プレスリリース
(研究成果) トレハロース輸送体がネムリユスリカ由来培養細胞の乾燥からの生命活動再開の鍵であることを発見

- 役立つ物質であっても、不要になったらサッサと捨てる -

情報公開日:2024年8月 6日 (火曜日)

農研機
茨城大
東京大学大学院新領域創成科学研究科
東京医科歯科大学

ポイント

乾燥しても死なない昆虫ネムリユスリカから作られた培養細胞(Pv11細胞)は、増殖能を保持したまま長期間常温で乾燥保存できますが、その生命活動再開のメカニズムは明らかにされていませんでした。農研機構を中心とした共同研究チームは、Pv11細胞が乾燥状態から生命活動を再開する過程で、新しく発見したトレハロース輸送体によるトレハロースの細胞外への放出が重要であることを明らかにしました。本成果は、通常では乾燥保存できない動物細胞を常温で長期間保存した後に生命活動を再開させることが可能になる技術の開発につながることが期待されます。

概要

動物培養細胞は、医薬品の開発などに広く使われています。動物細胞を長期間保存するには、液体窒素を使って-200°C近い超低温で細胞を凍結し、超低温を維持する方法が広く用いられています。しかし、凍結状態を維持するためには液体窒素の供給や超低温フリーザーへの電源供給を継続する必要があり、温度管理に多くのコストがかかります。一方、生物のなかには、常温、乾燥状態で10年以上も生命活動(代謝や細胞増殖)を完全に停止していても、水を得ることで再び生命活動を再開できるものが存在します。このような生物は乾眠1)生物と呼ばれ、乾眠生物の多くは、乾燥保護物質であるトレハロース2)を体内に大量に蓄積する事によって乾燥のダメージから細胞を守っています。しかし、乾眠性を持たない動物細胞にトレハロースを蓄積させ、乾燥させただけでは、再水和後に代謝と増殖は再開せず、細胞が破裂してしまいます。

そこで、農研機構を中心とした共同研究チームは、乾眠昆虫であるネムリユスリカ3)由来で乾燥からの生命活動再開能力を持つ培養細胞 Pv11細胞4)を用い、再水和による生命活動再開のメカニズムの解明を進めています。

本研究で研究チームは、新たに発見したトレハロース輸送体 STRT1が再水和時にトレハロースを効率よく細胞外へ排出することで、急激な浸透圧変化を抑え、水分の細胞内への流入による細胞の破裂を防ぐという重要な役割を果たしていることを、初めて明らかにしました(図1)。

さらに研究を進め、乾眠メカニズムの全容が明らかとなれば、このしくみを利用して、動物細胞の生命活動を一時的に停止した状態で長期常温乾燥保存できる技術の開発につながることが期待されます。

図 1 Pv11細胞の乾燥耐性におけるSTRT1の機能

関連情報

予算 : JSPS 科学研究費助成事業 (22H00372; 25252060; 26850216; 23KJ0537; 12J110839)
JST次世代研究者挑戦的研究プログラム (JPMJSP2108)

問い合わせ先など
研究推進責任者 :
農研機構 生物機能利用研究部門 所長立石 剣
研究担当者 :
同 生物素材開発研究領域 グループ長黄川田 隆洋
研究員吉田 祐貴
茨城大学 農学部/応用生物学野 准教授菊田 真吾
東京大学 大学院新領域創成科学研究科 先端生命科学専攻 博士課程(当時)水谷 晃輔
博士課程(当時)布施 寛人
博士課程中西 瑛太
東京医科歯科大学 難治疾患研究所 助教宮田 佑吾
広報担当者 :
農研機構 生物機能利用研究部門 研究推進室遠藤 真咲
東京大学 大学院新領域創成科学研究科 広報室蘭 真由子
茨城大学 広報・アウトリーチ支援室山崎 一希
東京医科歯科大学 総務部総務秘書課広報係

詳細情報

開発の社会的背景

現在、動物細胞を長期保存する際には、一般的に超低温冷凍技術が用いられています。超低温冷凍は安定的な技術ですが、凍結状態を維持するためには液体窒素の供給や超低温フリーザーへの電源供給を継続する必要があるため、温度管理に多くのコストがかかります。また、災害などにより液体窒素や電源の供給が絶たれる状況になると、貴重な生物素材や遺伝資源を一気に失う危険があります。

そこで近年、新たな細胞保存技術として、乾燥を利用することが模索され始めました。欧米を中心に動物細胞の常温乾燥保存技術の開発が試みられてきましたが、長期保存可能な技術の確立には至っていません。

研究の経緯

生物のなかには、完全に干からびても死なずに、水分を再び得ることで生命活動を再開できるものが存在し、それらは乾眠生物と呼ばれています。ネムリユスリカは乾眠生物の典型例です。ネムリユスリカから作り出した培養細胞(Pv11細胞)は、現時点で唯一、乾燥状態で長期間常温保存しても増殖能を保持できる細胞です。Pv11細胞を高濃度のトレハロース溶液に2日間浸すと乾眠能力を発揮する準備が整い、その状態でPv11細胞を乾燥させると、常温(25°C)で最長1年間保存できます。保存したPv11細胞に培養液を添加すると、10~20%の乾燥細胞が代謝と増殖を再開し、1週間も経たないうちに乾燥前の細胞数を上回る数にまで細胞が増殖します。興味深いことに、Pv11細胞以外の動物細胞に対して同じようなトレハロース処理を行っても、培養液の添加によって生命活動を再開させることはできません。

