プレスリリース
分娩後に牛胎盤を剥離排出するシグナル物質を世界で初めて発見!

- 畜産農家を深夜労働から解放する胎盤停滞のない昼間の分娩誘起に期待 -

情報公開日:2012年5月24日 (木曜日)

独立行政法人 農業・食品産業技術総合研究機構 畜産草地研究所
地方独立行政法人 北海道立総合研究機構 農業研究本部 根釧農業試験場・畜産試験場
共立製薬株式会社

ポイント

  • 牛の分娩時に胎盤を剥離排出する生理的なシグナル物質を発見。
  • シグナル物質の牛への投与により胎盤停滞のない昼分娩の誘起に成功。
  • 畜産農家の労働負担軽減と新生子牛の生存率向上に期待。

概要

  • 農研機構 畜産草地研究所は、牛の分娩後に胎盤が子宮から剥離排出される際に働くシグナル物質(必須脂肪酸であるアラキドン酸の代謝物質:オキソアラキドン酸)を世界で初めて明らかにしました。
  • 一方、従来の分娩誘起技術では胎盤停滞の多発が問題となっていましたが、(地独)北海道立総合研究機構 農業研究本部 根釧農業試験場、同畜産試験場及び共立製薬株式会社との共同により、上記オキソアラキドン酸の投与により胎盤停滞を起こさない昼分娩を誘起することに成功しました。
  • これにより、昼に適切な分娩介護が可能になり、子牛の生存率の向上や畜産農家の深夜の分娩介護のための労働負担を軽減することが期待されます。

関連情報

予算:
文部科学省科学研究費補助金
生物系特定産業技術研究支援センタープロジェクト「イノベーション創出基礎的研究推進事業」

特許:
特開 2009‐073789 米国特許登録 US8034841B2
特願 2010‐192723


詳細情報

研究の社会的背景と経緯

牛の分娩は昼夜を問わず起こります。畜産農家にとって深夜の分娩介護はつらい仕事です。そのため深夜の分娩に立ち会えない場合も多く、適切な分娩介護ができずに新生子牛が死亡するケースが多く見られ(年に約5万頭の損失)、時には母牛まで失うこともあります。

これまでにも、既存の天然ホルモン剤の投与により昼に分娩させることはある程度可能でしたが、その技術では分娩後に胎盤が排出されないため(胎盤停滞)母牛の産後の回復が思わしくありませんでした。これは従来技術には胎盤を剥離排出させるための処置が欠けていたためでした。また、哺乳類の分娩に関しては胎子の娩出メカニズムはよく研究されていましたが、胎子の娩出後の胎盤排出については研究が進んでいませんでした。

当研究所では胎盤を子宮から剥離し体外に排出する際に働くシグナル物質を世界で初めて発見し、さらに共同研究により従来の分娩誘起法に胎盤剥離処置を追加することで昼の時間帯での胎盤停滞のない分娩誘起に成功しました。

