機構は、豚丹毒菌をモデルとして、本菌のゲノム情報からアミノ酸合成に関わる遺伝子のみを選び出し、その中から本菌がマウスの免疫細胞(マクロファージ4))に感染する際に発現が増強される遺伝子を同定後、その遺伝子を本菌のゲノム上から除去する手法により弱毒化させたワクチン候補株を作製することに世界で初めて成功しました。この手法は、「ゲノム収縮5)」という遺伝学的形質を示す菌で特に有効であり、多くの細菌において病原遺伝子の同定が可能になることが期待されます。

関連情報

予算:運営費交付金、農林水産省「安全な農畜水産物安定供給のための包括的レギュラトリーサイエンス研究推進委託事業のうち短期課題解決型研究、いのしし用国産CSF経口ワクチンの開発」
特許 第6993693号 豚丹毒菌プロリン合成関連遺伝子欠損株とその利用

問い合わせ先など
研究推進責任者 :
農研機構動物衛生研究部門 所長勝田 賢
研究担当者 :
同 動物感染症研究領域 研究員西川 明芳、領域長下地 善弘
広報担当者 :
同 研究推進部 上級研究員山田 学

詳細情報

開発の社会的背景

薬剤耐性菌の出現が社会的問題となる中、感染症予防のためワクチン開発の重要性が一段と高まっています。畜産分野で用いられるワクチンは、安全性や有効性に加えて経済性が大きく求められます。また、近年では、畜産動物の飼育においても動物福祉の観点から、動物にストレスを与えないワクチンの接種方法が求められるようになっており、さらに、畜産の大規模化が進んでいる状況においては、飲水による経口投与などワクチン接種の省力化も重要なポイントとなっています。一方、こういったワクチンの開発には多大な時間とコストがかかることから、畜産現場で使用しやすい生ワクチンを短期間かつ経済的に開発する手法が求められていました。

研究の経緯

これまで農研機構では、豚丹毒菌の弱毒株を用いた経口投与型ベクターワクチン6)の開発に取り組んできました。ベクターワクチンは、安全で免疫誘導効果の高い弱毒株を作製し利用する必要がありますが、豚丹毒菌のゲノム上にある1,700個以上の遺伝子の中から、病原性に関与する遺伝子を同定することは極めて困難でした。

豚丹毒菌をはじめとする細胞内寄生菌7)の多くは、生存に必要な栄養素を感染細胞に依存しており、そのために不必要となった栄養素合成に関わる多くの遺伝子が進化の過程でゲノム上から脱落する「ゲノム収縮」が起こっています。本研究では、豚丹毒菌のゲノム上に脱落せずに保存されている栄養素合成に関わる遺伝子は、この菌の感染に特に重要な「病原遺伝子」であるという仮説を立て実験を開始しました(図1A)。

研究の内容・意義

ゲノム解析の結果から、豚丹毒菌は7種のアミノ酸を合成できる一方、その他のアミノ酸は感染細胞に依存していることが判明しました。そこで、豚丹毒菌のゲノム上に保存されているすべてのアミノ酸合成に関わる合計14個の遺伝子について、本菌とマウスマクロファージを共培養した時に それらの遺伝子が働いているかどうか、すなわち発現しているかどうかを解析しました。その結果、解析した14個のうち、7個の遺伝子が活発に発現していることが確認されました(図1B)。これら7個の遺伝子を「病原遺伝子」の候補としましたが、遺伝子操作によりゲノム上から遺伝子を除去することができたのはプロリン合成に関わる3個の遺伝子(proA, proB, proC)のみであり、残り11個の遺伝子は豚丹毒菌の生存に必須な遺伝子であることが予想されました。プロリン合成に関わる3遺伝子について、それぞれの遺伝子欠損株(ΔproA, ΔproB 又は ΔproC)、proA 及び proB の2遺伝子欠損株(ΔproBA)、proA, proB 及び proC の3遺伝子欠損株(ΔproBAC)の合計5株の遺伝子欠損株を作製し(図1C)、マウスマクロファージを用いて菌の増殖能を確認したところ、いずれも増殖能の低下が認められ、弱毒化していることが判明しました(図2a2b)。また、これらの遺伝子欠損株を免疫したマウスは強毒株の攻撃に対して完全な防御を示すことが確認されました。さらに、ミルクと混合したΔproBAC を経口投与した豚においても、完全な防御が誘導されることも判明しました(表1)。

