プレスリリース (研究成果) 昆虫の幼虫状態を保ち続ける重要な遺伝子を発見
- 幼若( ようじゃく ) ホルモンが作られるメカニズムの一端が明らかに -
ポイント
農研機構を中心とした研究グループは、昆虫の幼虫状態を保つために重要な新たな遺伝子を発見しました。幼虫の状態を保つためには、幼若(ようじゃく)ホルモン1) と呼ばれるホルモンが必要です。発見した遺伝子は、幼若ホルモンを作るために必要な複数の酵素遺伝子の働きを一括して制御する、司令塔の役割をしていることが明らかになりました。本成果は、昆虫の発育を制御するメカニズムを理解するために重要な発見であると共に、将来的に害虫や有用昆虫の発育を制御する技術開発に貢献することが期待されます。
概要
昆虫が十分な大きさの成虫になるためには、幼虫状態を保ちながら盛んに餌を食べて、成長することが必要です。昆虫が幼虫状態を保つためには、幼若ホルモンという昆虫特有のホルモンが不可欠です。幼若ホルモンは、昆虫の脳につながっているアラタ体と呼ばれる非常に小さな器官で作られますが、どうしてアラタ体だけが幼若ホルモンを作ることができるのかは、これまでよくわかっていませんでした。
今回、農研機構を中心とした研究グループは、幼虫期にアラタ体のみで使われている遺伝子を解析し、幼若ホルモンを作るために必要な新たな遺伝子を発見しました。この遺伝子が働かないように人為的に操作すると、アラタ体で幼若ホルモンが作られなくなります。その結果、幼虫状態を保てなくなり、通常より早くサナギに変態し、小さな成虫になります。また、この遺伝子は、幼若ホルモンを作るために必要な複数の酵素遺伝子の働きを一括して制御していることも明らかになりました。今後は、発見した遺伝子についてさらに詳しい解析を進め、害虫に対しては環境負荷の少ない新しい農薬に結びつける研究開発を、有用昆虫に対しては発育を思い通りにコントロールするための技術開発を目指します。
本成果は、2024年9月30日にアメリカの科学雑誌「PNAS Nexus」にオンライン発表されました。
関連情報
予算 : 科研費基盤B(20H03004/23K26921、粥川琢巳)
問い合わせ先など
研究推進責任者 :
農研機構 生物機能利用研究部門 所長立石 剣
研究担当 者 :
同 昆虫利用技術研究領域 上級研究員粥川 琢巳
詳細情報
研究の背景・経緯
多くの昆虫は、幼虫の間にエサを盛んに食べ、幼虫から幼虫への脱皮を繰り返して成長し、十分に大きくなると脱皮してサナギになり、さらにもう一度脱皮して成虫になります(図1 )。幼虫からサナギ、またはサナギから成虫への脱皮は変態と呼ばれています。まだ十分に成長していない幼虫が、サナギにならずにひと回り大きい幼虫に脱皮するのは、幼若ホルモンという昆虫特有のホルモンがサナギへの変態を抑えているためです。幼若ホルモンは、幼虫の脳に付属するアラタ体と呼ばれる非常に小さな器官で作られ、体液(人でいう血液)を通して全身に運ばれて、サナギへの変態を抑えています。そのため、まだ十分に成長していない幼虫のアラタ体を外科手術により除去すると、体内から幼若ホルモンがなくなり、通常よりも早く変態し、小さいサナギになります(早熟変態)。
図1 昆虫の脱皮・変態と幼若ホルモン
幼若ホルモンは、幼虫の頭部にある脳に付属するとても小さい器官であるアラタ体で作られます。カイコの4齢幼虫(体長約4cm)のアラタ体の大きさは、直径約0.15mmしかありません(イメージしやすいように160cmの人に例えると、直径約6mmほどの大きさしかありません)。幼若ホルモンが働くと、幼虫はひと回り大きい幼虫に脱皮します。数回脱皮を繰り返し十分成長すると、幼若ホルモンが体内からなくなり、サナギへと変態します。実験的に成長途中の幼虫からアラタ体を除去する外科手術を行うと、幼若ホルモンが体内からなくなって、通常よりも早く変態し、小さなサナギになります(早熟変態)。