研究の内容・意義

  • 培養細胞を用いた胎盤剥離シグナルの発見
    これまでの報告から胎子娩出シグナル(プロスタグランジン)の合成材料と判明しているアラキドン酸及びその代謝物質に焦点をあてて検討しました。牛胎盤由来線維芽細胞にアラキドン酸やその代謝物質を添加し、胎盤が剥離する時に働くと推定されている酵素(細胞間の接着を切る作用を持つ)を働かせる物質を捜しました。その結果、アラキドン酸の代謝物質であるオキソアラキドン酸に当該酵素を働かせる強い活性があることがわかりました。この物質は生体内に存在する天然物質でした。
  • 自然分娩における母牛血中でのシグナル物質の検出
    自然に分娩し胎盤が正常に排出された母牛の血液を分析したところ、子牛を娩出した後、胎盤の排出に先立って血中にオキソアラキドン酸のピークが現れました。この結果から、この物質が胎盤剥離のためのシグナルであることが推定されました。
  • 胎盤停滞牛へのオキソアラキドン酸投与による胎盤停滞を起こさない昼(通常労働時間内)分娩誘起の実現
    通常労働時間内(6時00分~20時00分)に分娩誘起する条件を検討したところ、ホルスタイン初産分娩予定牛では、分娩予定の8日前の朝7時にデキサメタゾン2.5mg、その24時間後にプロスタグランジン50mgを注射した場合に、約80%の確率で通常労働時間内に分娩が起こることを確認しました。
    上記の分娩誘起処置から分娩までの間が30時間未満であった牛では全て無処置でも胎盤が排出されましたので、30時間以上かかった牛12頭を対象とし、その半分の6頭に子牛の娩出4時間後に頸静脈からオキソアラキドン酸を注射したところ、5頭の母牛が胎盤を排出し(写真)高確率で胎盤停滞の発生を回避できました。一方、オキソアラキドン酸を注射しなかった牛はすべて胎盤を排出しませんでした(図1)。処置により胎盤を排出した母牛の泌乳成績及び繁殖成績が良好であることも確認しました。
  • 研究からわかったこと
    牛の胎盤剥離シグナル物質(オキソアラキドン酸)を世界で初めて発見し、従来の分娩誘起法にこの物質の注射を追加処置として組み合わせることにより高確率で畜産農家の通常労働時間内に胎盤停滞のない分娩を誘起できることがわかりました。この方法は自然な胎盤剥離の過程を再現したものと考えられます。

今後の予定・期待

技術の汎用性を広げ農家の使いやすい動物医薬品として製品開発することを目標として共同研究を続けます。本製剤が市販されれば、畜産農家から分娩に関する肉体的及び精神的負担を取り除くことが可能となり、また無理のない昼間の分娩介護の実施により子牛の生存率を上げることが期待されます。仮に生存率を1%改善することができれば、その経済効果は年9億円程度と計算されます。さらに胎盤剥離シグナルが哺乳類で共通ならば、ヒトの胎盤遺残治療技術の開発に応用できる可能性があります。

発表論文

Hachiro Kamada, Yoshitaka Matsui, Yoshie Sakurai, Tamako Tanigawa, Megumi Itoh, Satoshi Kawamoto, Kenzo Kai, Takehiko Sasaki, Katsunari Takahashi, Masayuki Hayashi, Yoshiharu Takayama, Masato Nakamura, Hiroya Kadokawa, Yasuko Ueda, Madoka Sutoh and Masaru Murai
Twelve Oxo-eicosatetraenoic Acid Induces Fetal Membrane Release after Delivery in Cows.
Placenta 2012 (Vol.33(2)106-113)

用語の解説

胎盤
妊娠中に母親から胎子への酸素や栄養の供給を担っている臓器で、本稿では胎子側の胎盤を意味する。妊娠が終了(分娩)すると役目を終えるので通常は胎子の娩出後にすみやかに体外に排出される。この過程が達成されず子宮内の胎盤が分娩後12時間以上排出されないことを胎盤停滞といい、乳生産や受胎率の低下を招く。

分娩誘起
生理活性物質を使って分娩を開始させること。

アラキドン酸
必須脂肪酸のひとつで、炭素が20個つながっていて2重結合が4個あるのが特徴。植物にはほとんど含まれておらず、肉・魚・卵等から摂取する必要がある。

オキソアラキドン酸
アラキドン酸に酸素が1個結合した天然物質で、生体内では白血球や上皮細胞が合成していることが知られている。

デキサメタゾン
合成副腎皮質ホルモンで、炎症反応を抑制する作用を持つ。分娩は胎子の副腎皮質ホルモン放出で始まる。

プロスタグランジン
アラキドン酸から合成される一群の生理活性物質で、ここで用いたものはF2α。黄体退行や平滑筋収縮作用を持ち、分娩の際は子宮を収縮させ胎子を娩出させる。

図1.胎盤排出確率分娩誘導した母牛、排出胎盤、出生子牛の画像