プレスリリース
(研究成果) ガラス化保存法の改良によりブタ卵子の発生率が従来の2倍以上に!

- ブタ遺伝資源の安定的な保存を可能に -

情報公開日:2024年7月19日 (金曜日)

ポイント

農研機構では、これまでに超急速冷却によるブタ卵子のガラス化保存法(高濃度の凍結保護剤を用いたガラス化液に浸して冷却することで保存する手法)を確立しています。今回、この保存法で用いるガラス化液の組成を改良することにより、従来法と比較してブタ未成熟卵の発生率を2倍以上に高めることに成功しました。本成果は、安定的なブタの遺伝資源保全に役立ちます。

概要

現在の養豚では高度に品種改良が行われ、肉生産量や成長性に優れた品種(ランドレース種、デュロック種等)が広く利用されています。一方で、国や地域の文化や風土に育まれた在来品種(沖縄アグー豚、スペインのイベリコ種、ベトナムのバン種等)の豚は、その希少性や肉の特色などから、遺伝資源としてだけでなく産業利用の面からも注目されています。しかし、特に発展途上国などでは経済発展に伴う飼育環境の変化によりそれらの在来品種を飼育し続けることが困難になり、維持できなくなるケースが見受けられ、ブタ遺伝資源の喪失が加速しています。また、豚熱などの感染症によりこれらのブタ遺伝資源が壊滅的な打撃を受ける可能性もあります。貴重な優良形質を持つブタ遺伝資源の喪失を防ぐには、それらの形質を持つ個体を飼育し続けるだけでなく、個体の生産を可能にする精子や卵子などを安定的に保管、提供できるようにする必要があります。このため、精子や卵子を超低温で保存し、適宜それらを融解・加温して次世代の生産に使用する技術が開発されています。これまでの技術では、凍結時に細胞の内外に生じる氷の結晶による傷害や、保存剤に含まれる化学物質が原因と思われる凍結融解後の胚の発生不良等が問題となっていました。そこで、胚や卵子の細胞内液を脱水・濃縮するとともに凍結保護剤に置き換え、すぐに液体窒素中で冷却することで細胞内外に氷の結晶を作らずにそのまま超低温保存する方法、すなわち「ガラス化保存法1)」に期待が集まっています。しかしながら、ブタでは受精卵以外の卵子、特に未熟な卵子のガラス化保存法による子豚の生産効率は低く、ブタ遺伝資源の保存手法への活用の観点から改善が必要な状況でした。

農研機構では、これまでにガラス化保存法で冷却し超低温保存したブタの体外受精卵(2009年)及び未成熟卵(2014年)からの産子の生産に世界で初めて成功しています(2014年6月16日プレスリリース「世界初、ガラス化保存未成熟卵子から子ブタを生産」)。今回、農研機構ではブタ卵子のガラス化保存の効率向上と実用化に向けて、氷の結晶の形成防止のために加える化学物質の量を低減するなどガラス化液の組成を改良し、ガラス化した卵子の胚発生率を大幅に向上させる手法を考案しました。未成熟卵のガラス化保存後の生存率はこれまで30%程度でしたが、今回の改良により80%以上に改善しました。また、実際の希少在来品種であるベトナム産のバン種の未成熟卵についても、本ガラス化法の有効性を確認しました。

本手法を用いることで、クライオバンク(凍結バンク)を活用したブタ遺伝資源の安定的な保全が可能になると期待されます(図1)。

図1 : ブタ卵子のガラス化保存法による遺伝資源保存
ガラス化保存液の改良により、特に未成熟卵の超低温保存後の生存率を大幅に向上させることに成功しました。改良されたガラス化保存法の普及により、蔓延する感染症から貴重な遺伝資源を守ることが可能になります。

関連情報

予算:科研費(JP21K05912)、SATREPS(JPMJSA1404)

問い合わせ先
研究推進責任者 :
農研機構 生物機能利用研究部門 所長立石 剣
研究担当者 :
同 生物素材開発研究領域 上級研究員Somfai Tamas (ソムファイ タマス)
広報担当者 :
同 研究推進室遠藤 真咲

詳細情報

開発の社会的背景

優良な形質を持つ家畜を安定供給するためには、それらの優良形質を持つ個体やその生殖細胞を安定的に保管、提供できるようにする必要があります。また、国や地域の文化や風土に育まれた多数の貴重な在来品種、例えば、国内では沖縄アグー豚(図2左)、海外においてはスペインのイベリコ種(図2中)、ハンガリーのマンガリッツア種(図2右)、ベトナムのバン種(図3)等が存在しますが、特に発展途上国などでは経済発展に伴う飼育環境の変化によりその数が減少してきており、これらを遺伝資源として保全することが望まれています。