これまで私たちの研究グループは、体液から細胞に取り込まれた幼若ホルモンがどのように働いてサナギへの変態を抑制しているのか、遺伝子やタンパク質を解析して、その詳細なメカニズムを明らかにしてきました。しかし、幼若ホルモンにはまだまだ謎が多く、例えば、なぜアラタ体だけが幼若ホルモンを作ることができるのかは明らかにされていませんでした。今回私たちは、幼虫期にアラタ体だけで働いている遺伝子を調べたところ、Dead ringer2) という遺伝子を発見しました。昆虫におけるこの遺伝子の機能は、主にショウジョウバエの卵の発育に重要であることが約20年前までに報告されていましたが、それ以降、全く研究報告がありませんでした。私たちは、幼虫期におけるこの遺伝子の機能を詳しく解析することで、幼若ホルモンがアラタ体で作られるメカニズムに迫ると共に、Dead ringer遺伝子が昆虫の発育に欠かせない新たな機能を持っていることを解明しました。
研究の内容・意義
カイコの幼虫のアラタ体とそれ以外の複数の組織を用いて、それぞれの組織で働いている遺伝子を次世代シーケンサー3) で網羅的に比較解析し、幼虫のアラタ体だけで働いている遺伝子を探索しました。その結果、Dead ringerという遺伝子が見つかりました(図2 )。
図2 アラタ体で限定的に使われている遺伝子の探索
アラタ体で限定的に使われている遺伝子の1つとして、Dead ringer遺伝子が見つかりました(赤矢印)。緑色は遺伝子がよく使われていることを示し、黒くなるにつれて遺伝子が使われていないことを示しています。カイコは1万5千以上の遺伝子を持っていますが、本図はDead ringer遺伝子を含む30遺伝子のみ表示しています。昆虫の脂肪体は哺乳類の脂肪と肝臓、マルピーギ管は哺乳類の腎臓に相当する組織で、前胸腺は幼若ホルモンとは別のホルモンを作る組織です。
RNA干渉法4) によってDead ringer遺伝子の働きを低下させ、幼虫の成長にどのような影響があるのか、キボシカミキリを使って観察しました。Dead ringer遺伝子の働きが低下した個体では、幼虫から幼虫への脱皮回数が減り、幼虫期間が通常よりも約半分ほどに短縮されました。そして、若い幼虫からサナギへの早熟変態が起こり、体重が1/4程度の小さな成虫になりました(図3 )。
図3 Dead ringer遺伝子の機能低下で起こる早熟変態
RNA干渉法がよく効くキボシカミキリを使って、Dead ringer遺伝子の機能をRNA干渉法で低下させると、通常よりも早くサナギへの変態(早熟変態)が引き起こされ、体重が4分の1程度のサナギになります(左)。最終的に小さな成虫になります(右)。
また、Dead ringer遺伝子のRNA干渉を行った幼虫に、幼若ホルモンを処理すると、通常の幼虫と同じように幼虫から幼虫への脱皮が繰り返し起こり、早熟変態が起こらなくなりました。このことから、Dead ringer遺伝子の働きを低下させたことで、幼若ホルモンが十分量作られなくなった結果、早熟変態が引き起こされたと考えられました。
Dead ringer遺伝子の機能を詳しく解析するために、次世代シーケンサーと定量PCR5) を用いて、通常の幼虫とDead ringer遺伝子のRNA干渉を行った幼虫のアラタ体での各種遺伝子の働きを比較しました。その結果、Dead ringer遺伝子の働きを低下させた幼虫では、幼若ホルモンの合成に必要な複数の酵素遺伝子の働きが低下していることが確認されました(図4 )。
図4 Dead ringer遺伝子の機能低下による幼若ホルモン合成酵素遺伝子の機能低下
通常個体の遺伝子の働きを100とし、Dead ringer遺伝子のRNA干渉を行った個体の酵素遺伝子の働きを比率で表しています。