農研機構、茨城大学、東京大学、東京医科歯科大学、順天堂大学の共同研究チームは、動物細胞の常温乾燥保存技術の開発を目標に、Pv11細胞が乾燥状態から生命活動を再開するメカニズムの研究を行ってきました。

研究の内容・意義

概要 : Pv11細胞が乾燥状態から代謝と増殖を再開する過程に重要な役割を持つタンパク質であるトレハロース輸送体STRT1(Sodium-ion Trehalose Transporter 1)を新たに発見しました。

具体的な研究内容 :

  • Pv11細胞の再水和時に発現する糖輸送体遺伝子の発見
    Pv11細胞が乾燥状態から水を得て生命活動を再開する過程で何が起きているのかを明らかにするために、Pv11細胞の遺伝子発現解析を行った結果、乾燥状態から水を得て生命活動を再開する過程で、糖輸送体5)遺伝子の一つであるg4064遺伝子の発現が上昇することを発見しました。
  • 発見した遺伝子を壊すと乾燥させたPv11細胞の再水和生存率が減少
    ゲノム編集技術を用いてg4064遺伝子を破壊したPv11細胞を作製しました。g4064遺伝子が壊れたPv11細胞では、通常のPv11細胞に比べて再水和後の生存率が大きく低下しました。
  • 発見した遺伝子=ナトリウム依存型の新規のトレハロース輸送体STRT1
    g4064遺伝子をカエル卵母細胞や哺乳類細胞で発現させてこの遺伝子の機能を調べた結果、細胞内外のナトリウムイオンの濃度差に応じてトレハロースを細胞へ取り込んだり、逆に排出したりするトレハロース輸送体の機能をもつことが分かりました。この機能から、g4064遺伝子がコードするタンパク質をSTRT1と命名しました。
  • STRT1が乾燥Pv11細胞に蓄積したトレハロースを効果的に排出
    Strt1遺伝子が壊れたPv11細胞(STRT1変異株)はトレハロースの排出能力が低下していました。乾燥から細胞を保護するために必要だったトレハロースは、再水和の時には細胞内の浸透圧を急激に上げて細胞にダメージを与えるため、水分を得て生命活動を再開する際にはいち早く細胞外へ排出する必要があります。STRT1変異株ではトレハロース排出機能が損なわれた結果、細胞内への水分の流入を止められず、細胞の破裂(細胞死)が引き起こされたと考えられます(図1)。

今後の予定・期待

Pv11細胞の乾燥耐性におけるSTRT1の機能は、乾燥のような死に至るストレスから細胞を守るために役立つトレハロースのような物質であっても、不要になったらサッサと捨てることが重要である事を示唆しています。さらに研究を進め、乾眠メカニズムの全容を明らかにすることができれば、生命活動を一時的に停止した状態で動物細胞を長期間常温保存できる技術の開発につながることが期待されます。

用語の解説

乾眠
体内のほとんど全ての水分が無くなり、呼吸を含めた一切の代謝が完全に止まっても、再び水に浸せば元通りの代謝を再開できる生命現象のこと。クマムシ、アルテミアの卵、ワムシなど無セキツイ動物でも認められます。酵母のような微生物でも確認できる現象。乾燥状態で長期保存できる植物の種も、乾眠の一例。ヒトを含めたセキツイ動物には乾眠できる生物はいません。[概要に戻る]
トレハロース
ブドウ糖が2分子結合してできた糖の一種。ネムリユスリカは、乾燥状態になると体重の20%に相当するトレハロースを蓄積します。大量のトレハロースが蓄積した細胞は乾燥に対する耐性が高くなる事が知られています。身近な例では、パンの発酵に使うドライイースト(乾燥酵母)が生きたまま乾燥状態で保存できるのも、酵母細胞内に大量に蓄積したトレハロースのおかげです。[概要に戻る]
ネムリユスリカ
アフリカの半乾燥地帯に生息する乾眠できる能力をもつ昆虫。800万種以上存在する昆虫の中で乾眠できるものは、ネムリユスリカとマンダラネムリユスリカ(近縁種)の2種のみです。[概要に戻る]
Pv11細胞
ネムリユスリカから作られた培養細胞。現時点で世界唯一の常温乾燥保存可能な動物培養細胞。乾燥させたPv11細胞は、常温で1年間放置しても、培地を加えるだけで再び増殖を再開することができます。[概要に戻る]
糖輸送体
トレハロースなどの糖はそのままでは細胞膜を通過することができないので、細胞膜には糖の出し入れを行う、糖輸送体といわれるタンパク質が存在しています(図2)。[研究の内容・意義に戻る]
図 2 糖輸送体の機能モデル

発表論文

Kosuke Mizutani, Yuki Yoshida, Eita Nakanishi, Yugo Miyata, Shoko Tokumoto, Hiroto Fuse, Oleg Gusev, Shingo Kikuta, and Takahiro Kikawada. (2024) A sodium-dependent trehalose transporter contributes to anhydrobiosis in insect cell line, Pv11. Proc. Natl. Acad. Sci. U. S. A. 121 (14) e2317254121.
DOI: 10.1073/pnas.2317254121(2024年3月29日公開)

研究担当者の声

生物機能利用研究部門 生物素材開発研究領域
機能利用開発グループ長黄川田隆洋(写真左)

論文筆頭著者の水谷晃輔さん(東京大・研究当時、写真中央)と共同責任著者の菊田真吾 准教授(茨城大、写真右)と我らが愛機の高速液体クロマトグラフ(HPLC)(2代目)と共に。水谷さんにとって、初投稿論文がPNASに掲載!トレハロースの定量で大活躍したHPLCが一番の功労者かもしれません。酷使気味ですが、これからも良いデータを出し続けてほしいと願っています。