このため、家畜においては、生殖細胞(父親の精子や母親の卵子といった次の世代をつくるための細胞)を保存しています。通常生殖細胞の保存は超低温下で行いますが、凍らせる過程で細胞内外に形成される氷の結晶が細胞を傷つけるため、卵子や受精卵の融解後の生存率は高くありません。それを回避するため、ウシでは時間をかけて受精卵(胚)の温度を下げる緩慢凍結法が開発され普及していますが、ブタの卵子や受精卵ではこの方法での生存率向上効果はみられず、保存卵子からの子豚の生産は困難でした。

一方、ガラス化保存法とは受精卵等を高濃度の凍結保護剤を用いたガラス化液中に浸して冷却する超低温保存方法で、従来の凍結法に比べ、氷の結晶が形成されにくいため細胞を傷つけることが少なく、加温後の生存性が高いとされて、ブタの卵子保存技術として期待されています。しかしながら、ブタでは受精卵以外の卵子、特に未熟な卵子のガラス化保存法による子豚の生産効率は低く、ブタ遺伝資源の保存手法への活用の観点から改善が必要な状況でした。

図2 : 世界の在来豚品種の例

研究の経緯

農研機構ではこれまでに、ガラス化保存法で冷却し超低温保存したブタの体外受精卵(2009年)及び未成熟卵(2014年)から産子の生産に世界で初めて成功しています(2014年6月16日プレスリリース「世界初、ガラス化保存未成熟卵子から子ブタを生産」)。未成熟卵とはその名の通り受精可能な段階に至っていない未熟卵のことで、メスの卵巣の中にある卵胞の中に存在し、性ホルモンの刺激を受けて順次成熟をはじめます。また、体外に取り出し培養により成熟させ、受精させることも可能です。

しかし、ガラス化保存した未成熟卵を成熟、受精させて子豚が生まれてくる確率は低く、またガラス化操作に伴う、胚や個体発生への予期せぬ影響についても未だ明らかになっていませんでした。さらに、効率的なブタ卵子の保存法を確立し、クライオバンク2)で保存するという実用化の課題も残されていました。そこで、ブタ卵子のガラス化保存の効率向上と実用化を目指して、次の1~3の研究を進めました。

研究の内容・意義

胚発生効率の向上に関する研究
ブタの卵子はガラス化保存等による低温保存時の発生能の低下が著しく、産子を得る効率の向上が課題となっています。ガラス化保存を行ったブタの未成熟卵を実験室内で(もしくはシャーレの中で)成熟させ、その卵子を雄豚の精子とシャーレの中で受精させました。すると、ガラス化保存した未成熟卵を受精させた受精卵では、発生初期の卵割(卵子が細胞分裂して増えること)の能力がガラス化保存しない卵子から作製した受精卵と比較して低下していることが分かりました。この違いは卵子のDNA損傷の程度と関連していると考えられました。
ガラス化液の改良
卵子や胚のガラス化保存では、超低温にした際、細胞内外に氷の結晶ができることを防ぐために特殊な液体(ガラス化液)に浸す前処理を行います。しかし、そのガラス化液の成分が卵子の受精後の発生に悪影響を与えることや、ガラス化液の成分として必要な生体由来の物質を介したウイルス等の様々な病原体感染の可能性も指摘されていました。
そこで、氷の結晶の形成防止のためにガラス化液に添加する化学物質(エチレングリコール・プロピレングリコール)の濃度をこれまでのものより低下(15%→4%)させることで、ブタでは30%以下だった未成熟卵のガラス化保存後の生存率を、80%以上に向上させることに成功しました。
また、これまでのガラス化液から生体由来のタンパク質を除去し、代わりに、欧米では食品添加物としても使用されるポリビニルピロリドンという化学物質を利用することで、安全性の向上とコスト低減の両方を実現しました。
社会実装に向けて
国内外にはその風土に適した在来品種のブタが数多く存在しますが、近年その数が減少してきており、保全への対策が求められています。そこで、今回ブタで確立したガラス化保存技術の活用が期待されています。
日本とベトナムのグループの協力により実施したJST/JICAのSATREPSプロジェクト(2014~2020年)では、絶滅の危機に瀕したベトナム在来豚品種、バン種の保存に体外胚生産 3)・ガラス化技術を適用し、貴重な遺伝資源の保全に貢献することができました(図3)。
さらに、国内では沖縄アグー豚の遺伝資源の保全に関して、未成熟卵や受精卵ガラス化保存を試みており、これまでに体外生産胚の移植により産子作製に成功しています。
図3 : ベトナム在来豚とその体外生産胚
左 : 絶滅の危機に瀕したベトナム在来のブタ品種の一種(バン種)。ベトナムの暑熱に順応しており小規模農家での飼育に適していますが、国の経済発展に伴って、その数が激減しています。全世界で一般的に流通している商用品種の豚に比べて、体が小さい、お腹が出ているなどといった特徴があり、その豚肉は郷土料理の材料として好まれています。
右 : ベトナム在来豚の卵子をガラス化保存し、再度それを実験室内で培養して胚にまで成長させた卵子。図の矢印は、胚盤胞(子宮内で着床できる直前の状態にまで発生した胚)を示しています。