本研究から、幼虫期のアラタ体細胞において、Dead ringerが幼若ホルモンを作るために必要な酵素遺伝子のスイッチを一斉にONにすることで、酵素タンパク質が作られることが明らかになりました。これらの酵素タンパク質の化学反応によって幼若ホルモンが作られ、幼若ホルモンがサナギへの変態を抑えることで、幼虫状態が維持されます(図5 )。
図5 Dead ringerによる幼若ホルモン合成の模式図
今後の予定・期待
本研究により、幼若ホルモンがアラタ体で作られる仕組みの一端が明らかになったことで、「昆虫の発育をコントロールする技術開発」が期待できます。例えば、Dead ringer遺伝子の機能を低下させる薬剤を開発できれば、これを投与した害虫は幼虫期に幼若ホルモンが作れず、摂食が盛んな幼虫期を維持できなくなるため、農業被害を低減することが可能になります。また、今後、昆虫の脱皮・変態のメカニズムをさらに詳しく調べ、将来的に薬剤やバイオテクノロジー技術を使って、有用な昆虫の発育をコントロールできる可能性があります。例えば、幼虫期間を延長して幼虫を巨大化させ、タンパク質等の有用物質をより多く生産させたり、ショウジョウバエやカイコのように、研究に用いる突然変異体等の多くの系統を持つ昆虫については、幼虫期を短縮することで系統維持に必要な労力やコストの削減が見込まれます。
用語の解説
幼若ホルモン
本文中に紹介した幼虫状態の維持だけではなく、生殖や休眠など様々な生理現象に関わることが報告されています。幼若ホルモンは、昆虫の種類によって化学構造に差があることから、特定の種類の害虫を狙い撃ちできる新たな殺虫剤のターゲットとして注目されています。[ポイントに戻る]
Dead ringer
転写因子(てんしゃいんし)と呼ばれるタンパク質の1つ。転写因子はDNAに結合して、特定の遺伝子のスイッチをONまたはOFFすることで、それらの遺伝子を機能させるか否か制御する機能を持っています。[研究の背景・経緯に戻る]
次世代シーケンサー
DNAに書き込まれている遺伝子情報を高速かつ大量に解読する実験装置。近年、次世代シーケンサーの登場により、様々な生物の遺伝子情報が簡単に得られるようになり、これまで明らかにされていなかった生命現象の解明に大きく貢献しています。[研究の内容・意義に戻る]
RNA干渉法
2006年にノーベル生理学・医学賞を受賞した実験手法で、特定の遺伝子が働かないようにする技術。遺伝子情報を基にタンパク質が作られる際に、その中間産物として作られるメッセンジャーRNAを人為的に破壊することで、特定の遺伝子の働きを低下させることができます。RNA干渉法の効果は昆虫の種類によって差があり、カイコではほとんど効果がありませんが、本研究で用いたキボシカミキリでは非常に高い効果が見られます。[研究の内容・意義に戻る]
定量PCR
メッセンジャーRNAの量をPCRによって定量的に測定することで、その遺伝子がどれくらい使われているかを検証する実験手法。[研究の内容・意義に戻る]
関連論文
Takumi Kayukawa, Keisuke Nagamine, Tomohiro Inui, Kakeru Yokoi, Isao Kobayashi, Hajime Nakao, Yukio Ishikawa, Takashi Matsuo (2024). Dead ringer acts as a major regulator of juvenile hormone biosynthesis in insects. PNAS Nexus(pgae435, https://doi.org/10.1093/pnasnexus/pgae435 )
主な外部共同研究者:
東京大学大学院農学生命科学研究科 松尾隆嗣准教授
摂南大学農学部 石川幸男客員教授