豚丹毒菌で見られるゲノム収縮は、マイコプラズマをはじめ、ライム病菌、リケッチア、クラミジア、バルトネラなどの病原体でも認められ、また、連鎖球菌やクロストリジウム属菌でもアミノ酸合成に関わる多くの遺伝子が欠損していることが確認されています。ゲノム情報から栄養素の合成に関わる遺伝子のみに着目して病原遺伝子を検索する手法は、これら病原細菌の生ワクチン開発にも応用可能であると考えられます。

今後の予定・期待

今回の技術により開発した生ワクチン候補株は既存の生ワクチンと異なり弱毒化機構が明白であり、病原性が復帰して強毒化する可能性は極めて低いため、本ワクチン候補株の実用化が期待されます。また、これらの株に異種病原体の遺伝子を発現させることにより、豚丹毒とそれ以外の病気を同時に予防できるベクターワクチンとしての利用を検討しています。

用語の解説

豚丹毒菌
豚をはじめとする哺乳類や鳥類など多くの動物種に感染する人獣共通感染症の病原体。豚及びイノシシでは敗血症や関節炎、心内膜炎等の症状を引き起こす。豚とイノシシの豚丹毒は届出伝染病に指定されてり、毎年2,000頭前後の発生が確認されている。[ポイントへ戻る]
生ワクチン
感染するが病気を起こさない弱毒化した細菌やウイルスを用いたワクチン。[ポイントへ戻る]
ゲノム
生物のもつ遺伝子(遺伝情報)の全体を指す言葉。細菌では染色体とプラスミドが含まれる。[概要へ戻る]
マクロファージ
白血球の一種。病原体を貪食・殺菌することができる免疫細胞。[概要へ戻る]
ゲノム収縮
進化の過程で不必要な遺伝子をゲノム上から脱落させてゲノムサイズが縮小している様子。退行的進化の一つであり、細胞内寄生菌の多くはこの形質を示すことが知られる。[概要へ戻る]
ベクターワクチン
弱毒化した病原体に、目的の抗原タンパク質をコードする遺伝子を組み込んだ組換えワクチン。[研究の経緯へ戻る]
細胞内寄生菌
マクロファージ等の食細胞内に寄生し増殖する細菌。[研究の経緯へ戻る]

発表論文

Microbiology Spectrum, 2022, https://doi.org/10.1128/spectrum.03776-22

参考図

図1 豚丹毒菌の病原遺伝子同定までのフロー図
A:ゲノム中の栄養素合成に関わる遺伝子(ここではアミノ酸合成遺伝子のみ)に着目。
B:マウスマクロファージ感染6時間後におけるアミノ酸合成遺伝子の発現解析。
↓(赤矢印)で示した7個の遺伝子の発現増強が確認された。
C:プロリン合成に関わる3遺伝子を欠損。
図2a マウスマクロファージに感染させた豚丹毒菌の増殖
3遺伝子(proA, proB, proC)のいずれかが欠損した豚丹毒菌はマウスマクロファージ細胞内での増殖率が低下し弱毒化していることがわかる。
図2b マウスマクロファージに豚丹毒菌を感染させた16時間後の菌の増殖像。蛍光染色をして顕微鏡下で撮影した。
親株では赤く染まった菌体が細胞内外で多く観察される(写真A)。一方、プロリン合成遺伝子を欠損させた株では親株に比較して菌が少ない(写真B-F)。
赤: 豚丹毒菌の菌体。  青:マクロファージ細胞核。  緑:細胞骨格。
表1 ΔproBAC 株の経口投与によるワクチン効果判定試験