これらの手法をまとめ、2021年に発表したプロトコールは、現在国内外で利用され、在来豚の保全に役立っています。また、本成果を踏まえて、さらなる系の改良に努めていきます。

これらの成果と社会実装が評価され、ソムファイ タマス上級研究員が「2023年度日本畜産学会賞」を受賞しました。(https://jsas-org.jp/about/winners/1034.html)

今後の予定・期待

生体飼育で遺伝資源を維持するのに比べ、卵子のガラス化保存を行うことで、保管や輸送に要する労力ならびに費用の削減が可能になることが期待されます。また、臨床研究や分子生物学研究におけるガラス化保存卵子の活用も期待されます。

ブタの卵子のガラス化保存法については学術論文として公開し、国際的に広く使われており、遺伝資源の保全の現場に貢献しています。今回の成果により、ブタ卵子をさらに効率よくガラス化保存することが可能となったことから、現在日本で発生している豚熱やアジアやヨーロッパで発生しているアフリカ豚熱などの重篤な伝染病の脅威から、ブタ遺伝資源を保全することが可能になると期待されます。

用語の解説

ガラス化保存法
液体から超急速に温度を下げると、氷の結晶を作らずに、見た目はガラスのように透明の固体となります。この状態の変化をガラス化といいます。ガラス化保存法とは、胚や卵子の細胞内液を脱水・濃縮するとともに凍結保護剤に置き換え、すぐに液体窒素中で冷却することで細胞内外に氷の結晶を作らずにそのまま超低温保存する方法です。凍結による胚の傷害は、主に細胞内の氷の結晶形成によるものと、凍結保護剤による細胞毒性がありますが、ガラス化することで、前者のダメージを大幅に減らすことができるようになりました。[概要に戻る]
クライオバンク
別の呼び方では、凍結バンクともいいます。遺伝子(ジーン)バンク形態の一つで、生息域外(ex situ)保存や体外(in vitro)保存により実施される主たる方法です。精子、卵子、受精卵や初期胚といった生殖質細胞を、一般的には液体窒素中やその蒸気中で超低温(-196~-160°C)保存し、融解・加温等必要な行程を経て個体発生等へ供します。[研究の経緯に戻る]
体外胚生産
食肉用に処理(と畜)したブタや、肥育過程で事故等により死んでしまった(へい死)雌ブタの卵巣から未成熟卵を取り出し、体外で培養すると受精・発生能をもつ成熟卵子が得られます。これらはブタ生体内で成熟した卵子(排卵卵子)と区別して体外成熟卵と呼ばれます。この体外成熟卵を精子と共培養する、すなわち体外受精をすることで受精卵(体外受精卵)を作製することが可能となります。得られた受精卵を体外で培養すると胚盤胞という発生段階に発生させることが可能です。この体外成熟・受精・培養により胚を作製することを体外胚生産といい、得られた胚は体外生産胚と呼ばれます。ブタでは、受精卵を体外で培養することにより約6~7日後に胚盤胞にすることが可能であり、これらの胚を適切な発生の段階でレシピエント(受胚動物)に移植することで着床し、妊娠・分娩の効率化や産子数の増大が期待できます。[研究の内容・意義に戻る]

発表論文

  • Tamás Somfai, Van Khanh Nguyen, Huong Thu Thi Vu, Huong Le Thi Nguyen, Huu Xuan Quan, Nguyen Viet Linh, Son Le Phan, Lan Doan Pham, Ngo Thi Kim Cuc, Kazuhiro Kikuchi (2019) Cryopreservation of immature oocytes of the indigeneous Vietnamese Ban Pig. Animal Science Journal 90, 840-848.
    https://doi.org/10.1111/asj.13209
  • Tamás Somfai, Kazuhiro Kikuchi. (2021) Vitrification of Porcine Oocytes and Zygotes in Microdrops on a Solid Metal Surface or Liquid Nitrogen. Methods in Molecular Biology 2180, 455-468.
    https://doi.org/10.1007/978-1-0716-0783-1_21
  • Tamás Somfai, Thanh Quang Dang-Nguyen, Kazuhiro Kikuchi. (2022) Altered microfilament dynamics contribute to the formation of diploid metaphase spindles in porcine oocytes which fail to reach the metaphase-II stage during in vitro maturation. Animal Science Journal 93, e13690.
    https://doi.org/10.1111/asj.13690
  • Hiep Thi Nguyen, Tamás Somfai, Yuji Hirao, Thanh Quang Dang-Nguyen, Nguyen Viet Linh, Bui Xuan Nguyen, Nhung Thi Nguyen, Hong Thi Nguyen, Van Hanh Nguyen, Hiroyuki Kaneko, Mitsuhiro Takagi, Kazuhiro Kikuchi. (2022) Dibutyryl-cAMP and roscovitine differently affect premature meiotic resumption and embryo development of vitrified immature porcine oocytes. Animal Science Journal 93, e13795.
    https://doi.org/10.1111/asj.13795